無題

某日 

 最近は、考えに逃げられる、みたいな感覚が強まっている。これはただイキった言い方をしているだけで、とどのつまり、いろいろなことをすぐに忘れてしまうというだけの話である。カスみたいなSNSの投稿、制作のアイディア、感動した曲、印象的な出来事があり、それらに対して抱いた感情みたいなものが、油断するとするするとどこかへ行ってしまう。これは結局、自分の感動する対象がどんどんぼんやりしてきたという理解をしている。

 歳をとるにつれて、大学に受かりました、とか自分の曲がレコードになりました、とかいった類の、具体的な(自分がこの先達成しうる)実績解除項目が減る一方なのに対して、いい感じの人間関係を築きたい、とかいい感じに暮らしたい、とかいった風に、ファジーな欲求ばかりが膨らんでいき、それに対してのファジーな感情ばかりを抱くので、そもそも捉えにくく、すぐ忘れてしまうのである。

 こういう状況に対して、音楽や、文章を書くというのは実にはまりがいい。ふんわりとしたなにかを、どうにかして留めてやりたいのである。

 もやもやとしたモラトリアムを経て、徐々に人生は現実にフォーカスしていき、収入が、結婚が、出世が、子育てが〜とどんどん悩みが具体的になっていくはずなのに、その全てから距離を置いて(ないしは置かされて)、この手の曖昧さを満喫しているいまの状況は、幸せであると考えてはいるが、素直に誇らしいものであるとは言い難い。

 

某日

 フジロックで神ライブをしたようであるLIZZO が、その翌日にハラスメントを告発されている。冷房の効いた部屋でSNSを見ているだけの自分にとっては、その反応の潮流の反転について行くことさえ出来ない。

 最近はライブの暴力性についてよく考える。我々は神ライブを見ると、本当に信じられないくらい感情を揺さぶられて、それこそ人生を変えられたような気持ちになることすらある。一方でその感情のアップダウンは実はまやかしで、たかだか数十分音楽を聴いただけで、実際なにも起こっていないという見方も一応ある。本当に人生を変えられたのか、全ては気のせいなのか、この判断つかない感じが音楽の持つ力の魅力であり、かつ邪悪なところである。

 中間でいい感じにたゆたう一つの方策として、判断を急がない、というものがある。

 ロックに人生を変えられた、と感じたとて、別にその日のうちに会社を辞めてギターを買いに行く必要は特にない。5年後とかに思い出して、あーやっぱあれは自分にとって大切だったな、とか思えばよい。このメソッドの欠点は、SNSとの相性が極めて悪いことである。自分もときどきやってしまうが、数年前の音楽体験の感動を短文にしたためてSNSに放出すると、懐古厨氏ね、評価が定まったのちの後出しジャンケン、昔は良かったおじさんは消えてください、などと罵られるリスクを常にはらんでいる。

 一方でLIZZOの件はリアクションの機動力が高い民を泣かせたわけである。昨日絶賛した人間に翌日石を投げるという行為は、どれだけリーズナブルであっても、少なくとも気持ちよくはない。即時反応も地獄、寝かせても地獄であるならば、どちらの地獄を選ぶのか。

 答えは沈黙!と行きたいところであるが、自分はどちらかというと、すぐに口を開いてしまう地獄志向であるのは否めない。

 

某日

 イベント出演のため京都大学熊野寮へ。担当者寝坊という青い理由でリハまでレーニンマルクスの書籍の鎮座する部屋でしばし待つ。

 リハ終わりにパソコン音楽クラブの2人と雑談。柴田くんとヒカキンの新居ツアーの動画に対しての熱い意見交換。動画を上げ続けることで前人未到の領域に到達した人間が、なおも動画を上げ続けることそれ自体がメタっぽいドキュメンタリーとして機能するのはおもしろい。

 その後おしゃれが行きすぎて水道直で目の前で水を注がれるソリッドな蕎麦屋で昼食。おしゃれが行きすぎて、皿に乗せて渡された物体がなんなのかわからず、「これ、食いもんか…?」みたいな空気に痺れる(実際は圧縮されたおしぼりであった!文章では伝わらない!)。自分たち以外の客は素人とは思えない容姿の良い集団であった。

 熊野寮の極めて牧歌的(という表現が適切なのかはわからない)なカルチャーは知っていてなお食らってしまう部分がある。5000円以下で住居を獲得できるというシンプルな事実が、住民のメンタリティに及ぼす影響は本当に計り知れない。親の脛を齧らない真のモラトリアムは、固定費を極端に下げることで現実のものとなる。さらに語弊を恐れずにいうのであれば、そのベクトルの延長線上には確かに左寄りの政治思想がある。

 学生の頃から思っていたが、熊野寮吉田寮もコミュニケーションの作法が独特であるように感じる。あえて言葉にするならば、行きすぎた性善説と過剰な寛容さといった感じである。なんとなくその場に紛れ込んでも、特にそいつが何者かを確認する手続きをすっ飛ばして、みな人見知りの対極みたいな会話の仕方をする。学生のときは自分の人見知り成分によって、そのことがやや気味悪く思えたが時期もあったが、いまとなってはシンプルに心地が良く感じられ、その点でも自分の10年間での変化が感じ取れる。

 イベント自体は、物理的にも精神的にもアツい。エアコンがない屋内に100人単位で人を入れるわけであるから、もう信じられないくらい熱く、自分のパソコンがサーマルスロットリングにより出番中に何度も落ちてしまい、氷で物理的に冷やすという嘘みたいな事態。恐ろしいことに冷やすと音が出る。イベントが終わる瞬間まで、本当に夢見たいな光景を幾度となく見せられた気がするが、じっくり味わうには暑すぎて、さながら概念的な蜃気楼の様相である。

 深夜も地下でDJ。レーニンマルクスの書籍の鎮座する部屋が、いまやダンスフロアになっている。暴力革命を志した空間で、我々は音楽に没入しているわけであり、それは非常に粋な営みに感じられたりもする。DJ終わり、流石にいよいよ頭がぼーっとしてくる。ソリッドな蕎麦屋以来たいした飯を食っていないことを思い出す。

