Convex Mirror e.p.全曲解説

リリパ会場で販売したZINEの内容とほぼ同じです。ZINEはtypoなど多々ありすんませんでした。100部完売。ミスもそのままのデータは以下からご参照ください。

Dropbox - CM_zine.pdf

 

<はじめに>

 2023年春、色々なきっかけによって、新卒から働いていた会社を退職し、しばらくは音楽で食べていくことになった。自分の人生が転がっていく方向が、こんなにも予想のつかないものになるとは思っていなかったわけである。折角なので、この経験そのものをテーマに音楽作品を作ることにした。

 選択肢そのものは偶然降ってきたようなものであるが、それを受け方向転換をすることを決めたのは極めて能動的であった。しかし進む先の様子はいまいちよくわからない。そんなことを考えているさなか、街中のカーブミラーで自撮りしている人を見かけたのである。

 カーブミラーは見通しの悪い曲がり角に設置される。凸面鏡によって、曲がらずして曲がった先の様子を見ることができる。でもそんなに遠くまでは見えない。鏡であるので自分の姿も写っているが、ぐんにゃりと歪んでいて少し間抜けである。大体は支柱がオレンジであり、矢印と共に”注意”と書かれた札が取り付けてあったりする。そのなんともいえない姿になんらかのコミカルさを見出し、いたく気に入ったので、これをモチーフにすることに決めた。思いついた日にそのままリード文を書いた。そこから先は特に深く考えることなく、6曲の楽曲を制作した。

 人生とは数奇なもので、時には思いもよらない選択をすることになります。そんな時に、行こうとする曲がり角の向こうをカーブミラーが映し出します。でもその像は、若干歪んでいて、なんだか嘘っぽいし、進まなかった方向の景色を見せてはくれません。

 

 

<凸>

 コロナ禍の真っ最中、DJのBatsuくんとパソコン音楽クラブの西山くんの自分の3人で金を出し合い、大阪の淡路にいきなり配信用の物件を借りた。トマソンスタジオと名付けられたその場所は、自粛生活からくるストレスのはけ口としてふんだんに機能した。友達を呼んで、ガラクタを並べ、たいして音楽もせずに好きに過ごした。

 

 2020年5月16日(土)、トマソンスタジオの活動の一環として、配信イベント”Music Unity 2020″ のため、in the blue shirtのライブセットの配信を敢行した。部屋の一角の建てられたOSB合板をバックに、らしお(osirasekita)の演出アイディアのもと、siroPdの作ったVJ素材にのせ酒を飲みながらへらへら音楽を再生した。インターネットの開通が間に合わなかったため、有村私物のポケットwifIの貧弱な電波にのって、盛大な音ズレと共にその怪映像はインターネットに放たれた。

youtu.be

 今もインターネットにアーカイブされているその動画の中の自分は、あまりにセルフデフォルメされており、見返してもいまいち他人のようである。しかしながら、退屈であったコロナ禍において、過剰に楽しい体で振る舞う誇張した自らの姿に、現在のリアルの自分が、今だに引っ張られているような気がしてならない。カーブミラーをモチーフに選んだ理由の一つに、そんなトマソンスタジオの思い出がある。

 

1.Windfall

 EUが石油・ガス高騰によって恩恵を受けたエネルギー関連の企業にウインド・フォール課税(=windfall-profit tax)を課した、といった旨のニュースをふと目にした。"windfall"ってなんやねん、と思い調べると、風が吹いて落ちた果実を手にする、要するに棚からぼた餅的な臨時収入を表す表現らしい。気が向いた時間に起きて気が向いただけ仕事をする今の暮らしはまさに棚ぼた的であり、これはちょうどいい、とタイトルに採用し、曲を作り始めたのである。
 2023年の暮れにリリースした"Cold December”という楽曲にて、"You-Me / Heart-Beats / Stays with me”と歌われている部分の、1度の音に対してだんだんメジャートライアドの音が積まれていくアレンジをもう一回擦りたかったため、全く同じ手口をギターでやっただけという曲である。間抜けなほどに平坦なドラムマシンのシーケンスにギターをのせる、というやり口も好きで昔からよくやっている。


 本作の6曲中もっとも先に作り始めたわけであるが、ギターを録音するのがめんどくさいという理由で半年放置され、熟成した末に改善がなされたということもなくほぼそのまま進行。さらに元々ははEPの頭に「曲がり角で行き先を決めるためにコイントスを実施する」といった設定の短いイントロ用のトラックを収録するつもりであったが、天から小銭が降ってきたということにしてこの曲の冒頭にくっつけてしまった。横着の果てに完成した楽曲であるが、ボーカルエディットだけは随分と真面目に取り組んでいる。サビ以外は全メ口裏アクセント、サビは逆にほぼ拍頭にアクセント。なんとなく間抜けな感じを出したくて無責任に「Have a good time」と言わせている。小銭を拾って大喜び。

youtube

 

2.Close to me

 一切のmidi打ち込みを用いず、オーディオ素材の切り貼りのみで曲を作ろうという趣旨で制作開始。オーディオ編集のみという制限はもはや縛りプレイといった感じにすらならず、昨日はゼルダやったし今日はスマブラやろう、くらいの話である。とはいっても楽器を弾いて曲を作るのとは競技が違うのも事実である。とにかく、楽しく音楽制作を続けるコツは、飽きたら目先を変えることである。
 ヒップホップにおけるチョップ&フリップのような、刻んだ素材をシリアルに再構楽していくだけでなく、この曲のように全く関係のないサウンドをレイヤーしていくパラレル組みのスタイルの礎になったのはThe Avalanchesの諸作品であるが、参照元である初期の彼らと全く異なる質感でいろいろできるようになったのは最近の自身の成長である。全く異なるテクスチャの異なる、全く関係のない空間でなっているサウンドの素材を当時に鳴らすことはサンプリングミュージックの妙であると思っていている。メインのブレイクビーツとフィルのドラムサンプルは全く違う素材であるが、それを並べてスムースに聴かせたいみたいな望が常にある。

 『in my own way e.p.』収録の"in my own way”で3連系のリズムの混ぜ方の試行錯誤にハマって以来、『Park with a Pond』の"Forward Thinking”のように4/4拍子の最中に気晴らしに6/8をぶっ込んだりみたいな使い方をやたらとするようになってしまったわけであるが、今回も例に漏れずそんな感じである。毎回同じで芸がないため今回は16分のアコギのシーケンスも重ねて4/4のバイブスも同時にステイし、でも変なリズムとはなるべく感じないように、といった塩梅を目指した。

3.Boo-Boo

 イベント出演で福岡に行った際に立ち寄ったGROOVIN福岡店で、レーシングがどうのこうの、と書かれたレコードが売っていた。「カーブミラーつってんだから車要素があるといいよなー」と肥やしになればとなんとなしに購入したわけであるが、中身をみると盤面はホイールが模されたピクチャー盤であり、モナコやル・マンでのレースの実況とマシンの走行音だけがひたすら収録された狂気のレコードであった。そのままサンプリングするわけにもいかず放置。



 後日Star Slinger - Take This Upのもう少しバカっぽい版を作りたいなと思っていた最中、First Choiceの76年作"Gotta Get Away(From You Baby)”のサンプリングが可能であることを発見しかなりラフなカットアップにて作成。

youtu.be

youtu.be


 バカっぽい808ベースtrapからバカっぽい4つ打ちに向かうという構成は既定であった。4つ打ちの箇所をさらにふざけた感じにするための策を講じていると急にレコードの存在を思い出し、ヤンキーの暴走みたいにブーブーいわせればよいのでは?と思い立つ。Spliceで車の走行音を拾ってきてブンブン言わせてもいまいち面白くならず、不護慎なことに「car crash」というアホすぎる検索ワードで手に入れた車の事サウンドを散りばめることで所望の雰囲気に到達。
 メタ的にキッズが騒いでる感じにしたいという思いで"Nanny Nanny Boo Boo"(幼児向けのはやし言葉、べろべろば一的な)というループを入れてみたところさらにふざけた感じを醸すことに成功した。結果として子供がトミカ的なもので遊んでいるみたいな構図にできて満足。トミカにとっては子供は怪獣である。ブーブー!

4.Into Deep(what I need)

 “Close to me”でカットアップでのレイヤー遊びを済ませたので、今度は古き良きMPCスタイルのヒップホップ風チョップ&フリップでの制作。直球ブーンバップを作るのもなーと思ってドラムは16ビートに。刻んだウワモノは並べ替えるが重ねない。単純にグルーヴのことだけ考えていれば良いので楽しい。100トラックとか重ねるのが当たり前な昨今において、別に2~4トラックとかで曲が完成してしまうのだからすごい。
 J DILLA以降のズレたスモーキーなビート・・・みたいな話はもう自分からいまさらするまでもないわけであるが、ヒップホップのキック&スネアのズラしというのは本当に単純かつ深淵で面白い。ひと回し目のフックが明けてからやりすぎなくらいビートをヨタヨタさせたのち、メインのボーカルループがやや崩れて入ってきて、元々のパターンに戻っていくというルートを思いついてから、実際にいい感じになるまでグルーヴを調整するのはかなり楽しかった。
 クールなビートを組めるトラックメイカーはたくさんいるし、チョップ&フリップを得意とする人もまた然りであるが、じゃあそれにサンプリングボーカルの刻みをのせてどうにかしようという人間は世の中にそうおらず、この作風は人のいないブルーオーシャンといってよい。
 獲得した謎の作風というのはだだっ広い海である。そこに生き物がさっぱりいないのは、辿り着いてもたいした利得がないからである。しかしそんなことは特に気にせずに、その誰のいない領域を泳いで遊ぶ。なるべく深く行けるように繰り返す。必要なことはそれだけである。

