無題

某日

 レコードが半分しか来なかったり、輸入税を二重に取られたりと散々であったが、そんなことは買ってくれる人には関係のない話である。

 もはや継続して個人でレコードをプレスし続けているやつなんて全人口の1%もいない気もするし、そんなわけで、苦労の共有などをする相手もだいぶ限られてしまうが、得られる喜びに比べたら多少の苦労の増減なんて誤差である。

 

某日

 なんとなく飯でも食いに行こう、と外に出ると、信号機の取り替え工事をする途中なのか、新品の、薄型のLEDの信号機が徐に道端に放置してあった。特に工事の人がいるわけではなく、そこにあるのは取り付け前の信号機だけである。最近の信号機は大きめのPCモニタ程度の大きさしかなく、あまりの無防備さに、「物好きがいたら盗まれるんじゃないか」といういらん心配をしてしまう。

 そんなこともすっかり忘れていたある日、ふと信号待ちをしていると、信号機が新しくなっていることに気がつく。例のやつが設置されたわけである。

 地べたに放置された信号機の絵面が印象的であったから気づけたものの、そうでなければ、自分は自宅の最寄りの信号機が変わった程度の変化にも気が付かないほど、周りの変化に無頓着なのである。自分の頓着の対象は狭い。

 そういえば、最近は近所で道路工事がやたら多い。年度末だからであろうか。

 

某日

 川辺くんと作った"Swim"の7'リリースに際して、B面曲の制作。デモはなんだかんだ数曲あったので、どれかを完成まで持っていくもんだと思っていたら、「新しいのを作らせてください」との連絡。ラフだろうがなんだろうが人の新曲というのはなんぼあってもよい。

 お題が欲しい、というのでなんか質感のある物体がいいなと「プレハブ小屋」(もう一個なんかを出した記憶もあるけど忘れた)という単語を投げてみる。

返ってきた曲はそこにはいない人を歌ったものであり、「我々は、1人思いを馳せるような構図でばかり物事をみすぎていませんかね」みたいなことが頭に浮かんだのである。

 共作とはいえ、歌詞のニュアンスや意図を根掘り葉掘り聞くのは野暮な気がして特に触れず。抽象には抽象でのレスが乙である。大喜利的に大改造することはせず、シンプルなアレンジで返す。

 パーティの曲に対して、帰り道にパーティを思う曲があるように、そしてどうしても後者を好きになりがちであるわけだが、帰り道の思慕自体を目的にしてはいけないような気はしている。

 とはいっても、割合で考えると、パーティの時間よりも思い返している時間の方が長いし、好きですと直接意思表示をする時間よりも、もやもやと頭に思い浮かべている時間の方が長いわけであるから、これは自然なことであるはず…最早自分の感覚の普遍性への自信なし。

 兎に角4/28にリリースです。何卒よろしくお願いします。"prefab"というタイトルはどうしてもプリファブスプラウトを想起させますが、全く関係はありません。

 

某日

 髪を切りに近所の1000円カットへ。アホみたいに並んでおり、整理券を取り1時間程度時間を潰す。戻ってきてもなおも自分の番はこず、さらに待つ。タイムイズマネー、安価の代償は時間である。「5cm切ってください」と伝え、きっかり5cm切られる。

 

2月某日

 bibioの2ndのデラックスエディションのリリースに際しての寄稿の依頼。あまりに聴きすぎたその作品、逆に何を書いたもんかと悩ましいが、いろいろ経た2021年特有の視座を…と考えた結果"ローファイ"を切り口に1500文字。頭の中に浮かぶ書きたいニュアンスに文章力が付いていかない感じは逆に清々しくもある。

 

2月某日

 会社の昇格試験のフィードバックに「自信が感じられ、元気があり…」みたいなことが書いてあり、思わず笑ってしまった。そもそも技術の詳細もわからない第三者と人事にプレゼンをするというフォーマット自体が無意味であるようにしか思えない。こんなことで給料が上がることも、逆にいうとこんなものを理由に給料が上がらない人がいるのも悲しい話である。

 