 資本とは関係ないこのアンダーグラウンドな領域で、ボトムアップでクラブカルチャーが芽吹いているのは自分にはどうしても感動的なものに見えてしまった。彼らは理屈をこえて音楽の楽しみ方を知っている。そのシンプルな事実は、クラブカルチャー的に見ても傍流の自分にとって、実に眩しいものであった。

 自分はベーシックインカム的なものよりも、低固定費コミュニティにこそ福祉の未来を見ている節があり、そういった意味でも京大の寮は応援したい気持ちである。手放しに褒めるにはいささかややこしすぎる空間ではあるが。

 

某日

 初期のテキストサイト、かつてのブログブーム、もはやなんでもよいが、そういったムーブメントの興りを見るたびに、一旦は「場が与えられていないだけで、人々の内は言いたいことに溢れており、こんなにもテキストでのコミュニケーション(もっというとバーバルコミュニケーション全般)を求めているのか!」と感動したりなどする。そしてその度に幾度となく、衆目を集めたい、金を稼ぎたいといった要素に飲み込まれ、最終的に裏切られたような気分になるのである。フェーズとして TwitterYouTubeがそうで、表現の民主化は資本主義の尻に敷かれる形となっている。

 金が稼ぎたい、人気者になりたい、という欲求は別に悪いものではないのに、ただ遊びたい人間を彼方に追いやってまでなぜこうもクリエイティブロンダリングをする必要があるのか・・・などと学生の時は思っていたが、今はそんなことはもはや思わず、リンゴが木から落ちているだけの話である。前も書いたが、いまは自分のテキストや曲、動画がネットで見られる状態になっていれば、もはやその形式は問う気はない。ボトルに手紙をいれて海に流して〜誰かが見ることを願って〜的な感覚ももはやない。ただ積んでおきたいだけである。

 

某日

 ウエストハーレムでマゴチとEOUとDJ。マゴチとは長い付き合いであるし、EOUはいつもおもしろい。EOUらアッパーなくせに、やたら抽象的な言葉の使い方をすぐする。そして若いのにやたらおれのことを褒める。媚び的なものではなく、忌憚なき褒めであることがなんとなく理解できているので嫌な気はしない。

 2時間DJ。自分は自曲でのショーケース的なプレイを求められることがほとんどであるので、ハーレムでやるとなんというかすごいDJしたな〜という気分になる。3人でのB2Bもなんか絶妙なバランス。

 イベント後にシローさんと話し込む。この世には需要があって意義がない音楽がやたら多いよね、という話。需要と意義が対応しないのはいうまでもないが、需要も意義もない領域よりも、需要があって意義がない領域がやたら目立つというのは確かにそうかもしれない。意義……と考え出すと恐ろしくなったりもする。「社会意義とか全然ないですからねw」みたいな態度を自分はすぐとってしまう。京都ローカルシーンでいうと、自分はガソリンというよりは火種になりたいという気持ちはある。それ自体もある種のおこがましさがある。マゴチと松屋で飯食って帰宅。

 

某日

 マゴチが家に来て話し込む。長々と昼過ぎから夜まで。そういえばマゴチともやたら抽象的な感じの会話をする気がする。先日の抽象3人組の次回に期待。

 ここがまあまあうまくて・・・と連れて行った近所の中華が想像より美味くない。数時間後に別のピザ屋に行く。こちらは美味。

 

某日

 中塚武さんのライブを見にクワトロへ。往々にしてそうであるが、氏の人柄がそのまま出たような素晴らしい一夜であった。ビッグバンド編成のライブを見るのはかなり久しぶりである。終演後に同じく見に来ていたサスケくんとしばし雑談。比較的近いシーンにいるはずなのに、あまりに自分と異なる経験を経ての今であるので話を聞くのは毎度面白い。ネット友達期間が長いのになかなか会う機会がなかったと思ったら、来月は新宿zerotokyoで一緒になる。何事もタイミングである。

 ずいぶん待たせてしまった西山くんらと合流し、下北クリームに顔を出す。そのままFetus、セイメイとださおの家で朝まで飲酒。

 

某日

 渋谷でwebメディア用に中塚さんと対談。カフェ難民になりやすい渋谷においてミヤマカフェが割と空いているということが判明するという収穫。中塚さんが初めて自分の音楽を褒めてくれたのが2016年、話のタネにスプレッドシート簡易年表を作りながら待つ。おもしろいことに時間軸で並べるだけで色々なことが見えてくる。

 対談と言ってもほぼ楽しいだけのおしゃべりで、時間をオーバーしても喋り続けてしまい編集の天野さんにはやや申し訳ない気持ち。(内容に関してはそのうち公開される記事を見てください)

 中塚さんが自分の音楽のどの部分を気に入ってくれてくれているのかは、実際に話しているうちにだいぶ理解できたつもりであるが、それにしても考えというかスタンスというか、根のマインドに通ずるところがありすぎて少々面食らってしまうほどである。アルバムを作ってリリースする、という行為がこうやって、自分の良き理解者になってくれるような人の元に届いて、正しく評価してもらえるというのは、この先も音楽を信用していくには十分なほどの出来事である。

 自分のように、カットアップという手法の切り口で、国内の作家のリファレンスツリーみたいなことを延々と考えている人間はそう多くはないわけで、そういった意味でもかなり面白い話ばかりで、また脳内カットアップ史の解像度が上がってしまったとホクホクした心持ち。

 

某日

 ムユくん、IRIGINOくん、Sober Bearが家に遊びにくる。12時ごろにやってきて、そんなはようにきて何すんねん、と思っていたが、喋りまくったのちに焼肉、また喋りまくって結局は終電であった。ひとまわり近く若いみなの悩みや展望みたいなのを聞いていると、やはり基本的には未来の話ばかりであるので、そう言った意味で自分もほんのりポジティブな気持ちになれるのである。

 終電を逃したSober Bearと深夜いろんな話をする。DTMの技術的な話から内面的な話まで。途中、見せられたHASAMI groupの歴史の動画がやたらと刺さってしまいふわふわした感情になる。素直に感動したと同時に謎の違和もある。別に脚色がなされているわけではないが、リアルタイムで見ていたものとしてはどうも綺麗すぎるようにも思ったり。当時のインターネットが楽しかった("HASAMI groupと愉快な仲間たち"という2chのスレを自分はよく見ていた)のは間違いないが、もっとどうしようもない部分もあったような気がする。記憶の濾過によって綺麗になってしまった思い出。このマイルドな物語化みたいなものはどこかで見覚えがあるぞ、と思ったが、それはまさしく自分のこのブログであった。同世代特有の手口?