 謎の正方形MVも作った。形状モーフを単純な編集のみで見せたかったが頑張りきれなかった。またやる気がする。

youtu.be

5.Place for Us

 ピッチアップされたボーカルをエディットして曲を作りまくっているわけであるが・その動機はなんなのかを考えるとかなり謎である。エディットに関してはカットアップが面白いから、でよいが、音程に関しては上げる必要はあるのかという疑問が生じてくるわけである。
 これに関しては2つの理由があり、単純に音色として好きだから、というのが、1つ目、もう一つは、音程を上げることで、様々なボーカルが持つ声色の違いというのが消滅して、ヘリウムガスを吸ったような似通ったサウンドに収斂していくことから、匿名性みたいなものが生じてくるのがうれしいからというものである。じゃあここで、なかなか似通ったいつもの感じにならなさそうなボーカル素材を選んでみようというのがこの曲のスタート地点であった。アカペラ素材ですらない、かなりソウルフルな声でがなっている男性ゴスペルシンガーの楽曲のライセンスを取得し、編集してメインのボーカルパターンを生成。狙い通り、どうピッチを上げ下げしてもいつも通りの感じにはならない。
 トラックに関してはHANDSOMEBOY TECHNIQUEの楽曲が持つバイブスを意識した。誤解を恐れずにあえて乱暴な語彙を使うなら、エモい感じにしたい、ということである。機械的なニュアンスを残したドラムとベース、古臭いシンセブラス。
 Special Place!と歌われており、じゃあ京都やなということで京都府と京都市と形状をトレースしてグラフィックを作った。転勤族であり、住んできたあらゆる街に地元意識があまりない自分にとっての唯一の拠り所である。モラトリアムを過ごした街としてのの神性はすっかり薄れてしまったが。

 

6.Over

 普遍的な手法かと思ったら、実はどちらかというとその時代特有のムーブメントでしかなかったジャンルというのは意外とあって、自分の中でのそういうものの一つがシューゲイザーである(異論はあると思う)。結局あれはMy Bloody Valentineとその余波でしかなかったんや、みたいなことを考えていたのである。そんな中、音を積極的にクリップさせる、いわゆる音が割れたサウンドを用いる最近のムーブメントと、かつてのシューゲイザーを、自分は似たような箱に入れて聴いていることにふと気がついたのである。
 人生に対しての不安や焦燥感、強い喜びや悲しみ、怒りなど、とにかくなんでも良いが、抑えきれない感情のアナロジーとして、過剰な音像というのは相性がよい。強い感情というのはいつだって頼されておらず、とにかく器から溢れ気味であるので、音量的にオーバーロードさせて歪ませたり、原型をとどめないくらいエフェクトをかけたりすることで、そういったフィールを想起させることが可能になったりするわけである。

 そういった”溢れ気味”の感じは、往々にして整頓されていない。タバスコをかけすぎて、元の料理の味がよくわからなかったりしている状態に自分は強い魅力を感じる。馬鹿でかいサウンドが突然後ろで鳴りだしたせいで、ボーカルがよく聴こえなくなってしまったみたいな、調和が乱れているさまはいつだって魅力的に感じる。昂って声が裏返ってしまう、怒りすぎて笑ってしまう、徹夜しすぎて逆に眠くない、みたいな感じを、若さからくる青さみたいなものを伴わせずにうまいこと出せたらな、と思いながら作ったこの曲で、EPは終わる。

アートワーク

 自分のやっているPotluck lab.という音楽制作のワークショップで知り合ったhyper thanks bomb経由で知り合ったシマブクという男に依頼をした。頼むのはこれが初めてではなく、2022年作「Park with a Pond」収録のシングル"Fidgety”のジャケットも彼が担当している。
 活動する上で、ユーモア成分というのは常々意識していて、とにかく何においてもシリアスになりすぎることが嫌な性分であるから、in the blue shirtの音楽や、それにまつわるものは、ある種の軽薄さというか、なんならうっすらふざけている感じが伴っていてほしいと感じている。そういう意味で、シマブクの独特のユーモアのあり方が自分は好きである。
 カーブミラーがろくろっ首のようにクネクネしている様は、ひょうきんさみたいなものを多分に含んでいる。なんとなくどこ向いてんねん、と突っ込みたくなるような感じもよい。加えて、これまでなんとなく青っぽい(青面積が多いグラフィックばかりを使ってきたので、今回のこの赤さは新鮮である。一方で、彼が何を思ってこれを作ったのかの話はいまだにちゃんと聞いていない。

 

無題

 ほうぼうで"みんな音楽を作った方がいい"と説いているが、説くからにはやはりその理由を考える責務があるわけである。「その心は?」と問われたとして、「みんな違うからです」というのが暫定回答である。ここにおける音楽は別に音楽でなくてもいい。みんな違ってみんないい、みたいな話は、たいして何も言えていない月並みな視点であるようにも思えるが、正直これに尽きるのである。

 学生時代のマゴチネサウンドシステム(溜まり場となっていた友達の一軒家の通称)、少し大きくなり関西の電子音楽シーンやマルチネレコードなどから始まり、いまに至るまで音楽を作って聴かせ合う遊びをずっと続けた結果、自分の抱いた感想は「みんな違いすぎるやろ」というその一点である。パソコンで、任意の時間軸に任意の音を配置するだけの遊びで、かくも差が出るのか。考え方から、作り方、完成品に至るまで何もかも違う。上には上がいる、といった優劣の話ではなく、ただ違うだけである。そんなことを、心の底から認識したのである。

 個々人の顔とか、体つきとか、声が違うように、曲を作らせると全然違う。その事実は、世の中に蔓延るしょうもない成功の尺度みたいなものからおれたちを解放してくれる。違いすぎて定量化が不可能であるため、比べる目的が優劣ではなくなるからである。比べる目的は、自分と人をよく知るためになる。人と違っても楽しいし、人と同じような部分を見つけるとそれはそれで楽しい。練度を上げると、ますます違いをよく認識できる。自分は、音楽を通じて、自分のことと人のことを相対的に理解するツールを獲得したのである。

 このコンセプトさえわかれば、別に音楽でなくてもいい。 要するに、あらゆる性質を個人に帰属する訓練をすればよい。関西人はおもろい、とか東京人はおもんない、とか言っているうちはド3流であり、われわれが判断するのはそいつ個人がおもろいかどうかだけである。そしてどのみちみんな違うから、そこに優劣はない。

 みんなの部屋を見てみよう。かくの如く、どの部屋もバラバラである。あいつの部屋は整頓され、おれの部屋は散らかっている。比べる目的は、自分と人をよく知るためである。ああおれは(物理的にも、精神的にも)散らかった人間なんだ!ざまあみろ!!

 ここまで来ると、性差別や人種差別などの類や、戦争にしても、反対する理由は明確である。それらは個人に帰属するものを奪い去るからである。だから みんな音楽を作った方がいい。みんな違うから。音楽を作り、それに自らをレペゼンさせろ!

 

1月某日

 渋谷asiaで出演。らむこくんとかillequalくんとかkegonくんとか人気の若手の中にほりこまれるという座組。safmusicさんに「昔有村さんのタイプビート作ったことあります!」といわれる。知らん間に不思議な立場になっている。25歳と30歳はあんまかわらないが、15歳と20歳は大違いであり、この等価とは言い難い世代間の時間傾斜のおかげでシーンのムードが変わっていくんだろうなーと思う。自分が5年がんばる、それはそれとして、その下でがんばった10コ下の5年がもつ青春の輝きみたいなやつは自分にはもうない。ないのにやっていることに意味がある。

 

某日

 サーカス東京でライブ。オファーのメールに「ギターを弾いてもらえませんか」と書いてある。書いてあるが、単身のマシンライブでギターを弾いてよくなった記憶はなく、あまり気はすすまない。気は進まないが要望には応えたい、ということでゆnovationに連絡して一緒に演奏してもらえるようにお願い。

 ゆnovationの曲の中でも好きなroki storeと、ただ関係なくカバーしたかった慰安旅行の2曲をアレンジし直してデータを送る。難しい要素を排除しているのでぶっつけ本番でいいかと思っていたら、「ちゃんと練習しましょう」と連絡が来る。

 急遽翌日に西浦和のスタジオにギターを持って向かう。楽器持って新幹線に乗るとミュージシャンになったような気持ちになる。楽しく練習。

 ロイアルホストで晩飯を食っていると、いたく荒れたseaketaが酔った状態でやってきた。人間そんな日もある。のべの運転で西川口のホテルまで送ってもらって就寝。

 翌日朝に渋谷に移動。友達ばっかで楽しいイベント。話す機会のあまりないphritzくんとゆっくり喋ったり、サンドリオンのアレンジで一緒だった星くんに会えたりしてうれしい。急にラスオダがきたり、ゆいにしおちゃんが見にきてくれたりとちょっと予想外のうれしさも。

 

某日

 ボーカロイドのゆくえ、という若者がやっているボカロのコンピのリリースイベント。様々な理由から急に3曲も初音ミクの曲を作り、どれも結構気に入っているが大して跳ねることもなかったわけであるが、こうやって新しい出会いもある。

 皆を見ていると昔自分がマルチネの界隈に合流したり、トレッキートラックスの面々と出会った時の頃を思い出す。インターネットで面白い音楽を作っている人をみつけ、イベントに行くと次から次へと友達が増えていたさなか、「この世には音楽を作っている気の合うやつが無限にいるんだ!」と浮かれていたわけであるが、それは気のせいであり、その短い期間に登場した有限のメンバーとの関係を大事に大事に、いい意味で変わり映えしないメンツとかれこれ10年近くやっている。

 ランキング上位になれば一度スターダムにのしあがれるほどの巨大イベントになったボカコレという名のランキング形式の楽曲投稿イベントが若きボカロPに与えた影響は大きく、次から次へと才能あるミュージシャンに光が当たるので、おそらくボカロ界隈でも昔のおれのように数多の出会いに浮き足立つ若者がいるであろう。しかしながら人材は有限であるのが現実である。有限であるからこそ一生遊べる友達ができるともいえる。ボカゆくで出会ったみんながずっと楽しく音楽をやれれば良い。

 

某日

 メトメさんとの焼肉のさなか企画されたイベントがソーコアで。身近なメンバーの前でやるほうが逆に緊張したりする。おれたちはもっと焼肉に行ったりそのメンバーでそのまま音楽をしたりしたほうがいい。いろいろな人が来てくれる。バンタンで教える林さんと授業資料トークをしたり。

 

某日

 美学校での音源視聴イベントサウンドシェア。美学校のスタンスとおれのやりたいことがいい感じにマッチしていて毎度楽しい。ロケーションの性質なのか、本当に老若男女と言った感じ。

 一応初心者向けという建て付けの会であるが、「なに考えながらこの音楽作りましたか?」ときくとみんなよく話してくれる。来場者全員が5分ずつくらい強制的に自分語りをさせられるわけであるが、これよりも楽しいことはないのではとも思える。

