無題

某日

 パナとの業務委託契約初日。「あれ、帰ってきましたねえ・・・」などと所長やら部長やらに言われる。二重就労(複数の企業との雇用契約)を認めない仕組みにより、二択を課された自分は自らの意思で大学を選んだわけで、いってしまえばこちらは選ばれなかったほうである。にもかかわらず、IT系やコンサルなどの業態ではない、化学をバックグラウンドに持つ自分を、社員じゃなければええんやろ、と極論屁理屈みたいな方法で使ってもらえることは、個人的にいうと、”脱サラしてミュージシャン”なんていうもはや紋切り型の擦られたムーブよりも、よっぽど価値があることにも思える。

 会社からすると外部の人間を既存の仕組みの外で例外的に雇用するというのはリスクしかなく、リスクを取るに値すると一緒に働いていた人に思ってもらえることは、サラリーマンとしての自分に下された評価として本当に嬉しい。音楽業界っぽい誇張表現だと「シーンに風穴を開けた」とも言える。このシーンも風穴も世間からするとどうでもいいことであるが、前例ができたと言うことは、また社内でこんな感じで働きたい人が現れた時の道ができたと言うことでもあるし、逆にルールによって雇いづらかった人を会社が雇えるようになったとも言える。これは音楽で過去自分が達成したことと比較しても大きい。たとえ大企業にとっての、対外的な多様な働き方許容アピールのパフォーマンスとしての側面があったとしても、自分のために人がとったリスクというか、大袈裟に言うと勇気みたいなものを思うと、そんな役割は喜んで受け入れようと思う。

 

某日

 複数の学生が授業後にどかどかと入ってくる。申請をして教室を借りていて、みんなでライブDVDを見ると言うのである。なんのアーティストのを見るのか聞くとDUSTCELLだという。huezとかが演出をやっていたりなどしているので曲はもちろん聴いたことあるし、人気があるのは知っているが、自分がSNSでフォローしているような音楽ファンが何か音楽的な面で言及しているのをあまり見たことがない気がする。せっかくなので少し一緒に鑑賞。

 活動規模が大きいので、いわゆるデカ箱を意識したサウンドではあるが、UKやUSのダンスミュージックシーンのプロダクションと直接対応しているようには見えない不思議な作り(意味のわからない音楽を作っている自分が言うのも野暮ではあるが)であり、こうした作りの音楽が、まさにこうやって若者を夢中にさせていると言う事実を肌感としてあまり把握できていなかったのが事実で、改めて自分は10代の感覚を理解できていないのだと思わされる。

 「ネットばっかじゃなんもわかりません、やっぱ現場ですよ」みたいなことは教育現場にいる自分のポジショントークみたいになるので言いたくないが、最低限音楽のトレンドは追っているつもりであったのにこの体たらくであるので、もうネットありきでぼんやり俯瞰して、全体のムードを捉え、総論を述べるのは一部の天才を除いて結構筋が悪い時代であるのだなとは思う。

 自分の最近の基本戦略としては、2点と角度によって正確な位置を観測する三角測量の感覚である。スケールはさまざまで、理系の人間としての専門領域と、音楽の興味対象分野の2点の知識を持ってして、他分野の新情報に相対したり、インディロックリスナーとしての感覚とエレクトロニックミュージックのプロデューサーとしてのスキルを持ってして知らない音楽に向き合ったりとか、まあ要するに、自分の培った自信のある基準点との相対比較のみが、唯一の物差しであると言うことである。

 

某日

 気分を上げるために夕方にインスタライブをしながらECDのDirect Driveのブートeditを作る。テイトウワ氏のリリパで京都メトロ。途中でなか卯の親子丼を食ったのちに会場へ。neibissの2人にいかに世界のナベアツの3の倍数ネタが優れているかの話をする。理解はされたがおれのナベアツへの特別な感情があまり伝わった感じがしない。その後トーフさんが来たので、先日の中村佳穂さんと末次教授との話をまたすごい勢いでする。「うたって言うのは、みんなのものなんですよ!!!」とかいきなりいい出すのは完全にコミュニケーションに問題があるが、トーフさんにはその話を早くしたかったのである。こちらも自分の熱量が正しくデリバリーできたかは不明。氏は最近はDJ時などの撮影機材をGoProからDJI製品に置き換えてみたらしい。

 テイトウワ氏の出番が近づくにつれ楽屋や裏に人が増えていく不思議な日である。中塚さんのトーク以来のFPMの田中さんも来ていて、「最近はどうですか?」と聞かれる。その後HALFBY高橋さんも加えて喋っている最中、この並びは実に京都っぽいなーと思う。と同時に、隠さずに言うと、この京都ラインっぽさを正しく継承したいみたいな気持ちに、最近はかなり自覚的である。