無題

某日

 イサゲンと武田、授業終わりに喋っていたIRIGINOくんを連れてスタジオへ。トマソンスタジオで使っていたL12でバンド1発録りのテスト。ドラムはsE8をトップに2本。難なくテストは完了しあとは遊びの延長で演奏。se8はいいマイクだし、L12は本当によくできた機材だと感じる。学生時代のようにこのメンバーでまた雑に楽器を弾いて遊べるのはこれはこれで夢のようである。

 

6月某日

 イベント出演のため仙台へ。最後に仙台に行ったのは7年前の高分子討論会で、かなり思い出深い1週間であったわけであるがそんなことはすっかり忘れていて、仙台駅に降り立った瞬間に、それらの思い出がまざまざと蘇ってきたのである。

 仙台は信じられないくらい都会であり、事前に教えてもらった有名店は大体並んでいて入れず。適当に寿司を食ってから会場へ。外は6月にもかかわらず真夏のような様相である。

 会場に着く。窓辺リカさんやloganaくん、liry furyさんと雑談したのち、久しぶりに会ったソウジュと話し込む。ソウジュがかねてからやっていたことと最近のムードはかなりシンクロしているように思え、彼のやってきたことは身の回りの関西の同世代のローカルシーンで最も過小評価されているように思える。

 イベントの客層はおしゃれな人であったりオタクだったりするが総じてみな若い。地方でこれだけ若者が集まるのはなんて健康的なんだろうと思う。近況に住む古い友人たちも来てくれたり(オノマトペ大臣は予想外すぎて最初気が付きませんでした)。

 ライブは最近作った新しいeditなどかけたりしつつの1時間。理由はわからないが、仙台での自分は他の地方に比べても妙にプロップスがあるように感じた。

 エロいゾーンも含む繁華街、東北大学、駅、飲食街が徒歩圏内であるのに、治安の悪さがまるで感じられないところがかなり気に入って、住むのにいい街だな、と考えたが、学生時代の京都の幻想をまた重ねているだけなのかもしれないとも思ったり。中華を食ったり、教えてもらったクラブに遊びに行ったりとイベント後も満喫して就寝。

 

某日

 やついフェス出演のため、仙台からそのまま東京へ。asiaに行くと楽屋に浪漫革命のメンバーがいて嬉しい気持ちに。昔話などしていると、彼らも東京に拠点を移すことを知らされる。お前らもか!と思いつつ、どう考えてもそっちの方がいいと思うので素直に応援。おめでたズの面々とも初めて挨拶。

 完全入れ替えでの開始なので出番はやや緊張。散々出演したasiaのはずなのに、妙にピンスポを多用する照明演出により知らないクラブに出ているような気分であった。

 杉澤さんに「やついさんも精華大の先生やってるらしいですよ」と教えてもらう。大学で遭遇したら何か話ができると良いな〜とぼんやり思いつつ、すしざんまいで寿司食って帰宅。寿司ばっかの週末。

 

某日

 パソコン音楽クラブのリリースツアーのため広島へ。前ノリついでに島田(siroPd)を呼んでみたところ来てくれることに。

 東京からの時間距離が国内屈指である島根県の辺境にすむ島田の見ている景色は、いわゆる東京-地方論みたいな話よりも、もっとそもそもレベルで異なる。時間をかけていく松江市の人口ですら20万人、最寄りの100万都市である広島まで3時間。

 わざわざ来てくれたこと、久しぶりであること、これまでのin the blue shirtのPV作品に対する感謝とで妙なテンションのまま宮島観光。

 広電でのんびり市内に戻る。宮島口駅自体は普通の鉄道駅で、普通の電車である鉄道線から軌道線(ようするに路面電車です)にどうやって切り替わるのか楽しみであったのに、話したり、ぼーっとしているうちに電車は普通に道路を走っていた。

 適当に入った市内の喫茶店がいい感じで、目立つところに東郷清丸氏のサインが飾ってあるのがみえる。適当にコーヒーを吸っていると西山くんがやってきて、そのまま繁華街で飲酒。一旦ホテルに帰ってダラダラしていたら再び西山くんに呼び出されてえふとんくんの店でまた飲酒。朝方に入った宮崎辛麺の店がやたらとうまく感じ、満足して就寝。

 翌日目覚めると、恐ろしいことに全く声が出ない。そんなことあんのかよとい思うと同時に、一応こんなご時世であるから気を遣ってしまう。慎ましく過ごして終了。もっといろんな人と喋りたかったのに!(翌日以降病院行ったり検査したり。ノーコロナ。食物アレルギーかもしれんとのことであるが真偽不明。)

 

某日

 パソコン音楽クラブのツアー大阪編。打ち込みの音楽をやっていると、基本的にはマイノリティ然とした雰囲気があるため、どうしてもわかる人にわかればええねん的なスタンスになってしまい、必要以上に説明を放棄したり、排他的になったり、逆に過剰に商業的になったりしがちである。パソコン音楽クラブの2人の、自分たちの音楽を理解してもらうこと、最悪理解されなくてもなるべく楽しんでもらうことを本質的に諦めないスタンスを自分は本当にすごいと思っていて、そのことについてやや長めにMCで話したり。

 それだけが全てとは思わないが、クリーンでピースな雰囲気を伴うクラブミュージック、およびそのための場をを自分は求めている。楽しく音楽がしたいので、できれば周りにも楽しく見てほしい。その点この日はかなりいい雰囲気で、ただ楽しかっただけである。

 終演後に、「音楽再生してるだけで価値が理解し難い」といった旨で名指しでツイートされているのを見かけるが、まあやはり依然として説明不足であるというわけであるので、可能な限りよく咀嚼してもらった上で、好き嫌いを判断してもらいたいとは思う。