 世の中の重力は基本的にあるあるを探す方向に向かっているので、〇〇の音楽を聴くやつは大体こんな格好してるwみたいな抽象化がおもしろがられるのは自然であるが、資本的な利益を生み出さない創作に意味を持たせるにはそれに逆行する必要がある。自分の趣味嗜好それ自身は技術の巧拙によらず、常にオンリーワンであるという事実は積極的に自覚していかないといけない。要するに、ほら、みんな違いますよね、だから音楽作って人に聴かせましょう、ほら、みんな違うでしょう?を繰り返しているだけである。おれはそれで人生足りている。

 

某日

 神戸でイベント出演。JRが止まってしまい到着に2時間半かかってしまった。

 seihoさんと久しぶりにゆっくり話す。 seihoさんと共演するたびに「界隈のお仲間はseihoを許すのか」的な旨でネットに直接名指しで批判的に書かれたりするわけであるが、それに関しては活動を再開する上での声明の足りていなさはあるとは思っていて、その点はseihoさんが悪いと思っている。同時に、事件に関しておれから直接言えることはなにもない。2023年にシエスタでイベントをやった時に、seihoさんから遊びに行くわと連絡が来たので「めんどくさいから来ないでくださいよ」とやんわり出禁にしたこともあるが、人様のプライベートの行動をおれが制限すんのかよという意味でも、いまだに正しかったかどうか思い出して悩んだりもする。

 イベント後に輪になってひたすら音楽の話をしていたらすごい時間が経ってしまい、急いで終電で帰宅。みんな同じようなことで悩んでいる。

 

2月某日

 ホームカミングスとくるりのライブをKBSホールに観に行く。達者にMCをするくるりに対して、なるみさんが最後なのにろくに話さないホームカミングス。演奏後に肩に手を置いて電車みたいに連なってはけていくホムカミ一行をみて胸が熱くなった。いい演奏でした。

 

某日

 ホムカミライブアフターパーティに出演。

 リハの時に脚立が置いてあり、ハコの機材かと思ったらSummes Eyeの夏目さんのステージ道具であった。「有村くんも使っていいよ」と言われたがおれに脚立を使いこなしてステージをよくする技術はない。昨年森道市場に出演した時に、遊園地ステージでかましていた2組のことを思い出す。Summer Eyeと、掟ポルシェさんである。遊園地ステージの演者と客が遠い特殊な構造において、夏目さんは柵に上り、掟さんは下に降りていた。できる男は上下を使う。

 開演と同時にたくさんのお客さんが来る。いい雰囲気である。ドラムのなるみさんがこれで卒業であるので、出会った当時のことを思い出さざるを得ない。

 おれがインディロックを7インチでかけ続けるイベントをやっていたところに遊びに来たのが福富畳野であるが、その時点で2人とも少しでも音楽を続けたいと意思が割とはっきりとあって、一方で福田さんとなるみさんは以上でも以下でもなく大学の部活といった感じであった。モチベーションが揃っていないバンドの末路なんて、大体は素早い解散か、メンバー変更である。しかしそれがそのまま続くのである、10年も!

 普通は望んでも10年もバンドなんてできないわけであるから、結局4人とも才能があったわけである。一方で一生は続かないのがバンドでもある。就職はどうするんだ、いつまで続けられるんだ、上京するのか、と辞めてしまうにちょうどいいチェックポイントはいくつもあったはずなのに、すべてを超えてバンドで10年ドラムを叩き続けた姿は、規模拡大の意思が全くなかったのにいま音楽で食っている自分と重ねてしまう部分もある。おれの記憶のホームカミングスはいつまでも昔で止まっていて、演奏が下手であるから、いつ見ても今の現実のプレイのタイトさに驚かされる。無理もない、おれがパソコンをいじっている間に、4人はずっと弾いてきたのである。

 福富畳野はベロベロであり、畳野は後半ずっと泣いていた。福富は「最後にかけたい曲があるんですよ」といい木村カエラのリルラリルハをかけていた。

 なるみさん本人に「もうしばらくは全然ドラムやんないの?」と聞いたところ、「いつ呼ばれてもいいように練習はしとく」と返された。そんな素晴らしすぎる回答がずばりくると思っていなかったので、「そうか〜」みたいなリアクションになってしまった。

 音楽に始めるとか辞めるとかないですよ、程度の問題です、みたいなことを常々言い続けているのは自分自身であった。音楽はやったほうがいい、やれる分だけ!

パレスチナのグッドミュージック

なるべく金払えそうなリンクを貼るようにしています

7ajee - SAMA' 

Popular Art Centerに保存されているパレスチナ民族音楽をサンプリングして制作をする企画 'Electrosteen:' という企画の1曲。全曲いい。

youtu.be

 


Muuden (Sama’ Abdulhadi Remix)

おれが紹介するまでもないパレスチナのテクノDJのエースのリミックスワーク。

 

 

Asifeh - 2003

ラマッラーのラッパー、ビートメイカー。美しい

 

Elos Byuri - Scene 1: Crossroads

ラマッラーのラッパー。UKドリルっぽい雰囲気あるけどビートはまた違うフォーマット。

 

Arhan Afndy - Tale of a Merchant

バークリーで学んだマルチルーツのミュージシャン。アラブ文化と西洋音楽の絶妙な距離感のことを考えたりしてしまう。

 


E R R O R - TEAR$ OF THE DEAD

 トラックがどれも面白い。インスタは何故か全部顔面モザイク(シリアスなのかユーモアなのか空気感すらもいまいち捉えられない)。

 

Masta Shifu- THE KEEPER

紹介した中では一番おれに作風が近い。チョップ&フリップでのインストアルバム。素晴らしい。

 

 

Firas Shehadeh - Vortex

詳細不明。良い作品。なんとなくインスタフォローした。

 

BOUNCYDUCK - childhood memories

 BOUNCYDUCKは多作。聞ける範囲ではこれが一番好き。

 

Bahal Amma - Bahal

metalタグついてるけどなんか独特。

 

 


Bassam Beroumi - Circus

ポップスなんやがやっぱスケールの感覚とかが自分の日常外なので聴いてていい気分になる。

 

Ghost of Myself - Ethereal

アーティスト名からしてかなりいい。サウンドスケープ

 

無題

 最近色々と考えを整理していると、自分の音楽遍歴というのはつまるところ選択の自由を獲得する旅であるのということに気がついた。

 中学生、日本の音楽だけ聴いてていいんか、と思い、いわゆる洋楽を厨二マインドで聴こうとする。わからないので本屋でロッキンオンを読むと、「オアシス、グリーンデイ、レディオヘッドが最高」みたいなことが書いてある。まだ閉じている。とりあえず雑誌でフィーチャーされているバンドを順番に聴いた。高校生、西宮北口バーミヤンでバイトをして、その月数万円の金によって少し開かれた。横のブックオフでいわゆるロックの名盤を安い順に片っ端から買って聴いた。感動はするが、まだしっくり来ない。18歳の時に初めて自分用のPCを買い、インターネットによりまた開かれる。知らない電子音楽が沢山あった。ここでmyspaceやサンクラを通じて、市井の人によって作られた、大量のベッドルームミュージックに遭遇し、ここでようやく、これがおれのための音楽だと強く感じた。それに倣って今がある。インターネットは手に入れられる情報量をブチ上げたブレイクスルーそのものであり、自分にとって選択の自由の象徴みたいなものであった。

 選択するには聡明である必要がある。おれはなにが好きで、なにに興味があるのか、社会において何の仕事をすべきなのか?誰に投票すると世の中が良くなるのか、次の休日は誰と遊べばいい?全ては選択である。時には望んで、時にはやむを得ず。

 正しい選択のため、すべきことは聡明さの獲得、となる。となると果てがなく、これはまた難しい。

 逆に最近のインターネットというのは選択の自由を毀損する仕組みばかりである。threadsも、Xも、選んでもいない人間の発言を読まされるし、選んでいない情報を与えられる。選択をすべきはずの人々は、インフルエンサーにその選択の権利を委ね、「〇〇についてどう思いますか?」と尋ねている。買おうと思う少し前に商品が提示され、選んでもいない怒りを覚えさせられる。選択の自由をおれに教えたはずのインターネットが、おれからそれを奪うなんて!

 自分がDJを好きなのは選択そのものだから(ここでは技術の巧拙を競うようなものは除外する)である。選択、というのは深淵で、聡明なものにはどこまでも開かれた娯楽である。要するに、よいDJとは聡明であると言ってしまってよい。聡明でないと選択なんてできないからである。「DJなんて他人の曲をかけているだけでしょう?」という質問、その通り!いきなりステージに上げられて、「いい感じにしてください」と言われてもたまったもんではない。既存のものの中から好きな音楽を選んで、並べて、いい感じにしてください。その自由度の程度こそがちょうどいい。なんて面白い、これには一生飽きない自信がある。

 音楽を作るのもそうである。DJよりその構成要素の粒度が細かいだけである。選んで、並べて、いい感じにする。カットアップ&エディットは、自分にとって選択の自由のシンボルである。この世の八百万のサウンドそれ自身が、また曲を作るための素材となる。スケーターにとっての街、おれにとってのサウンド。全ての音が材料であるだけでなく、作った料理を再びミキサーにかけ、さらにまた料理に使う。このメタ構造(うんこを食べて、また新しいうんこができる!)はとんでもなく自由である。これによって、かつて自分がそうさせられたように、他人に選択の自由を提案できることも知っているのである。

 

某日

 ソーコアファクトリーでDJ。なんかpaperkraftとかとメトロとかで明るいだけのパーティやりたいなーとかぼんやり考えたり。

 

某日

 hyper thanks bomb氏が上京するというのでそれにかこつけて焼肉。メトメさんとtsumasakiさんも呼ぶ。「みんな一回集合して焼肉とか行ったほうがいいんすよ」という自分に対して「ソーコアでイベントやる?」とメトメさん。1/19。みんな来てください。焼肉オファーも待ってます。

 

11月某日

 JR西日本のプロモーション企画のロケ。同行した、エベレストに登頂経験がある写真家の上田さんはよく喋り、話が面白い。自分もよく喋るわけであるので、全日程しゃべりまくりの刺激的な仕事であった。

 

某日

 町内会を悩ませるカラス対の策を講じる会議が週末にあると知らされる。残念ながらその日は岡崎市にいる。出席できない旨を伝える。これがのちにライフワーク(?)となるカラス当番の幕開けを告げるものであったことは知る由もない。

 

12月某日

 岡崎ひかりのラウンジにてイベント出演。ひかりのラウンジは無くなることが決まっているため、おそらく立ち入るのはこれが最後であろう。到着するや否や、fri珍さんに「トルコ絨毯を買わないか」と尋ねられる。この世には彼のように屋根も空調もないハコを運営しながら、ふと立ち寄ったトルコで大量に絨毯を買い付けてしまう人間もいるのである。「小さめのもあるよ」と言われる。絨毯はいつだって欲しいが置く場所がない。