 DJは時間のあやもあって変な感じの選曲。ともすれば軟派とも捉えられるような感じが自分にはあっている。逆張りでも順張りでもなく好きな曲をかける、みたいな当たり前のこと、自分のeditを1割くらい入れること、きめうちのライブセットと異なりDJの時はちゃんとその場で掛ける曲を考えること、逆にその場で考えるための補助として家で準備しておくこと、長い時を経て本当に少しずつではあるができるようになってきた。まじで少しずつ。メインではないが下手の横好きとしてDJも一応もう初めて10年になる。

 

某日

 朝9時ごろ帰宅、一瞬寝たのち前日のメトロの余韻を引きずりつつサーカス大阪へ。lil softtennisのリリパ。城北公園の焼肉屋で2人で飯食って以来。heavenの周辺の若者の面白いところは、先輩とか後輩とかの変なしがらみがほぼ感じられず、本当に友達だけでやってるところである。なのでプレーヤーも客も若い。オーバーエイジ枠として気まずさがないとは言わないが、自分を連れてきたテニスくんの心意気もぼんやり理解しているので頑張らないといけない。この前あったばっかりのvqくんとかaryyくんと雑談。

 かなりお客さんの反応見ながらのDJ。最後はigaくんの曲をかけて渡す。出番後にigaくんと雑談。「有村さんは鴨レ(鴨川レイブ、オタクのゆるいコミュニティ、鴨川で配信しながらDJしたり) の大将だと思ってるんで・・・」と言われる。会ったこともない10代のオタクに大将呼ばわりされる筋合いはないが、福井住みでいながらネットでぬるっとユニオンしていくその感じは自分の青春時代とリンクする部分も多く応援したくはある。

 終演後le makeupイイリと喋る。おれとかイイリの音楽のポップさの中途半端さっぽい話(と言うのは正確ではない気がする)をしたのち、どういう流れだったか「おれみたいなのが堂々としてる方が世の中としてよくないすか?」みたいなことを言われる。その通りである。悪事やズルをしている奴を除いて、全員が堂々とできた方がいい。

 PV撮影するからよかったらーみたいなこと言われたものの、眠すぎて終演後は潔く帰宅。

 

某日

 イベントの前乗りでひと足早く福岡へ。大智と焼肉屋で飲む。大学の同級生で、自分と同じで学部時代にさっさと留年し、周辺の工学研究科の卒業生の中でも珍しくさっさとフリーランスになった男である。

 大学時代の我々の悪いところというのは、ざっくりだらしなさ半分、もう半分はせねばならない、みたいなことに対する変な逆張り精神みたいな感じである。あとは謎の倫理意識というか変な理想論がある。それらの性質が良くも悪くも作用して、なんか知らんが自由業で生活している。

 大学の同級生に会う機会は大体誰かの結婚式であったので、コロナ前後はなかなか疎遠であった。くっちゃべること数時間。酔っ払いながら夜の福岡の街をゆく。大学の同級生の30代、基本みな立派なキャリアである。自分はインチキ枠として、なんかあいつ楽しそうだなみたいな感じを目指していきたい。

 

某日

 出演のため福岡grafへ。キースとセレクタ以外行ったことなかったので新鮮。プロジェクターに謎の縦線が入り込む、みたいなトラブル対応でひと盛り上がりしたのちに皆で一旦ラーメン屋へ。

 福岡は久しぶりなので楽しい。皆やたら酒を飲む。へべれけでライブセットとDJ 。MarbleくんがかけていたHALFBYのRodeo Machineのベースラインリミックスをはじめとする諸々が気になって色々教えてもらう。

SEGA NERDCORE GENERATION | Allkore

Stream 『Subculture BASSLINE EP3』Crossfade #SBE_1225 by FAIZ | Listen online for free on SoundCloud

 この曲がニコ動でミーム化していたこと、ブートを作ったのがTom-iくんなこととかも全然知らなかったし、FAIZくんとか3R2さんとか一緒になるイベントも決まっていて、なんか久しぶりにこういったネットレーベル黎明期みたいなノリを思い出す。やはり自分のdigにはムラがある。

 イベント終わりにキースフラックにいく。村瀬さんに挨拶をした記憶があるがかなり怪しい。ベロベロで親富孝通りを歩く。ハロウィンの週末であり変な仮想の若者とヤンキーが入り混じっている。道端で死んでいるとピスタチオスタジオのdiscordサーバーで酒癖の悪さをいじっていたはずのタンくんがきてくれてホテルまで連れて行ってくれる。持つべきものは優しい友達。いつ寝たかも覚えていない。起きたら枕元に2こ食ってもいないからあげクンが置いてあり意味不明であった。