 

某日

 母方の祖母の家が取り壊しになったため、様子を見に松戸へ。当たり前であるが、呆気ないくらいにただの更地である。祖父母は亡くなり、母は一人っ子であるので、これにて松戸と自分の関わりがすっかりなくなってしまったわけである。長期休みに遊びに来ていただけでこの喪失感であから、生まれ育った母のそれはおそらく自分とは比べものにならないのであろう。

 謎の見学会はカジュアルに進行し、母と姉と何故か日比谷ミッドタウンで夕食。姉から「なんで同じ環境で育って弟だけこんな感じ(ミュージシャン、自営)になったのか不思議」といった旨のことを言われるが、確かに祖父母や身近な親戚も含めて自営業の人間は存在せず、大人になるまでサラリー以外で飯を食うことを、ほんのりでもイメージすることすら難しかったわけであるので、確かに不思議である。

 夜はこれまた何故か母と品川プリンスホテルに泊まる。真面目で穏やかに、ちゃんと生きるべき、みたいな規範意識は完全に母方チームから来ているなと思い返す。

 深夜にホテルを抜け出して渋谷に行き、WWWβに顔を出す。友人たちが想定よりも浮かれた状態で酒を飲んでいた。最終的に釣られて自分も浮かれてしまいふわふわした状態で帰路に。ホテルに戻り、寝ている母の顔をみながら、いまの自分の状態は確かに親の想定みたいなものを斜めに超えているなとは思ったり。

 

某日

 作詞作曲した早見沙織さんのplanがリリース。アイマスの時もそうであるが、作詞込みでしっかりやらせていただく機会は稀であるので、いろいろありながら食らいつくような気持ちでの制作であった。どうやっても良くなる早見さんの声、自分のようなアニソン実績の希薄な人間に頼むのは依頼側にとってはシンプルにリスクであるから、やはりリスクテイカーとしてみなさんには頭が上がらない。制作前に早見さんとお話しする機会も頂いたが、(オタクへのご褒美的な観点ではなく)制作する上でかなりプラスに作用したように思う。

 

某日

 渋谷のウルトラヴァイブにて中塚武さんの20周年記念で配信イベントに出演。1stの流通をやってもらったのがウルトラヴァイブで、アルバムに対して誰よりも早く熱いメッセージをくれたのが当時面識すらなかった中塚武さんであるから、なにかフラグを回収しに舞い戻った気持ちになるが、ほぼ浦島太郎で1Fがレコ屋兼イベントスペースになっていることすら知らず。

 アナウンサーの清野さん、サスケくん、FPM田中氏、中塚さんという人選が実に素晴らしく、自分の脳内で国内カットアップ史解釈を今一度おさらいしたりなどしてしまう。こういう面々に名指しで混ぜてもらえるのは本当に自信になる。若き自分に勇気をくれた中塚さん、自分も含めた現行の京都シーンも把握していてさすがだなと思う田中氏、才能豊かで、かつ自分比で想像できないほどしっかりしているサスケくん。みなとのおしゃべりは本当に興味深く、これは続きがしたいなと思わざるを得ず、20周年記念のライブも遊びに行かせていただこうと思ったり。お土産にみはしのあんみつをたくさんもらったが、肝心の蜜をもらい忘れてしまった。

 後日ポリスターの宇佐美さんから電話。短い時間の出来事をえらい褒めていただいて、みんな人をよく見ているなと思う。流れで言語化の上手い下手の話になる。自分は言語化どうこうより、その言語化対象になるような、体系化された知識や、もっと抽象的なおもしろ思想、思考さえ持てれば、もはや言葉にする能力はそこまで重要ではないと考えているが、うちに秘めたおもしろパトスは、確かにそれだけでは何の意味もないのも事実である。(でもやっぱり言語化能力って最近過大評価されすぎじゃないスか?)

 

某日

 ジブリの新作を視聴。自分は個人性の発露がすべてを差し置いた美徳であると考えるような極端な人間であるので、それはそれは上質な体験であった。webちくまに寄稿した書評(もといエッセイ)を書いた時にも考えたが、個人性を持って、抽象的なものを描こうとすると、理路整然とした美しい、スムースなプロットにはなりにくいんじゃないかと考える。言語化問題と通ずるが、そもそも論理的に筋道を通してテキスト化をできるようなものが対象なら(要求される知能レベルはさておき)そうすればいいだけの話である。みんな言葉にならない何かを、言葉や、言葉以外でどうにか伝えようとしているのが醍醐味である。そういう意味では、ファストに消化しようとしたとしても、そこはそもそも早さの概念自体も希薄であったりする。コンサルのパワポのように、金井美恵子の『岸辺のない海』のあらすじの要点をまとめた資料があったとて、それはほぼ意味のない情報である。

 

某日

 家があまりにも近いスタジオSIMPOにて武田のドラムのレコーディング。サラリーマン時代はとにかく人と日中に楽器を生録するのが困難であったので、溜飲を下げるが如く録りまくりである。コイズさんも武田も私の遊びに付き合っていただいて感謝。

 

某日

 IAMASオープンハウスへ。樽見鉄道のCLUB TRAIN以来の大垣。前は使えなかったような気がするタクシー配車アプリを乱用して朝日屋でほぼうどんの味がするラーメン(マジでお気に入りで何回でも食べたい)を食ったのちIAMASへ。

 イサゲンと二人で学生の展示を見て回る。これはもう何回も書いているが、自分は作品を作って、それについて話をするのが本当に好きであるので、修士課程の学生自らが作った展示作品について一生懸命説明してくれるのは本当に面白い。

 SANTAくんにVJしてもらっての演奏。白壁の部屋でかしこまってやるみたいな電子音楽ライブを自分は結構真面目にやりたかったのだがこれまでなかなか機会がなく、その欲がやや解消される。自分以外のアクトもアイディアや初期衝動に溢れていて面白い。

 出演者や、昔からのフォロワーであった竹澤くんとかと居酒屋で打ち上げ。めちゃくちゃ面白くて学生時代に戻ったような気持ちに。ハンドルキーパーSANTAくんにホテルまで送ってもらう至れり尽くせりぶり。