 BBBBBBBもEOUもそうだが、岡崎出身の若者は面白い。その面白さの一側面を育んだのはこのひかりのラウンジとも言えるが、何をやったかというと場所を与えて自由にやらせただけである。どうしようもない演奏をしたバンドに店長がどうしようもない説教をするだけなのが凡庸な地方のライブハウスなのだとすると、どうしようもないを通り越した珍妙な音を出したところで何も言われない雰囲気があるのがここである。かくあるべき、という規範を取り除くのは想像以上に難しい。というか、規範を取り去るということはクオリティコントロールをしないことであるとも言えるので、儲けるのが困難になるということでもある(ここでも儲かってないといっている)。オルタナティブスペースがちゃんとオルタナティブであった貴重なベニューであったわけである。箱は無くなるが、ここで育まれたおもしろ音楽は続く。

 終わった後にこのみやくんとシソくんとレンタルチャリで三河安城へ。スタンドバイミーみたいな気分になるが、おれの終着点はアパホテルであった。

 

某日

 町内会を悩ませるカラス対の策を講じる会議の結果、カラス当番を持ち回りですることになったらしい。おれの担当は3月と7月である。当番なんて普通に働いている奴はどうするんだ、と思うが、普通に働いているやつ(というかアンダー40代自体が)はこのエリアではマイノリティである。決まったからにはやるしかない。無賃労働を通り越した、会費を徴収された上での労働。資本主義を超えていけ!


某日

 映画VORTEXを見る。自分にとってはやはりディスコミュニケーションについての映画であると感じた。たまたま老いや病気がトリガーになっていたが、そのへんのきっかけはまあなんでもいいのである。誰が悪いとかの理由ではなく、ディスコミュニケーションによって不和がもたらされ、その不和によってどうしようもなくなってゆく様をあまりにまざまざと見せつけてくるので、自分の過去のいろんな記憶とリンクして少し苦しい気持ちになってしまった。最後は死ぬ。死によって不和は解消される(感じ手自身がいなくなる)が、それをどれくらい肯定的に捉えるべきかわからんなと思った。あとやはり人間の尊厳は本当に明後日の方に宿るので、他人からは意味不明である。

 

某日

 久しぶりに自主制作の作品を入稿する。初めて冬をテーマにしたし、初めてストーンズ太郎と一緒に作った。自主制作は最も人生に必要なことであるが、資本主義的には一銭の利益ももたらしてくれない。雪の積もった京都の映像を編集している。今年、京都に雪は降るのだろうか。Cold December e.p.聴いてくれると嬉しいです。

 

某日

 かつておれの特集を書いてくれた京都新聞の松尾さんに誘われ飯。半分は政治の話。政治の話をする用の若者としておれを使う人は人生初。その他の最近の動向とか諸々聞かれる。雑談と情報収集をいい感じに混ぜるその感じはさすがベテラン記者という感じ。あとおれがちくまで書いた金井美恵子書評などを褒められる。文章を評価されるのは普通に嬉しい。

 

某日

 久しぶりに神戸でDJ。JRで人身事故があり到着するのに2時間以上かかってしまった。地元のようで地元ではない不思議な距離感の街。のちに岡山でイベントがあるトーフさんも来ていろんな人と喋る。若者からすると相対的に"売れてる人"として接されることが増えた。音楽で生活してはいるが、いわゆる売れている状態には程遠い。センタープラザの地下の謎の韓国料理屋で晩飯。うまかったが量が多すぎた。
 JRでまた京都に帰ってくる。0:32。めんどくさいのでタクシーで帰る。知らないBUMP OF CHICKENの曲(多分)がかかっていた。いい曲であった。
 ついでに京都メトロに寄る。リカックスと久しぶりに会話。「退職芸良かったよ」と言われる。「芸能を副業にする」「隙を作らない」と宣言していてなんか良かった。太郎とは身の上話をして帰宅。太郎リカックスは同い年であるが、我々に共通する特徴を強いて言うのであれば、真面目で、なかなかに根性があると言う部分な気がする。

 

某日

 家が寒すぎて何も手につかない。暖房器具を調べる。

 1Fと2Fどちらにも導入するのは難しい。電気毛布を買うことにする。おすすめ商品的なのを検索するが、やはり今のネットはこの手の日用品の良し悪しを調べるのはなかなかストレスフルである。本当に使ってんだかわからんやつの謎の商品比較動画たちは時代の産んだ謎の存在である。迷ったら高いやつ。17000円の電気毛布を購入。

 

某日

 武田(ドラマー)がおれの家に置いていたムスタングベースを取りに来た。「年末になると家に山盛り届くから」と言う理由でデカいブロックのベーコンをもらう。明日から毎日ベーコンである。ブロック肉の正しい取り扱い方はあまりよくわからない。

 

某日

 久しぶりの岡山。池宗さんに久しぶりに会う。「仕事辞めたんけ?思い切ったなあ」と言われ、「はい…そっすね…」と答える。「でもやれちょんやろ、がんばれや」。この絵に描いたような岡山訛りを聞くと安心する。呼ばれたイベントは思ったよりオタク寄り。みんなデジキャラットto heartの話をしている。我々はまごうことなき"オタクのおっさん"になってしまった。
 箱のスタッフに「前きたの19年くらいすか?」と聞かれる。正解。みんなよく覚えている。岡山人脈はじわじわと色々なところで躍動していて、ありがたいなと思う。
 池宗さんの奥さんが2時くらいにやってくる。息子さんは高専に入学されたそう。「有村くんみたいになりたいと言っていて・・・音楽にも興味があって・・・」高専は本当に素晴らしい進路なので頑張ってほしい。一方年度いっぱいで理系人材としての価値が消滅する自分を思うと悲しくなる。とは言っても、確かに理系のシマで暮らしていない人にとっては、自分が知人の中で一番イメージしやすい理系なのであったりするのは理解できる。誤ったn=1のサンプルである。
 3時くらいには丹生さんがくる。「のんじょけやあ」と言われテキーラ。「うちんとこのオタクは結構オタクじゃろう」と言われ、「はい…そっすね…」と回答。オタクに優しいタイプの豪傑。「震災ん時有村くん幾つや」「3才すね」「その頃神戸で働きよってのお・・・」初耳。そこから映画館買い取ってクラブやるんだからすごい。いいクラブにはいい若者が育つ。
 最近はよく”オタクさ”の是非について考えさせられる。自分のここ10年は、言ってしまえばオタクの悪いところをなくす戦いとも言って良いかもしれない。

 イベント終わりに「朝に空いている美味いラーメン屋があるんすよ」と言われ連れて行かれる。透き通った煮干しスープ。確かにうまい。朝7時の新幹線に乗車。最近は岡山市内に来るたびに毎度宿泊せず半日程度しか滞在していない気がする。新幹線で気絶。奇跡的に新大阪を超えたあたりで目覚める。

 

某日

 起きたら7時。得した気分。ごねまくった末にようやく発行された適格事業者番号を確認するためにe-taxにログイン。safariでしか開けないことに毎回微量のストレスを受ける。適格事業者番号を会社に連絡。これでやっとパナから金を受け取れる。ネットのインタビューで綺麗事ばかり行っている自分のリアルは金のことばかりである。授業の準備とメール返信。年内また数件打ち合わせを組まれた。今年はもう働きたくない。
 大学に移動。学生の卒業制作の制作計画書にサイン。ちょっとおれが手伝った感が出過ぎているような気がする。他の先生にはどんな印象を持たれるだろう。
 学生に「今日帰り牛丼屋とかよりますか?」と聞かれる。意図がわからず、「腹減るからなー大学帰り」みたいな適当な返事をする。話を聞くと要するに飯に行きたいということであった。「面倒なので、烏丸御池まで来るならいいですよ」と答え、結局学生が2人烏丸御池までやってくる。やる気(安めの焼き肉チェーン)連れていけばいいか、と思ったら月曜定休で、たまたまその裏にあった町屋イタリアンみたいな店に適当に入る。
 店内は20歳前後の学生カップル的な人が5組ほど。歳は変わらないが、こちらはクリスマスにイタリアンを予約するみたいな行為とは縁遠き?2人を連れている。邪魔してしまったカップルたち、すまん。

 

某日

 パナソニック出社日。年明けに納品する成果物の内容の確定作業。我ながらちゃんとやったと思う。サラリーマンじゃなくなった結果、よりソリッドにサラリーマンワークをするようになるのは面白い。
 会社にいると、珍獣見学のようにいろんな人が会いにきて、最近どうなのかを聞いてくる。「忙しいっすけど楽しいですよ」という。会社の人間はおれが貧困に喘いでいると想像している人が多いように感じる。サラリーマンの年収がまるっとなくなったその翌月から普通に生計がたっているイメージを持つのは確かに難しいよなとは思う。不安はあるがなんとかはなっている。
 来年週休3日で社員雇用する話が出る。「ぶっちゃけ週4も会社で働けないすね・・・」みたいに答える。いい身分になったものである。
 一旦帰宅して準備したのちに東京へ。せっかく渋谷以外での出演なのに、下北沢の欠点は渋谷を経由しなければいけないところである。
 BASEMENT BARに到着。いまいち27日が世間一般的に仕事がおさまっているのか、年末年始のカテゴリに入れて良いのか微妙であり、そんな日の深夜イベントであったので、ガッツリ年末感みたいな感じもない不思議な空気感。自分の出番はやたら盛り上がった気がする。ナイスパーティ。主催の谷ちゃんともかれこれ長い付き合いである。

 朝みんなですき家で飯をくう。livehaus組や他の箱の顔見知りと遭遇。下北っぽい。早朝宿泊プランみたいなのを一応取ってはいたが早く帰りたくて不泊。帰宅するためスマートEXで指定席を30分後の車両に変更。渋谷まではいけたが山手線で爆睡。1周半して東京駅で降りる。久しぶりに自由席か・・・と思いながら改札を通ろうとすると入れない。「年末年始は全席指定の運行であり、乗り遅れたあなたは座れる席がない」といった旨の説明を受ける。すっかり忘れていた。「一応連結デッキなら乗れますよ」と言われる。30時間くらい起きているので、立ち座りどころか今すぐ寝たい。「座りたければチケットを買い直せば良いですか?」と尋ねると「ひかりかこだまなら自由席があります」と言われる。しばらく待って7:57発のこだまに乗る。意外とガラガラ。気絶していたら京都。非常に深い睡眠。こだまでなかったら福岡まで行っていた可能性が高く、結果オーライである。