2月某日

 全てがわからなくなり勢いで引越し先を決める。最悪歩ける程度の距離の移動であることもあり、引越し作業の勢いはなくダラダラと進行。

 去りゆくはこの今後用事のなさそうな街である。大した移動ではないが、用事がないのだから、この辺で飯を食うこともめっきり減るだろう。

 そんなことを考えながら近所のカレー屋で飯。すると、会計の際に「いつもありがとうございます」などと言われてしまった。おれはもうこないかもしれないのに!そう思った数秒後、そんなことはないと思い直す。自転車ですぐであるし、ここのあんこナンはうまい。

 

3月某日

 てるおさんの運転でファミレスに行き、ハードオフを巡礼する謎の会がたびたび催されるようになった。ディティールに差はあれど、自分の娯楽はこの先もずっとこんな感じであろう。

 帰り道、堺筋本町にリニューアルオープンするオオノ屋改め新生フェーダーを覗きにいく。新しいことが始まるポジティブな感じは久しぶりであり、春というのはいつでもこういう感じであってほしいと思う。

 

3月某日

 延期し続けたソーコアでのDJ。マゴチ藤原西山有村。30歳を目前にしてやっとダンスミュージックの本当の楽しみの入口が見えてきた感。音楽を山に例えるとすると、大きすぎて未だに一合目すら見えずである。孔子曰く"三十にして立つ"。不惑目指して精進。謎のグルーヴあったのでまたやりたいスネ

 

某日

 悩めるピアノ男の話を聞く。「辞めたりバックれたりした経験がなさすぎるから、辞めたりバックれたりするのを難しく考えすぎてるんじゃないですか」みたいな話をするも、それはそのままそっくり自分にも当てはまっていたのである。

 今の自分のスタイルを二足の草鞋、などといいように取る人もいるが、ただ草鞋の脱ぎ方を知らないのではきっぱなしなだけである。

 高校も大学も辞めていない。バイトは大体長続きするし、人間関係をリセットしたり、突然SNSを全て消してしまったりもしない。長所のようであるが、そうとも言い切れない。持っているのに使っていないカードは、知らないうちに切れなくなっていくのである。それがババかも知れないのに!

 全てからバックれ、破天荒に生きる根性はないが、漠然とどこにもフィットしていない感覚を待ち続けている、そんな人は少なくないと信じているが…

 

3月某日

 天満で酒を飲む。酒を飲むくらいしかすることがないこの街、コロナでの人々の動向のバロメータとしては最適で、実に閑散としていたここしばらくに対して、緊急事態宣言の解除の影響か、随分と賑わっている。

 久しぶりにあったバツくんは、駆けつけ一杯別の用事のため颯爽とミナミヘ、入れ替わりで西山くんがくるが、時短要請の影響で空いている店がないため自分の家に。

 一旦解散するも、なんとなくまた深夜のミナミヘ。vavaくんのライブの前ノリで来ていたSumittの面々や杉生さんらと駄弁っていたら4時。西山くん曰く「オタクに優しい人たち」。人を判断するときの尺度をみてくれに置かないというのはなかなかできることではない。サーカスから出てくるのはオシャレな人ばかりである。逆にそういう人たちへの自分の一歩引いた卑屈な感じは未だに抜けていない。反省。

 

3月某日

 バツくんが京都に来てくれという、なぜ京都なのか…と思いつつ、折角なのでvavaくんのライブも見にいくついでに向かう。何をするのかと思えば一乗寺でラーメンを食っているとのこと、北へ向かう気力はなく1人河原町エリアを徘徊する。

 とは言っても特にすることはなく、京都は愛せど何もない…と丸善へ。久しぶりのでかい本屋、ふと思い出したように石原吉郎の詩集を探すも見つからず、検索機に頼る。検索機から吐き出された紙切れをもとに目当てのブツにたどり着くが、カバンも持たず手ぶらで来てしまったが故にハードカバーは怠く感じられ、買うのをあきらめてしまった。とは言っても暇は潰さねばならない。困った時は岩波の赤帯

 買ったフィリップの「若き日の手紙」を読みながら自分の境遇を重ねているうちに夕方、知り合いの店に顔を出したりしていると呼びつけたピアノ男が到着。

 みんなでvavaくんのライブを見て、高瀬川を眺めながら駄弁って解散。早く曲を作りたくなり、帰りの電車で新しい音楽アプリをiPhoneにインストールするもやる気はそこまで、起動することなく帰宅。