 着いた頃にはもう大浴場は閉まっていていかんせんすることがなく、イサゲンと近況を話しながら就寝。

 自分の働く精華大学もそうだが、やはり近年はどこの美大も就職率ないしは就職させるぞという姿勢みたいなものが強まっているように感じていて、カリキュラム的にもいそいそとした印象を持っている。一方でIAMASは逆に驚くほどに牧歌的で、(在学生にはそれぞれ将来への不安は大小あるのは分かった上で)やはり学びの場はこうでないとみたいなことを考える。その点で非常に稀有な組織であり、いたく魅力的に映ってしまった。油断すると食いっぱぐれる酷い世の中であるので、世間の総意は就職の面倒を手厚く見る寄りなのかもしれないが、化学を志して入った大学で意味のわからない電子音楽に人生を飲み込まれた自分のような例もあり、(成功者バイアスやろという指摘には目を瞑りつつ)若者は出口や成果を逆算して段取りを踏むような類の対極の時間を、人生のどこかで過ごしてほしいと願ったりもする。

 Bravenとつくったリミックス動画がきっかけの縁で今回IAMASに行ったわけであるが、我々の動画を見て、この手の表現に興味を持っているという学生が精華大学にもいるということを人づてに聞いたりなどして、やはり作品は作り得であり、再生数に現れないような起点を作ることが自分の使命であるように改めて感じている。

 

某日

 インターネットを賑わせるはSNS移住的な話題。Twitterの現状は資本主義の帰結なのか、SNSがスケールする上での規模のフェーズの問題なのかはいまいちよくわからない。どちらの理由であれ、SNSが非可逆的にこのような末路を迎えることが避けられず、さながら寿命のようなものがあるのであれば、さっさと(mixiからの世代交代のように)スクラップ&ビルドが繰り返されるだけの話であり、イーロンマスクが何をしたところで多少スクラップが早くなるだけで(どのみち結果は変わらないと言う意味で)大局に影響はないと考えている。

 一方で自分からすると、今やSNSに求めているのは自分語りの機能だけ(匿名掲示板が集合知を求め、自分語りマンをゴミカス扱いしていた頃に懐かしさすら感じる)である。そういう意味では、in the blue shirtドメインがあるので、そこでひたすらテキストを書いていけば良いだけであるが、それだと自分の一人語りを拡散する機能と、他人の自分語りを大量に捕捉する機能が満足されない。自分の一人語りの拡散はひとまず諦めるとして、人の自分語りはどうにかして捕捉したい。いまさら元祖返りして好きものだけが自主サーバのテキストサイトを運営したとしても、今の検索エンジンの状況だとそれらに辿り着けるか甚だ疑問である。

 とにかく、自分が求めるのは、テキストが書けることと、それが消えずに残ること、相互にスムーズに閲覧できることである。そういう意味では、そんなことはどのSNSでもできる。要するになんでもいいという結論でもある。要するに、良くも悪くもインターネットコミュニケーションの天井みたいなものを薄々感じ始めているわけである。一方で、コミュニケーションをする当の人間はいつだって青天井である。

 全ての上に人がいて、その下にテキストがある。人とテキストを持ってして、おもろさの根源になり、その下にソーシャルネットワークが構築される。長短含めてやはり自分はテキストが好きである。とりあえずすべきことは、このブログも含めて、ローカルにログを保存して、後から読めるようにすることくらいしかない。

 

某日

 32歳の誕生日。午前中は前職の課長と近況報告など。午後はスタジオMAGIで学生のレコーディングのディレクション。途中岡村詩野さんらが遊びにくる。ゼミで散々面倒を見ている学生の曲の最終形が急に見えてくる。自分のものであっても人のものであっても曲ができる瞬間というのはいつでも面白く、やはり人生をかける価値があると思う。作りかけの曲の話をしながら宝ヶ池の王将で飯を食っていると、また別の学生に遭遇して喋る。前期の最終授業が終わってしまったので、次に彼らに会うころにはもう少し涼しくなっているかもしれないと思い、少し寂しくなるなど。

無題

4月某日

 国民健康保険の申請に区役所へ。年度が変わって賑わう区役所は20人待ちの表示、仕事のメールを返しながら順番を待つ。自分の不手際でのやり直しは避けたい。再度ホームページを確認し、必要事項を確認する。健康保険等資格喪失証明書、通帳、銀行印…。ついに自分の順番、絶対に不備がないと信じ窓口に行くと「本日中の交付のためには有効な住所か確認できる郵便物が必要でして…」ほらきた!自宅に帰り、適当な郵便物を握りしめ再度区役所。16人待ちの表示。デジャヴのような光景、作業中にデータが消え、やり直しているときと全く気持ちである。再び30分ほど待つ。

 せっかくなので帰りに病院に寄る。診察待ち、会計待ち、処方箋を薬局に出し、薬を待ち…。ぎゅうぎゅうに働いていた日々に対し、セミ無職とデイタイムの街はいささかスローである。花粉症の処方薬なんて簡単なオンライン診療と郵送で済んでしまう今日、区役所といい病院といいまあ非効率と言ってしまえばまあそうである。この待ち時間を情弱と切り捨てるほど冷酷な人間ではないし、豊かな時間と捉えるほどの余裕があるわけではない。スローダウンを望んでいたはずなのに、減速を目の前にして落ち着かないのは皮肉である。

 自分は怠惰な人間であるが、それと同時にワーカホリック的な側面がかなりあったということを認めざるを得ない。放っておくと何もしない自覚があり、何かをさせられることを心のどこかで望んでいるのである。このままだと自分の本質は怠け者で、それから逃れるために自ら会社からの強制労働を望んでいた、ということになってしまう。幸にしてしばらく強制労働はないので、しばしの答え合わせである。

 