 

12/31

 nanoで平和に年越し。よくわからんけど年末感のあるDJができた。25時にイベントが終わったので取り合えずみんなでタクシーに乗ってシエスタにいく。
 シエスタに着いたはいいがラーメンが食べたすぎて大豊ラーメンへ。うまい。新年一発目の食事としてはかなりいい。航太さんに挨拶。その後ウエストハーレムに顔出したのち、初日の出までもうちょいですね的な会話を横目にしれっと帰宅。
 帰ったはいいがあまり寝られない。3時間ほどぼやっとしているうちに外がしらんでいる。いつ寝たかも覚えていない。

無題

某日

 パナとの業務委託契約初日。「あれ、帰ってきましたねえ・・・」などと所長やら部長やらに言われる。二重就労(複数の企業との雇用契約)を認めない仕組みにより、二択を課された自分は自らの意思で大学を選んだわけで、いってしまえばこちらは選ばれなかったほうである。にもかかわらず、IT系やコンサルなどの業態ではない、化学をバックグラウンドに持つ自分を、社員じゃなければええんやろ、と極論屁理屈みたいな方法で使ってもらえることは、個人的にいうと、”脱サラしてミュージシャン”なんていうもはや紋切り型の擦られたムーブよりも、よっぽど価値があることにも思える。

 会社からすると外部の人間を既存の仕組みの外で例外的に雇用するというのはリスクしかなく、リスクを取るに値すると一緒に働いていた人に思ってもらえることは、サラリーマンとしての自分に下された評価として本当に嬉しい。音楽業界っぽい誇張表現だと「シーンに風穴を開けた」とも言える。このシーンも風穴も世間からするとどうでもいいことであるが、前例ができたと言うことは、また社内でこんな感じで働きたい人が現れた時の道ができたと言うことでもあるし、逆にルールによって雇いづらかった人を会社が雇えるようになったとも言える。これは音楽で過去自分が達成したことと比較しても大きい。たとえ大企業にとっての、対外的な多様な働き方許容アピールのパフォーマンスとしての側面があったとしても、自分のために人がとったリスクというか、大袈裟に言うと勇気みたいなものを思うと、そんな役割は喜んで受け入れようと思う。

 

某日

 複数の学生が授業後にどかどかと入ってくる。申請をして教室を借りていて、みんなでライブDVDを見ると言うのである。なんのアーティストのを見るのか聞くとDUSTCELLだという。huezとかが演出をやっていたりなどしているので曲はもちろん聴いたことあるし、人気があるのは知っているが、自分がSNSでフォローしているような音楽ファンが何か音楽的な面で言及しているのをあまり見たことがない気がする。せっかくなので少し一緒に鑑賞。

 活動規模が大きいので、いわゆるデカ箱を意識したサウンドではあるが、UKやUSのダンスミュージックシーンのプロダクションと直接対応しているようには見えない不思議な作り(意味のわからない音楽を作っている自分が言うのも野暮ではあるが)であり、こうした作りの音楽が、まさにこうやって若者を夢中にさせていると言う事実を肌感としてあまり把握できていなかったのが事実で、改めて自分は10代の感覚を理解できていないのだと思わされる。

 「ネットばっかじゃなんもわかりません、やっぱ現場ですよ」みたいなことは教育現場にいる自分のポジショントークみたいになるので言いたくないが、最低限音楽のトレンドは追っているつもりであったのにこの体たらくであるので、もうネットありきでぼんやり俯瞰して、全体のムードを捉え、総論を述べるのは一部の天才を除いて結構筋が悪い時代であるのだなとは思う。

 自分の最近の基本戦略としては、2点と角度によって正確な位置を観測する三角測量の感覚である。スケールはさまざまで、理系の人間としての専門領域と、音楽の興味対象分野の2点の知識を持ってして、他分野の新情報に相対したり、インディロックリスナーとしての感覚とエレクトロニックミュージックのプロデューサーとしてのスキルを持ってして知らない音楽に向き合ったりとか、まあ要するに、自分の培った自信のある基準点との相対比較のみが、唯一の物差しであると言うことである。

 

某日

 気分を上げるために夕方にインスタライブをしながらECDのDirect Driveのブートeditを作る。テイトウワ氏のリリパで京都メトロ。途中でなか卯の親子丼を食ったのちに会場へ。neibissの2人にいかに世界のナベアツの3の倍数ネタが優れているかの話をする。理解はされたがおれのナベアツへの特別な感情があまり伝わった感じがしない。その後トーフさんが来たので、先日の中村佳穂さんと末次教授との話をまたすごい勢いでする。「うたって言うのは、みんなのものなんですよ!!!」とかいきなりいい出すのは完全にコミュニケーションに問題があるが、トーフさんにはその話を早くしたかったのである。こちらも自分の熱量が正しくデリバリーできたかは不明。氏は最近はDJ時などの撮影機材をGoProからDJI製品に置き換えてみたらしい。

 テイトウワ氏の出番が近づくにつれ楽屋や裏に人が増えていく不思議な日である。中塚さんのトーク以来のFPMの田中さんも来ていて、「最近はどうですか?」と聞かれる。その後HALFBY高橋さんも加えて喋っている最中、この並びは実に京都っぽいなーと思う。と同時に、隠さずに言うと、この京都ラインっぽさを正しく継承したいみたいな気持ちに、最近はかなり自覚的である。

 DJは時間のあやもあって変な感じの選曲。ともすれば軟派とも捉えられるような感じが自分にはあっている。逆張りでも順張りでもなく好きな曲をかける、みたいな当たり前のこと、自分のeditを1割くらい入れること、きめうちのライブセットと異なりDJの時はちゃんとその場で掛ける曲を考えること、逆にその場で考えるための補助として家で準備しておくこと、長い時を経て本当に少しずつではあるができるようになってきた。まじで少しずつ。メインではないが下手の横好きとしてDJも一応もう初めて10年になる。

 

某日

 朝9時ごろ帰宅、一瞬寝たのち前日のメトロの余韻を引きずりつつサーカス大阪へ。lil softtennisのリリパ。城北公園の焼肉屋で2人で飯食って以来。heavenの周辺の若者の面白いところは、先輩とか後輩とかの変なしがらみがほぼ感じられず、本当に友達だけでやってるところである。なのでプレーヤーも客も若い。オーバーエイジ枠として気まずさがないとは言わないが、自分を連れてきたテニスくんの心意気もぼんやり理解しているので頑張らないといけない。この前あったばっかりのvqくんとかaryyくんと雑談。

 かなりお客さんの反応見ながらのDJ。最後はigaくんの曲をかけて渡す。出番後にigaくんと雑談。「有村さんは鴨レ(鴨川レイブ、オタクのゆるいコミュニティ、鴨川で配信しながらDJしたり) の大将だと思ってるんで・・・」と言われる。会ったこともない10代のオタクに大将呼ばわりされる筋合いはないが、福井住みでいながらネットでぬるっとユニオンしていくその感じは自分の青春時代とリンクする部分も多く応援したくはある。

 終演後le makeupイイリと喋る。おれとかイイリの音楽のポップさの中途半端さっぽい話(と言うのは正確ではない気がする)をしたのち、どういう流れだったか「おれみたいなのが堂々としてる方が世の中としてよくないすか?」みたいなことを言われる。その通りである。悪事やズルをしている奴を除いて、全員が堂々とできた方がいい。

 PV撮影するからよかったらーみたいなこと言われたものの、眠すぎて終演後は潔く帰宅。

 

某日

 イベントの前乗りでひと足早く福岡へ。大智と焼肉屋で飲む。大学の同級生で、自分と同じで学部時代にさっさと留年し、周辺の工学研究科の卒業生の中でも珍しくさっさとフリーランスになった男である。

 大学時代の我々の悪いところというのは、ざっくりだらしなさ半分、もう半分はせねばならない、みたいなことに対する変な逆張り精神みたいな感じである。あとは謎の倫理意識というか変な理想論がある。それらの性質が良くも悪くも作用して、なんか知らんが自由業で生活している。

 大学の同級生に会う機会は大体誰かの結婚式であったので、コロナ前後はなかなか疎遠であった。くっちゃべること数時間。酔っ払いながら夜の福岡の街をゆく。大学の同級生の30代、基本みな立派なキャリアである。自分はインチキ枠として、なんかあいつ楽しそうだなみたいな感じを目指していきたい。

 

某日

 出演のため福岡grafへ。キースとセレクタ以外行ったことなかったので新鮮。プロジェクターに謎の縦線が入り込む、みたいなトラブル対応でひと盛り上がりしたのちに皆で一旦ラーメン屋へ。

 福岡は久しぶりなので楽しい。皆やたら酒を飲む。へべれけでライブセットとDJ 。MarbleくんがかけていたHALFBYのRodeo Machineのベースラインリミックスをはじめとする諸々が気になって色々教えてもらう。

SEGA NERDCORE GENERATION | Allkore

Stream 『Subculture BASSLINE EP3』Crossfade #SBE_1225 by FAIZ | Listen online for free on SoundCloud

 この曲がニコ動でミーム化していたこと、ブートを作ったのがTom-iくんなこととかも全然知らなかったし、FAIZくんとか3R2さんとか一緒になるイベントも決まっていて、なんか久しぶりにこういったネットレーベル黎明期みたいなノリを思い出す。やはり自分のdigにはムラがある。

 イベント終わりにキースフラックにいく。村瀬さんに挨拶をした記憶があるがかなり怪しい。ベロベロで親富孝通りを歩く。ハロウィンの週末であり変な仮想の若者とヤンキーが入り混じっている。道端で死んでいるとピスタチオスタジオのdiscordサーバーで酒癖の悪さをいじっていたはずのタンくんがきてくれてホテルまで連れて行ってくれる。持つべきものは優しい友達。いつ寝たかも覚えていない。起きたら枕元に2こ食ってもいないからあげクンが置いてあり意味不明であった。

 