 

某日

 templimeのリリパに出演するため東京へ。agehaなきいま、新木場に行く機会がこんなに早くやってくるとは思わなかったし、あと毎回思ったより遠い。

 1000キャパでのDIYイベントを主催するtemplimeチームの胆力は凄まじく、そして当日は運営兼プレイヤーとしてみなバタバタである。ゲストのパーゴル、tomgggさん、ソーゼンくんは呑気に海を見ながらひたすら雑談。ラウンジネオ周辺の、”トラックメイカーのライブ”という謎概念の普及とともに活動の幅を広げた我々であるが、パーゴルもtomgggさんも自分も興味の有無の問題もあるが、こういった主催イベントを大々的にやる、といった行為をサッパリしていない。「自分らがサボったぶん反面教師として若い子が頑張ってるのかもしれないですね」みたいな話をする。そういう意味でもパソコン音楽クラブはすごい。

 ノーノウハウでの1000キャパDIYイベントが完璧に首尾よく進行するわけもなく、諸事情でタイムテーブルの調整が必要ということになり、呑気に雑談していた我々の持ち時間を全員10分ずつ減らすことになる。この辺は皆さすがで滞りなく対応。

 人はたくさんいるが温まりきってはいない、みたいな時間帯に火を入れに行く、みたいなミッションを課される時がたまにあるがこの日はまさにそうであった。みな真の目当てはtemplimeであろうが、イベント全体の満足度は我々サポートアクトの質にかかっている。10分減らした分想定とは別ルートで持ち時間を走破。

 出番後はまた海を見ながら雑談。templimeは演出も含め圧巻のステージ。年下年上関係なく日々勉強である。もう皆と知り合って随分経つし、同じように活動しているが、年下の台頭も含めて立ち位置は緩やかに変わっていく。みなそれぞれの得意分野を活かして生活している。アーティストとしての個人活動、広告音楽制作業、プロデュースワーク、その他個人の属人的なスキル。内訳は似ていても割合はバラバラである。テニスくんも加えてみんなで帰宅。

 

某日

 新木場からやや品川に寄せてホテルで一泊したのちに京都へ。一瞬自宅で荷物を取って学園祭出演のために京都精華大学へ。バイク置き場で荷物を整理しているとわざわざ学祭実行委員の人が迎えにくる。わざわざすんません。

 イサゲンと展示を回ったのちにステージでライブ。意味わからんほど緊張してしまった。コピーバンドの合間に、謎のおっさんとして謎の音楽をかけるだけ、本当に大丈夫だったのであろうか。

 終演後にボカコレ経由で知ったタチマナユさんとか鴨レのメンバーとかIRIGINOくんとかfujimaruさんの新旧青木孝允さんの教え子邂逅とか色々ごった煮でおしゃべり。別々にはぐぐまれたバイブスがだんだんリアルで交錯し始め、京都のDTMシーンは確実にグルーヴし始めている。おもろいタイミングにおもろい立場でそれらを眺められて役得である。

 一旦制作仕事の打ち合わせを空き教室でしたのち、ちょっと遊ぶ。サバゲサークルの出し物でエアガンを触ったりしたあと、クイズサークルのブースでひたすらクイズ。クイズは面白すぎる。居合わせた参加者がトニカクカワイイの話をしていて、オープニングの曲を作らせていただいていて・・・などと話す稀有な機会も。

 

某日

 学園祭の勢いそのままに神戸へ。タクシーに乗って「湊河湯までお願いします」というと「この前新聞にも乗ったんですよ、活気がありますよ」と言われる。そんなみんなに知られているのか、と思いながら「今日は音楽イベントがあるんですよ、楽しみです」と答え下車。

 久しぶりのパ音柴田くんと関西の友人各位。銭湯でDJ。ブギーゴット温泉、というタイトルなのになのにみんな社会性があるのかないのか好き勝手DJ(ひたすらアンビエントだけかけたり)をする。逆にafrくんは完璧にブギーのDJをしている。自分はこういうイベントが好きである。

 京都のDTMシーンは確実にグルーヴし始めている、と感じた昨日同様、こういった自分が出るようなイベントにくるお客さんが、だんだんお客さん同士で仲良くなっていって、こちらもグルーヴし始めている感じがある。「内輪すぎ、客が全員DJ」みたいな揶揄がネットに沸き続けているが、自分は内輪の拡大こそが正しいアプローチだと考えているし。DJしていない人間には全員DJをさせたいと思っている。異論はあって然るべきだが、こちらは本気で考えてこうなっている。

 流石に3日も週末イベントが続くと制作仕事が滞る。朝までには修正しないといけないので打ち上げ行かずに帰宅。打ち上げだけもう一回やってください。