某日

 市議選が近い。駅を降りるとどこぞの議員さんが自分の名前を連呼している。彼らの人生が選挙の結果に大きく左右されることは十分に理解しているが、仮に自分が人生を賭けた音楽作品が完成したとして、プロモーションのために路上に繰り出して自分の名前を連呼するだけであったならば本当にただの迷惑な人間である。行き交う人々に路上で自身の政策を語るには時間が短すぎることは十分理解するが、せめて「いい街にします!」くらいのことは言ってほしいと思う。申し訳ないが人々はあなたの名前(ないしは人生)よりもめいめいの暮らしにしか興味がない。

 

4月某日

 フェーダーでDJ。早めに会場に着くとチェリボさんがおり、退職に関する話など。少しずつ人が集まってきてのイベント開幕。終始いい雰囲気で、日曜にも関わらず終電後までかなりの人が残っていた。翌日初授業であったこともあり流石にずっとはおれずタクシーで帰宅。

 

4月某日

 ソーコアでDJ。機材を机いっぱいに並べるアクトがいっぱいいるイベントを見るとINNIT〜idle momentsがやっていた頃の自分の電子音楽青春時代を思い出してしまう。みているだけでいい気分になる。paperkraftとめずらしく音楽の話を少ししたのち、最終的にB2B。かなりたのしかったです。短い曲ばっかかけてすんまへん。

 

4月某日

 サンレコセミナーの撮影。お茶の水エリアは何回来ても楽しい。ソフトをいじりながら一時間半喋りっぱなし。編集する人の手間を案じつつ、撮影後もMI7のスタッフの皆さんとお喋り。自分が余暇の大半を費やしているソフトのチームと喋っているのは面白い。以後Studio oneを起動するたびに自分の顔が表示されるように。みなさんご容赦ください・・・

 渋谷エリア以外の東京滞在は妙にテンションが上がる。せっかくの機会なので上野にホテルを取り、深夜に上野公園を散歩。

 

4月某日 

 東京でカイセイと合流し茨城県結城市へ。道中の電車でいろいろ近況の話など。カイセイはいつも自分の活動の話を楽しそうにするので好きである。

 会場に着いたらリハ。tofuさんのリハも見学したりしたのちに杉生さんも含め4人で飯。会場付近のイタリアンの店が非常によくかなり満足。

 ホテルに戻ったのちにライブセットの修正。tofuさんやカイセイの手元にあるデータもフル活用してオケを生成し翌日に備える。抜き打ちTTHWをやろうと目論んでいたtofuさんの計画は部屋のスペースの都合でなしになり、ひたすら雑談。Texas InstrumentsのSpeak & Spellの話や謎のサンプル共有など。氏がハードオフでたらふく買い込んだ機材が何故かカイセイの実家へと宅配されていったのである。

 翌日は結いの音でライブ。ratiff&in the blue shirtという変則セット。年末のvavaくんとやった時もおもったがラッパーの後ろというのは実に安心かつ愉快な立ち位置である。暖かいお客さんに見守られライブ終了。

 楽屋でSTUTSさんやチェルミコ、パーシーと軽く喋ったのちにtofuさんの運転で帰宅。どんだけ喋んねんという勢いで会話し気づけば品川。私はそのまま新幹線で帰路。

 

某日

 100万回ダメでも100万1回目は何か変わるかも…とドリカムは歌っているが、再現性という意味では、自然科学の手続き的には100万回ダメだったことは向こう何回繰り返そうが同じである。一方でパラメータ応答という意味ではそうとは限らず、計算規模の拡大のみ(のみは言い過ぎであるのは承知の上です)でChatGPTを含む大規模言語モデルの性能は非連続に向上したわけであり、それはさながら超伝導の機構のようである。

 そんなことも踏まえいま高校三年生であったら自分は化学の道に進んだであろうかとよく考える。情報系や電気、機械や制御に比べて個人では活動のしにくい化学という分野により悩まされた部分は多い。実際にいまこの世情で分野選択をしたら化学を選ぶ気がいまいちしないが、どう考えても今の自分の絶妙な仕上がりは化学ありきであるように思え、やり直そうという気分にはならない。

 

5月某日

 川辺くん、imaiさん、とんだ林さん、トリプルファイヤー吉田さんと下北で前飲み。imaiさんがひたすらマカロニえんぴつがいかに素晴らしいかの話をしている。LIVE HAUSに移動すると亮太さんとSummer eyeの夏目さんがいたので少し喋る。奇遇にも自分はシャムキャッツの渚のブートを最近よく現場でかけているが小っ恥ずかしくてその話は特にせず。

 都内のライブハウス然とした会場でやるのは久しぶりである。普段下北沢に来ることがあまりないような自分のお客さんが不安な気持ちにならずに会場にこれるのだろうか・・・などと気配りをするには些か酔いが回っている。

 イベント自体はimaiさんと一時間ずつのがっつり対戦カード。セミ無職なのでセットの仕上がりを追い込めるのが嬉しい。気分がよくなり出番中ふくめすごい勢いで酒を飲んでしまった。イベント後半もへべれけでDJをし、記憶があやふやなまま松屋で朝食を食い、タクシーで離脱。

 

5月某日

 quoree氏のリミックスのアートワークをやってもらったMモトさんの展示へ。だいたい自分は何かをオンラインで一緒にしたあとに後日リアル遭遇するケースが多い。本当にパーソナリティをなにも知らない状態で依頼したので多少申し訳なく感じていた部分もありつつ、なんだかんだで作品を通してコミュニケーションしつつ知り合えるのは何回やっても楽しい。せっかくなのでフィジカルで作品を購入をしようと思ったが売れてしまったようである。

 その後PAS TASTAのワンマンを観にWWW Xへ。アルバム一撃でこの集客と立派なアクト。現場にバリバリ出まくっている訳ではないメンバーもいる中で、攻めたサウンドでこれができるのだから世の中は捨てたもんではない。やはり我々は素晴らしい作品をつくるところからである。理解してもらえないとおもっていたことが、単純に強度不足であったということはままある。

 

某日

 音楽仕事用の進行や金銭の出入りを管理するスプレッドシートをいじりながら、もはやこの金は機材が買える愉快な余剰ではなく、リアルな生活費と捉えなければならないということを思い出し、ふと恐ろしくなってしまった。