某日

 templimeのリリパに出演するため東京へ。agehaなきいま、新木場に行く機会がこんなに早くやってくるとは思わなかったし、あと毎回思ったより遠い。

 1000キャパでのDIYイベントを主催するtemplimeチームの胆力は凄まじく、そして当日は運営兼プレイヤーとしてみなバタバタである。ゲストのパーゴル、tomgggさん、ソーゼンくんは呑気に海を見ながらひたすら雑談。ラウンジネオ周辺の、”トラックメイカーのライブ”という謎概念の普及とともに活動の幅を広げた我々であるが、パーゴルもtomgggさんも自分も興味の有無の問題もあるが、こういった主催イベントを大々的にやる、といった行為をサッパリしていない。「自分らがサボったぶん反面教師として若い子が頑張ってるのかもしれないですね」みたいな話をする。そういう意味でもパソコン音楽クラブはすごい。

 ノーノウハウでの1000キャパDIYイベントが完璧に首尾よく進行するわけもなく、諸事情でタイムテーブルの調整が必要ということになり、呑気に雑談していた我々の持ち時間を全員10分ずつ減らすことになる。この辺は皆さすがで滞りなく対応。

 人はたくさんいるが温まりきってはいない、みたいな時間帯に火を入れに行く、みたいなミッションを課される時がたまにあるがこの日はまさにそうであった。みな真の目当てはtemplimeであろうが、イベント全体の満足度は我々サポートアクトの質にかかっている。10分減らした分想定とは別ルートで持ち時間を走破。

 出番後はまた海を見ながら雑談。templimeは演出も含め圧巻のステージ。年下年上関係なく日々勉強である。もう皆と知り合って随分経つし、同じように活動しているが、年下の台頭も含めて立ち位置は緩やかに変わっていく。みなそれぞれの得意分野を活かして生活している。アーティストとしての個人活動、広告音楽制作業、プロデュースワーク、その他個人の属人的なスキル。内訳は似ていても割合はバラバラである。テニスくんも加えてみんなで帰宅。

 

某日

 新木場からやや品川に寄せてホテルで一泊したのちに京都へ。一瞬自宅で荷物を取って学園祭出演のために京都精華大学へ。バイク置き場で荷物を整理しているとわざわざ学祭実行委員の人が迎えにくる。わざわざすんません。

 イサゲンと展示を回ったのちにステージでライブ。意味わからんほど緊張してしまった。コピーバンドの合間に、謎のおっさんとして謎の音楽をかけるだけ、本当に大丈夫だったのであろうか。

 終演後にボカコレ経由で知ったタチマナユさんとか鴨レのメンバーとかIRIGINOくんとかfujimaruさんの新旧青木孝允さんの教え子邂逅とか色々ごった煮でおしゃべり。別々にはぐぐまれたバイブスがだんだんリアルで交錯し始め、京都のDTMシーンは確実にグルーヴし始めている。おもろいタイミングにおもろい立場でそれらを眺められて役得である。

 一旦制作仕事の打ち合わせを空き教室でしたのち、ちょっと遊ぶ。サバゲサークルの出し物でエアガンを触ったりしたあと、クイズサークルのブースでひたすらクイズ。クイズは面白すぎる。居合わせた参加者がトニカクカワイイの話をしていて、オープニングの曲を作らせていただいていて・・・などと話す稀有な機会も。

 

某日

 学園祭の勢いそのままに神戸へ。タクシーに乗って「湊河湯までお願いします」というと「この前新聞にも乗ったんですよ、活気がありますよ」と言われる。そんなみんなに知られているのか、と思いながら「今日は音楽イベントがあるんですよ、楽しみです」と答え下車。

 久しぶりのパ音柴田くんと関西の友人各位。銭湯でDJ。ブギーゴット温泉、というタイトルなのになのにみんな社会性があるのかないのか好き勝手DJ(ひたすらアンビエントだけかけたり)をする。逆にafrくんは完璧にブギーのDJをしている。自分はこういうイベントが好きである。

 京都のDTMシーンは確実にグルーヴし始めている、と感じた昨日同様、こういった自分が出るようなイベントにくるお客さんが、だんだんお客さん同士で仲良くなっていって、こちらもグルーヴし始めている感じがある。「内輪すぎ、客が全員DJ」みたいな揶揄がネットに沸き続けているが、自分は内輪の拡大こそが正しいアプローチだと考えているし。DJしていない人間には全員DJをさせたいと思っている。異論はあって然るべきだが、こちらは本気で考えてこうなっている。

 流石に3日も週末イベントが続くと制作仕事が滞る。朝までには修正しないといけないので打ち上げ行かずに帰宅。打ち上げだけもう一回やってください。

 

無題

 かつてのインターネットには(理由や背景はさておき)明確に嫌儲のムードがあり、2chにせよ、Twitterにせよ、アフィリエイトリンクを貼ろうもんなら親の仇が如く叩かれる、みたいなことは日常的に見かけられるようなことであった。2010年代前半には、もうすでにファッションないしはライフスタイルを上手に見せて人気を得るスタイルや、電子工作やガジェットレビューをするようなアカウントが散見されたが、アフィリエイトリンクをちょろっと貼っただけで、ヲチスレの住人に粘着されて退場させられる、みたいなことを見かけたりなどしていたわけである。

 恐ろしいことに、10年の時が経ち、TwitterはXとなり、嫌儲どころか、公式に提供された機能としてインプレッションが換金できるようになってしまい、それを推奨するような場になってしまった。かつては嫌儲の餌食であったはずの芸風そのままに、トップのYouTuberはプロ野球選手くらい稼いでいる。サービスそのものが広告機能をトップに置いている、ユーザー総アフィリエイト時代であり、それはもう天地返しの様相である。油断していたら全てが逆さまになってしまった。あれよあれよという間にそうなっていて、ムードが反転した瞬間を自分はいまいち捉えきれていない。

 インターネットの基本思想はどこまでいってもリベラル、ないしはオルタナティブであると思っていたが、それは完全に幻想であり、資本主義の重力の前では落下するのみ、というのはかなり凹む話である。せめてもの反抗で、自分は自らの思い描くクラシックTwitterスタイルを無理やり貫いているが、常に戦車に竹槍で挑んでいるような気持ちである。

 

某日

 ウエストハーレムでマゴチとntankくんとDJ。b2bでレゲエとかラバーズの流れになるとかける曲がない。ハーレムでのDJは出稽古みたいな気持ちである。毎度楽しくやっているが、今回も課題を残して終了である。次にマゴチに会うのは彼がイギリスから帰って来た後である。どんなテンションになってるのか。

 クローズした後は大鵬ラーメン食ってまやこんぶの店であるD場へ。シローさんと激論していたら朝7時であった。

 

某日

 uku kasaiさん企画出演のため表参道wall&wallへ。シュッとしたベニューでのデイイベはまた少し気持ちの置き所が変わってくる。深夜は嫌だがデイイベなら来てみよう、平日なら来てみよう、渋谷はごちゃごちゃしているから他の街なら・・・と場所や立て付けがほんの少しかわるだけで来る人がガラッと変わるわけであるので、やはりいろんなところに行った方が得である。などと思っていたら姉が遊びに来た。最初は特に理由なく見て見ぬ振りをしていた(最終的には話しかけました)。

 終わった後は近藤くんとリズムの話をしたりvqくんと世間話をしたり、ukuさんと謎の2ショットを撮ったりなど。名前だけ見て初めてかとおもっていたKenjiさんは知り合いであったし、木村くんは面白い人間であった。ukuさんに「来週はバンドのイベントに混じるの緊張しますね」と言ったところ「有村さんがいるのでまあ大丈夫です」というよくわからない回答。

 夜はいつもと違う街に泊まりたかったので赤坂へ。とは言っても特にすることはないので、コンビニでどら焼きとコーヒーを買ってホテルの部屋へ。目が覚めた頃には世間は平日、月曜日である。古い友人とランチをして帰宅。

 

某日

 前職の飲み会に呼ばれて参加。いろいろあって辞めた時に諸々尽力してくれた人事の方が来てくれたというのが参加の大きな動機であった。ゆっくり喋る機会がないまま退職したわけであるが、その節はお世話になりましたとこうべを垂れる他ない気持ちになる。働いている個々人はやはりいい人が多く、自分のために色々やってくれたわけで、言ってしまえば急に辞めたのは自分であり、大人数を働かせる上で秩序を保つためのシステムが自分の希望とマッチしなかっただけの話である。

 サラリーマン時代は会社の人とプライベートで遊ぶこともなかったし、自分の身の上話、特に音楽活動の話はめんどくさかったので積極的にすることもなかったが、同僚でなくなった結果、なんのひっかかりもなく無邪気に音楽の話などをできるようになり、そしていまの状態の方が、なんとなく健康的な気はしている。

 

某日

  北加賀屋のダフニアで出演。北加賀屋の雰囲気は好きで、ダフニアも好きな箱である(家から遠いことを除いて)。

 新譜が出たばかりのメトメさんらと雑談。ソバベアがよく”ブチ抜く”という言い方をするが、そういった類の活動における心意気と、自分も含む関西中堅トラックメイカーののんびりした感じの対比の話をする。

 もう10年近く音楽をやっていると、モチベーションとかが真の意味で消滅する心配はあまりしておらず、いまも継続的にアルバムなどを出しているわけである。アルバムを出しても無反応、ということは流石にもうなく、それなりのレスポンスを世間や友人からいただける。逆に、作品を出すことで大金を得られたり、音楽シーンに風穴が開いたり、人生が一転することもない。身近に打ち負かしたいライバルなどもおらず、ローカルイベントなどで友達と遊ぶのは楽しい。そういった感じで、肩の力が完全に抜け切った状態で楽しくやっていると、「この作品で世の中をかえてやるんじゃい!!!」みたいなテンションからどんどん遠ざかっていく。

 ソバベアの言葉を借りて、世の中変えてやるんじゃい性をまとめて”ブチ抜く”気持ちと呼んでいるが、最近の自分はどうやら最近そのブチ抜き精神を取り戻したいと思っている節がある。しかし狙って取り戻せるものでもないわけで、どうやって己に火を入れていくのか、別にサボってもいないのでそもそもその必要はあるのか、というのが今の自分の悩みであることを再認識する。

 

某日

 夏休みが終わり大学の授業が再開。次みんなに会う時は寒くなってるんやろうな〜的な予想とは裏腹に、汗ばむ陽気の中での登校であった。関わっている生徒のみんなはどんどんできることが増えていて、見ているだけでも楽しい。そりゃ卒業式で先生は泣くわけやと思ったりもする。

 

某日

 引っ越して以来ダンボールからすら出していないCD達を整理する。ECDのmelting podが出てきたので作業を止めて聴く。ついでにECDIARYも引っ張り出してきて読む。本当に素晴らしい音楽や文章である。

 本の中に、悪しき感情に味方を求めない、と言った旨のことが書いてあり、まさに今の時代に必要な心がけやな〜としみじみする。あいつマジで気に入らんねん!と思う。OK。あいつマジで気に入らんねん!と友達にこぼす、ギリOK。あいつマジで気に入らんよな?そう思わん?、はいアウト。悪しき感情はいくつになっても消えそうにない。この先も妬み僻みから合う合わない好き嫌いまで、あらゆるネガティブな感情と付き合っていかなければならないが、同意を求めない、というのは割と現実的な目標にしやすい。このブログにも割となにかに怒っていたり、批判的な内容を書いたりするが、読み手を焚き付けて共に怒らせるようなものになってほしくはない。

 一転こと政治的な話になると難しい。インボイスは歴史に残るゴミ制度であるが、「インボイスゴミ!」とSNSに投稿することは一応人を焚き付ける類の行動になるわけである。はてどうしたもんか?そんなことは差し置いて、インボイスはゴミ!!!