 音楽で食う、ということを考えた時に、脳内で収入の円グラフを思い浮かべると、自分の収入源の大半は自ずと広告業界からになる。広告にまつわるクリエイティブというのは、本当に素晴らしい部分と実に邪悪な部分が混在していて、クリエイティブ業、と十把一絡げに同じ箱に入れられてしまうことにそれなりに抵抗があり、自分がサラリーマンに固執していた理由の半分はこことの距離感の調整もあったりもした。いまやこれが食い扶持となった以上、今までほど無邪気ではいられなくなったということである。

 広告の仕事をゼロにすると自分が音楽で生計を立てられないのは明白である。だからこそ、健やかさを維持するためにはここにおれのオールの全権を握らせるわけにはいかない。素晴らしさは理解した上で、依存せず、割合をもう少しコントロールしたい。さて、ではどうやって?と考えた時に、収入の一部に教育分野が含まれるのは自分の中では本当に支えである。教育分野、個人のアーティスト活動、プラス理系人材としてのスキル、使えるものは全部使って健康的に生きたい。そのためには諸々実力が不足している。今年は音楽家としても教育者としても修行の一年であるので、ごちゃごちゃ言わずに鍛錬である。

 

某日

 京都west harlemでbloodz boi来日公演。bloodz boiのビザが降りるかどうかがギリギリまでわからず、なんとなく中国国籍の人が日本来る際にのシングルビザとれるパターンを調べていたがなんとなくアンタッチャブルな雰囲気を感じて非常に興味深く感じたりなど。

 bloodz boiはわざわざ前週にDMをくれたりしていて、せっかくなのでイベント前に少し喋る。昔の日本のサンクラシーンや中国の音楽の話など。彼のライブは、想像していたが、それを超えるレベルで叙情的ですこし驚いてしまった。

 

某日

 扇柴さんのお誘いで尼崎toraに出演。道中高校時代よく尼崎で遊んでいたことを思い出す。前から話してみたかったステエションズのメンバーと尼崎の路上で酒を飲みながらひたすら雑談。面白いミュージシャンはどこの地域にだって出現するわけであるが、彼らは比較的関西っぽさを強く感じる。演奏も上手で曲も面白い。聞きたかったことをひとしきり質問してみたりなど。

 イベント後にもまた尼崎の路上で酒を飲みながらひたすら雑談。ローカル濃度がある程度高まると、いい意味でお金がどうだとか集客がどうだとかいう変な競争意識がなくなったおおらかな意識で音楽をしている人が多い。地方のぬるま湯でイキるわけでもなく、都内の大箱の楽屋でふんぞりかえるわけでもない、適度な自意識を維持するのは結構難しい。結局できる範囲で、どちらにも身を置いておくのがよいというのが自分の方針である。

 

某日

 森道市場に出演。チケットの価格に対して楽しすぎることで知られるこのフェス。金曜入りしてのんきに会場をふらふらしていたらタカマサさんにDJしない?と聞かれたので急遽DJ参加。モリウラさんにナチュールワインをいただいた際にどんな味がするかを尋ねると「ほぼハイチュウの味だよ」と言われナチュールワインとの距離感に痺れる。

 翌日午前中に出演。早い時間なのに集まってくれた人はありがとうございました。自分が謎の道を行きすぎて会えそうで会えていなかったFLAUのausさんと順番が前後だったのもよかったです。

 ひとしきりフェスを満喫したのちCYKの面々とあいのりでホテルへ。深夜なんとなく腹が減りコンビニへいき、帰ってくると喫煙所に再びCYKの面々。雑談し就寝。翌日チェックアウト時に食品まつり氏と遭遇し笑顔に。

 

某日

 音楽活動をする上での三原則として、1.他人を揶揄しない2.自分を卑下しない3.嘘をつかないの3つを掲げている。自分の本性たるや、日々人の悪口を言いまくり、過剰に謙り、息をするように嘘をつくわけであるので、これは単にin the blue shirtという名義を掲げて何かをするうえでは、上記の要素を芸風に含めないようにする、くらいのニュアンスである。

 ずいぶん昔から言っていたことで、もともと大した意味などなかったわけであるが、時代は加速しそうでもなくなってきている。人を叩くことをメインコンテンツに衆目を集めるやつはネットに溢れており、喫茶店などに行くとわかるが明らかに詐欺が流行っている。SNSでの軽い自虐程度の卑下で済むなら幾分マシで、失うものがなさすぎて明らかに割に合わない強盗に向かう人もいる。自分の本性からみても、それら全ての行動原理は十分に理解できる。そういったことをしないで済むのは運が良かっただけである。セミ無職などという程度の低いへりくだりはご容赦いただいた上で、運で得たものの再分配をするための修行として大学に向かうのである。

無題

某日

 30も超え、もうなんだかんだでだいぶ社会人生活が板についてきたわけであるが、一つ最大の誤算と言えば、いわゆるカレンダー通りの定時の仕事をしているにも関わらず、規則正しく寝起きできるようにならなかったことである。寝てたら授業終わってましたわガハハで済んでいた大学生活ならともかく、8:30ごろには出勤し夕方まで働いているにも関わらずである。ある時は18時に寝て25時に起きる。ある時はほとんど寝ずに会社に行き、ある時は帰宅後から次の出勤までまるまる寝ていたりする。

 クラブ出演のせいでこうなった、と因果を与えてやる線もあったが、それもあらゆる音楽イベントがやっていなかったコロナ禍によって否定され、正真正銘自分は規則正しく寝起きできない人間であることがほぼ確定してしまったのである。

 こんなことをいうと身も蓋もないのであるが、そもそも自分は深夜が好きである。それはさまざまな理由によるが、心のどこかで深夜の到来を待ち望んでいる部分があるのであろう。しかしながら、その好きな深夜を迎えるために、意図的に生活をコントロールしても意味はなく、気せずして、あるいはやむをえず深夜になってしまった状態がよいのである。 

 様々な理由により、時計を見ると3時ごろになっていて、「あーあ、深夜になっちゃったわ(笑)」などと思いながら、曲を作ったり、コンビニに行ったり、本を読んだりする。そういった瞬間を愛しているし、それを安易なエモと解釈したくない反骨精神から、日々あらゆるアプローチをとっている。この日記の文章自体、大体が深夜に書いており、明るい時間に手をつけた記憶はない。