 

某日

 raytrekさまのデスクトップパソコンのプロモーション企画の撮影。株式会社サードウェーブさまからはパナ時代にパソコンやグラボを買いまくっていたので、思わぬ角度からの復縁である。

 チャリで朝飯を買いにコンビニに向かう途中に撮影チームとエンカウントしたところからスタート。見たことある人がいるなーと思ったら梅田サイファーのteppeiさんであった。カメラの位置決めなどをしたのちに近所の中華屋で昼飯。小休止ののち撮影。焦りすぎて対して何もできんまま企画は終了。

 後から合流したnamahogeさんからもインタビューを受ける。もはやどこまでがインタビューでもはや雑談なのかわからないが、またぶち抜き/非ぶち抜きの話をした気がする。

 夜にはみんな撤収してしまい、あんなに賑やかであったのが嘘みたいである。残されたのはでかいPCのみである。京都までわざわざありがとうございました。良い1日でした。

 

某日

 近藤くんに誘われての下北沢でのno buses企画。basement barに行くのは学生ぶりである。

 いうてもアウェー寄りではあったので時間を潰しに最寄りのバーミヤンへ。ぼーっとしてるとテーブル席にホームカミングスのメンバーがやってくる。その延長線上にすごい勢いでビールを飲むle makeupイイリの姿もみえる。すごい関西人の磁場やなと思いながら後ほどイイリに「すげえ飲んでたね?」と聞くと「3000円もしたんすよ!バーミヤン高くないすか?」などと言っていて、お前がたくさん飲んだだけ(バーミヤンの生中は499円である)やろうと笑ってしまった。開演後は

チーム電子音楽のukuさん、遊びに来ていた川辺くんなどと雑談。

 ライブしたバンドが撤収したステージに机を出されてそのままやるのは結構久しぶりであったのでやや緊張。PC一台で単身ライブステージに立つのは、スペース的なガラ空きさもあってなかなか度胸がいる。昔は内容も良くなかったし、意味わからんやつとして見られてスベることも多かったが、なんというか世間的に受け入れられつつあるのか、「ああこのパターンのアーティストね」くらいにみられている感じがして、世の中の機運というのは変わっていくのだなあとか考えたり。最後not wonkのブートeditをかけて終了。ステージ降りて雑談してると期せずしてボーカルの加藤さんが来ていたのが見えたのでブートレグ行為を詫びようと思ったが話しかけられず。聴いてくれた人はありがとうございます。

 初めてライブをみれたSATOH、自分の記憶より5倍くらい演奏が上手くなっているホムカミ、企画主no buses、関西時代に一瞬バンドもやっていたmatton擁するbed。意外にゆかりのある出演陣。久しぶりに下北沢インディを堪能した気分に。

 なんかダラダラと飲んでいるうちに朝になってしまう。富士そばでlivehausのコバチさんの貰い事故的な不運を拝みつつ帰宅。予約したホテルには1秒たりとも滞在できず。

 

某日

 中村佳穂さんとかずおが大学に遊びに来る。佳穂さんに連れられて末次教授のゼミに遊びにいく。

 そこでの話があまりに面白く、本当に全部記録して後世に語り継ぎたいほどの内容であった。日本の土着文化の研究を通じて"うた"に惹かれていった末次教授と、音楽家として様々な経験を経た佳穂さんの話を統合すると、(細かいディティールをすっ飛ばしてはいるが)「うたはみんなのものである」ということを言っているのである。うたはみんなのもの、なんか有り体な話であるが、人生をかけたこの2人がそういっているという事実の迫力はちょっと自分のテキストでは表現するには手に余るものであった。

 その後イサゲンも合流して居酒屋でひと盛り上がりしたのちに木屋町へ。適当に歩いていると偶然Colloid(佳穂さんのバンドのコーラスなどを務める)のメンバーが働いているバーに辿り着く。「趣味のおじさん的に続ける自信はあるが、ぶち抜き精神を取り戻したいという欲もあり…」というここ最近の悩みを相談したところ、かなり実践的なアドバイスをいただいた。佳穂さんはどこまでも行動ドリブンである。自分はごちゃごちゃと考えをこねすぎる傾向がある。

 

某日

 幽体コミュニケーションのリリパ。京都ラインの先輩後輩を繋ぐ良いメンツである。まだまだ後輩っぽくいたい気持ちもありつつ、自覚を持って中堅ポジでなければならないとも思ったりする。

 メトロのフロアの長辺側でやるのは結構久しぶり。お客さんのバイブスが仕上がっている時に勝ち戦的にやるのはボーナスっぽくて嬉しい。 幽コミのライブは想像以上に仕上がっている。変則編成のライブが仕上がっているということはたくさん試行錯誤したということであるのでまっすぐリスペクトの気持ちが湧いてくる。序盤からイケイケのパーティであったのに尻すぼみにならない堂々たる演奏であった。

 谷くんきっての希望で朝まで営業してるとあう焼肉屋へ。imaiさんとすごい勢いで喋る。「続けてると仲間は増える一方だからね〜」みたいなことを言われるが本当にその通りである。面白い若者に出会うたびに思うが、みんなちょっとずつ自分の想像する範囲からズレた感じがある。自分がよくしてもらったのもちょっとズレていたからかもしれない。音楽は時代は進むにつれて常にズレているがゆえに、伝統芸能を継承するようにはいかない。常に思ってたのと違うような奴が現れる。ようするに、ずっと面白いということである。雨の深夜、藤原くんとチャリで帰宅。

 

某日

 目が覚めると服から焼肉の匂いがする。がっつり1時間以上湯船に浸かって気持ちをリセットし加西市に向かう。本当にただ加古川沿いを進んでいく加古川線、小野と加西を結ぶ北条鉄道。自分は開けた景色を見るとやたらと感動してしまう謎の性質があり、どちらのローカル線の車窓のビジョンも琴線に触れるものであった。

 兵庫県加西市のギャラリーvoidに到着。下のtobira recordに行くとマイルス(hairkid)と奥さんが買い物していた。高尾俊介さんの個展 "息するコード"参加のための来訪であったが、肝心の高尾さんが道中パンクに見舞われ遅れているそう。一番乗りであったので加西イオンのミスドで時間を潰す。

 インターネット遊びの薫陶をうけた2010年代前半のツイッターにおいての人脈は本当に根強い。takawo杯のノリを眺めていた頃からすると、自分がミュージシャンになりその主催者の個展にでるとはさらさら思っていない。継続狂としてのシンパシー(であると自分は解釈している)から、高尾さんのこれまでのデイリーコーディングの活動や、おれのDTMワークショップへの参加など謎の相互干渉をして今に至る。

 場所柄もあり、子供連れの方がたくさん集まっている。自分が曲を流していると、子供が踊り出したり、笑ったり、突然泣き出したりする。それを見ながらまたさらに自作の曲をかける。天気も良く、夢のような休日の景色である。

 最後のトークセッション。息をするようにコードを書き、日常の所作として成果をネットにアップする姿勢において、どこからが練習でどこからが本番か区別していますか?とか作品の完成を完成させることや対外的にプレゼンすることをどれくらい重視していますか?といった質問を、自分の悩みの解決の糸口になるかもしれないと思いながらする。「周りからアーティストとして見られるようになったし、こうやって個展もする。その上で、それでも自分にとっては、そんなことよりも毎日作り続けること自体の方が大事ですね」といった旨の回答が臆す様子なく真っ直ぐにスッと返ってきて、それはそれはくらってしまう。実際のところ最近の自分はそこまで言い切ることへの不安を感じていたのである。WIPばかりを上げてまとまった作品を出さない年下に無邪気に「アルバム出しなよ」とか言っちゃったりしていた自分であるが、それは本心ではありつつも、アーティスト活動という意味でのメリットデメリットみたいのものを内面化しすぎただけとも言えるのかもしれない。作品を残すことは価値がある、というのはアーティストやっていきサイドの都合であって、実際楽しく音楽を続けられるのであれば、作品のリリース事体だって本来は必要のないことなのである。(とはいってもおれは少しでも他人の作る音楽を聴きたいけど!。)

 ようするに、自分は結局音楽を仕事にしたことで、”毎日作り続けること自体”以外のことを考える時間が増えすぎた結果、中心の位置がよくわからなくなっただけなのであった。すがすがしい気持ちであり、高尾さんに感謝である。

むだい

 kindleを購入して以来割と電子書籍を買うようになったが、一方でいまだに紙の本も買っている。気に入った本を紙で、というわけではなく完全にその都度の気分である。が、物理的な圧というのはなかなかなもので、リビングに未読の本を放置していると、なんとなく読もうという気分が湧いてくる。積まれた書籍はさながらパチンコの保留玉のようであり、自分はそれにある種の心地よさを感じるのである。

 一方で、例えば音楽のサブスクサービスにある膨大な未聴の音楽に対して、保留玉的なポジティブな感情があるかというと、不思議なことにそんなにない。こんなにも音楽に興味があるにも関わらずである。SNSもそうで、いまや無限のコミュニケーションにもはやポジティブな印象はない。こんなにも人間に興味があるにも関わらず!

 最近は「伏せられたカード」という比喩を自分はよく使う。音楽、本、知らない土地、出会ったことない人といった、知らないものというのは伏せられたカードである。つまるところ、近年のテクノロジーは伏せられたカードの供給を過多にしただけで、我々のめくりキャパは驚くほどへぼいという話である。

 おれたちは大してめくれない、だからこそめくり方こそ個性である。願わくば、夢が広がりんぐ♩と思いながらめくりたいものであるので、そのコツを探すわけである。

 そういう意味で、サラリーマンでなくなったここ最近は、人生でも最もめくりまくっている期間であるといってよい。最近はもはやめくり疲れを起こしつつある。

 

某日

 セカンドロイアル20周年イベント。"セカロイの感じ"というのは自分の音楽嗜好に非常に大きな影響を与えたが、それはいまこうやって改めてみてもぼんやりとしている。インディロックの7インチをただ頭からケツまでかけてカットインする、ややチャラいダンスミュージックをかける、4つ打ちマナーでディスコやハウスを繋ぐ、国内インディがアンセムとして使われる……など自分の基礎になった部分は多いが、いま思うと、上手くは言えないが、どれも若干ヘンテコな手触りがある。その手触りは全てセカロイのリリースに反映されているわけではなく、パーティ特有な部分が多々ある。そのヘンテコな手触りに何度も感動させられた結果、部分的かつ、ささやかに継承したのが今の自分であるが、あまりにセカロイのパーティがやっていなかったので、そのことすらすっかり忘れていたのである。

 朝になると馴染みの面々はみなへべれけである。ホームカミングスの面々と喋りながら京都の街を歩いているとどうしても学生時代を思い出してしまう。早起き亭のうどんを食いながらコンコスの太一さんとライブ象の話をする。横でツナと幽コミのpayaくんが話を聞いている。道路の前で老人たちがラジオ体操を第3まできっちりやりきっている。フリーズドライされたいつかの京都をお湯で戻して食っているような気分であるが、懐古というわけではなく、食うたびに少しずつ、いろんなものが更新され、前に進んでいると感じる。

 

某日

 セカロイのへべれけさを引きずったまま大阪ミルラリへ。謎のやる気によって全編自作のアニソンブートの謎セットを披露。ガビガビの状態で抽出された田村ゆかりさんのボーカルでしか震えない魂がある。早見沙織さんと曲を作ってから、一応自分もアニソン作曲者の枠に片足突っ込んでしまったわけであるので、こういうギリギリの遊びをいつまで続けられるのだろう……などと考えてしまったりもする。

 自分が普段行くようなイベントと比べるとアニクラの熱量というのはもはや別競技である。それなりにアニメはわかると思っていたが、それは完全に驕りで、本当にアンセムとして使われている曲が半分もわからない。ときどきイサゲンに解説を求めると優しく説明してくれる。「これは〇〇が舞台で…」ときどき飛び出す"本質アニメ"という言葉が気に入ってしまい、やたら頭の中にぐるぐると回っていた。一万いいねより一番いいね、覇権アニメより本質アニメ……

 サンドリオンのオタクとサンドリオンの話をしたり、ケビンスのオタクとケビンスの話をしたり、近年のなろう系の動向を聞いたり、神戸以西のアニクラシーンの話を聞いたりと、普段しないような話題を凄い勢いで摂取。本当にいろんなことを関わらせてもらった結果、それぞれの領域のオタクに認知されるのは役得としか言いようがない。

 楽しかったので打ち上げでも割と飲んでしまい、前日からの飲酒積算でレッドゾーンに入り帰りの電車で気絶。

 

某日

 大橋史さんが授業資料を見てほしい、というのでdiscordで話す。オーディオビジュアルの概説をする上で、しっかりドイツの表現主義らへんから話がはじまるあたりに、説明責任マンのイズムがみえる。着地の結論があまりに音楽的すぎて、「あまりに音楽的すぎますよ!」といった旨を伝えて終了。

 自分の創作物への説明責任をどこまでまっとうするかという意味での大橋さんのスタンスはかなりいくところまでいっている、みたいな話をヒデキックとした記憶がある(ヒデキックは大橋さんのHP制作を担当、その説明責任が発揮される構成になっている)。そういったスタンスに影響を受けて、自分も世間的には比較的説明責任まっとう寄りの派閥である。

 最近のSNSはどこまでいっても延々手癖でセッションしているみたいな感じがあり、腰を据えた知識の集積とは相性が良くないように思われる。映像tips紹介アカウントみたいなものは大体「イージングの違い!」みたいなガワの領域以上の話はしてくれない。ぽたぽた焼の裏のおばあちゃんの知恵袋を読むのは楽しいが、1000個覚えたところで体系とは無縁である。プレイヤーが少なく、大して需要もない領域で、少しでも体系化して積んでやろうというモチベーションは自分にもかなりある。

 

某日

 トーフさん中心に劇伴をやったドラマを見たいのに、今自分の住む京都の謎の戸建ては地デジエリア外という謎である。ケーブルテレビを引けば見れるということで手続きを進める。

 ケーブルテレビの工事〜契約フローはあまりにも老人向けにチューニングされており、パスワードは紙に書いてメモりましょうとか、機械の設定はスタッフに任せましょう的な運用ばかりでありあまり自分との相性は良くなかった。「パスワード…私は紙に書かなくてもいいです」みたいなことを言いながら、偏屈な正義マンと思われてんのかなーとか考えてやや落ち込む。デジタルリテラシー的な観点で、パスワードを書き下した紙を冷蔵庫に貼るのは論外と言えるが、パソコンの苦手な老人にその理屈を押し付けた時の実践的なメリットは本当にない。

 

某日

 zerotokyo出演のために新宿へ。早めに出たのに新幹線が雨で途中停車し、品川まで結局4時間近くかかってしまった。

 西山くんと喫茶店でお茶したのち会場へ。一時期は諸事情で新宿に来まくっていたわけであるが、今となってはほぼ縁のない街であり、深夜の歌舞伎町なんてずいぶん久しぶりである。

 楽屋は馴染みのメンバーばかりで、この馴染みの面々のまま会場だけがデカくなり続けているのは不思議な気分である。出番前に岡田さんと少し喋る。話したいことが山ほどある気がするのにいざ会うと当たり障りない感じの話ばかりしてしまっている気がする。自分の出番をまっとうしたのちは同窓会みたいな気持ちで過ごして朝。みんなで寿司を食う。fazerockさん文園さんマジで久しぶりに会った気がする。

 

某日

 お誘いをいただいていた美学校での初心者向けワークショップ(自作音源視聴会)。知らない人を集める、最初は硬い雰囲気であるが、音楽を聴き合っているうちにもはや自分の存在は不要になり、みんなが勝手に喋り出す、という一連の流れは本当に何度やっても感動的である。

 前に立って話すような場にわざわざ来てくれるような人は、自分にそれなりのリスペクトを払ってきてくれる人が多い。しかしそれはどこまでいっても、ネットとかのフィルターを通しての、多少ドラの乗った状態の上方修正された自分を見ているわけである。自分にできることは、そのイマジナリー有村に接近する努力をするだけである。

 なんなら本名も年齢も知らんが、作ってる曲だけはよく知っている、といった距離感の友人知人、という存在は自分の人生のブレイクスルーであるといってよい。週5で遊んでる、とかあいつのことはなんでも知ってますよ、的な濃度のコミュニケーションが得意でないことに気づいて以来の人生において、だれも誘うことなく友達に会いに行けるクラブというシステムと、創作物を介したふんわりコミュニティの2つは本当に素晴らしかったのである。週5で遊びたくないくせに週5で喋っても足りないくらいの喋りたさをもつ自分にとって、音楽作ってクラブに行く、という一連のフローを獲得したことはもう本当に僥倖としか言いようがなく、似たような人に似たような思いをしてほしいというのが今のモチベーションである。

 いい気分で打ち上げしたのち、タクシーで下北に行って安東のリリパ。安東の持つ本当のプロップスが出ている。zerotokyo〜美学校の連チャンからくるおれの疲れもかなり出ている。連泊のためホテルは歌舞伎町である。いまから歌舞伎町戻んのか….と始発前に死んだ顔で街を歩いていると、ネイビスのヒョンくんに声をかけられてまた驚く。センチメンタルになるぞ気をつけろ!

 

某日

 歌舞伎町最後の朝に無理やりスーツケースを閉めようした結果完全にファスナーがぶっ壊れる。大学生のときに買ったものなので大往生である。

 ファスナーの締まらないスーツケースを抱えて新宿のビックカメラへ。「ぶっ壊れたこれと似たやつください…」といって勧められたやつを購入。そのまま中身を入れ替えてもらう。万引きと勘違いされないように新品のスーツケースに"ビックカメラ"と繰り返し書かれた赤い帯を巻かれる。さっきまで商品であったものを我が物顔で自分の荷物を詰め転がしている。その様子を見ていると急にカゴダッシュ(おれが高校生のときに関西を賑わせた不良行為、カゴに商品を詰めてただダッシュで店を出る犯罪版ピンポンダッシュ)のことを思い出す。

 あの頃カゴダッシュをしていた、娯楽のために(法を冒してでも)スリルを求めていた層は、いまやスリルだけではなく金も必要で、特殊詐欺や闇バイトをしているわけであるから、世の中はえらいことになっている。

 

某日

 最近は「漁師的な態度」について考えさせられることが多い。漁師はアカデミックな視点のみでは海や魚を学ばない。経験の積み重ねで、悪天候や、危険な魚、毒への対処を学んでいく。全ては経験則の実践的な知識である。それに対して、学者的な視点があって、魚の学術的分類は〜みたいな話があるわけである。

 誤解を生む表現であるが、町の医者というのは漁師である。あくまで医学の研究者ではなく、経験の積み重ねで治療に向かう。薬ひとつとっても、薬学の研究者はin vivoでの薬効の発現の機構を解明するモチベーションがあるが、医者は基本的にそこに興味はない。

 この漁師-学者の関係を考えたときに、世間は漁師的なアプローチを肯定しがちであるなということを感じる機会が増えた。要するに、クラゲに刺されたときに、「このクラゲに刺されたら酢をかけて触手を取り除け」と素早く対処できる漁師は好意的に取られ、その神経毒の発現機構を理解する学者の価値は軽視されるという話である。未知のウイルスに立ち向かうためには漁師的な立場と学者的な立場の両輪が必須であるが、世間的には漁師偏重で、細かい理屈を適当にやるので、学者サイドを陰謀論で埋めて全体を見たりするわけである。

 こと音楽、さらに言うと音響エンジニアリングにおいてはさらにそうで、大きな体系が存在していないので、現場のエンジニアの漁師的な情報の価値が極めて大きい。価値が大きいが故により漁師偏重であるが、経験で勝負にならない分自分はもうちょっと学者的でありたいなーとか思ったりもする。