 

某日

 仕事が忙しくなったのが半分、ポケモンのランクマッチをしていたのがもう半分の理由であっという間に年末である。リリパは12/30、いよいよ残り時間がない。

 川辺くんに奥田民生のさすらいのカバーをする旨を伝えた時点で12/26、現実feelin on my mindのリミックスからケイコリーのThat's Enough For Meネタに移行する音源をVaVaくんに送りつけ、仕事を納めたのが12/28。リリパまであと2日、いよいよえらいことである。さすらいのアレンジをし、音楽および映像を編集し続け12/29。新宿ビックカメラで映像引き回し用にSDIコンバータを購入し、都内のホテルに移動してまたひたすら編集。さながら留年のかかった試験前日のような雰囲気。(リアル大学2年生の自分は留年のかかった試験を受けすらせずに帰宅したので正確ではない。)

 

12/30

 朝に飯も食えず会場へ。懸念点の一つであった持ち込みSDIケーブル引き回しでの映像セッティングを済ませたあたりでミッツィーさんがくれた弁当を2個食う。

 全員のリハが終わったタイミングで安心から楽屋で寝落ちしてしまい、目覚めたのちに開場。気分が良くなり物販に立ちながら酒を飲む。見知った人や初めての人まで、入れ替わり立ち替わり会話をする。ここにいる人間の共通点が"自分の音楽を聴いていること"であるという事実は、もうはっきりと誇らしいことである。

 酒を飲みすぎてしまい一旦楽屋へ行き、一瞬また寝落ちしてしまう。スマホを開くと京都精華大学の非常勤講師としての勤務の打診が来ている。脳が新情報を扱う余裕がなく一旦そのまま閉じ忘れる。

 ピアノ男、Omodaka氏、田中さんの演奏が終わり、自分の時間が来た時点で、もうずっとエンドロールが流れているような気持ちであった。音楽を人に聞かせているようで、実は衆人監視のもと今年作った曲を自分で聴く謎のセラピーをしているような瞬間すら。とにかく、人がたくさんいて、お世辞にも一般的とは言い難い珍妙な自分の音楽の意図が、なんらかの形で届いているという事実は、本当に他には代え難いことである。

 終演後にWWWでひたすら共演者およびスタッフと喋りまくる。そんな喋るならちゃんとやればいいのに打ち上げなし。味の濃い飯を食いたい気持ちと今すぐ寝たい気持ちがビッグインパクトを起こし、道玄坂の俺塩でトッピングを盛りに盛ってドカ食い。ホテルで気絶。

youtu.be

  youtubeにアップした動画に"地蔵"であることへのコメントがあるが、そもそもよくわからない音楽をやっているミュージシャンの、初めての会場での初めての自主リリパであるから、そもそも楽しむ作法すら定まっていない(自分自身オーディエンスにどうして欲しいのかはよくわかっていない)。おれと来てくれた人のコミュニケーションであるので、どういう姿勢でいてくれてもかまわないです。一般的な盛り上がった盛り下がったを指標にしても仕方がなく、自分の考えとか気持ちがある程度、どういう形であれ伝わればよいです。喫茶店で一言も喋らないカップルがいたとして、そいつらの関係は冷え切っているとは判断できず、ともすればアチアチなのである。

 目下の課題は、「エレクトロニックミュージックは好きだがクラブは好きではない」という人とどう向き合うかである。自分のやっていることは打ち込みの音楽であるし、クラブミュージックに多大な影響を受けているが、DJツールとして機能的な曲を使っているわけではないし、深夜のイベントに抵抗なく行ける人ばかりではない。そんなことは考えつつも、目下はとにかく曲の強度をもう少し上げないととこの先やっていけんなという予感のみがある。

 

12/31

 非常勤講師の打診をくれた谷川さんに詳細を聞くため取り急ぎの返信。新宿へ移動してMARZへ。あまりにも久しぶりすぎてMARZに向かう道すら懐かしさを覚える。馴染みの顔ばかりの楽屋の馴染みの顔ばかりのフロア。後半デデさんとスケブリさんと妙に話し込んでしまい、裏ではイベントが締めに向かっていた。

 一旦池尻のホテルに荷物を置く。このまま寝て年越しはあまりにさみしいのでエイジアに向かってタクシーを拾おうとするがあまりにタクシーが走っておらず。11時。あかん、このまま年を越してしまう!渋谷に向かって歩く。腹が減り道玄坂上の松屋で牛丼を食う。11時半。年越し30分前。

 エイジアに着くとメインフロアで野獣が如くディスコをかけるオカダダのもと客が大騒ぎをしている。そこからのDJが相も変わらず素晴らしく、やはりディスコですね…などと考えていたら親の声ほど聴いたRustieのRaptorがインサートし、ドロップのタイミングでドンピシャで年越し。いろいろ凄すぎて唖然。次のパーゴルがバウアーのREACHUPDONTSTOP (S-Type RMX)で受けててまた輪にかけてすごい気持ちに。この辺の音楽はもうおっさんの音楽になりつつあるという嫌な実感と共に、今年は頑張ろう…みたいな確実に明日には消えている決意をする。あとは酒飲んでただけ。単純に、新年に顔を突き合わせてヘラヘラ飲んでいるという事実に対する嬉しさみたいなのが、妙に身に染みた感じはあった。

 

1月某日

 大学に赴き講師のオファーの詳細を聞く。当初の内容は週1or2勤務であり、真っ当に収入のことを考えると現職を辞めるべきではないが、リチウムイオン電池の研究開発などをしていた果てに音楽の先生になったやつなど見たことがなく、ぼんやりとやるべきなんだろうなと思う。また京都か、としみじみしながら久々の叡山電車に揺られる。

 

某日

 会社に精華大学からのオファーの話をする。大学での授業は週1〜2。直属の課長と部長は概ね好意的な反応で、人事にまで話をあげると大学の授業のない日に週3勤務などで会社残ることができるという話が。週休3日制の導入計画をメディアにぶち上げたものの、未だ実運用される気配のない弊社であるが、ダイバーシティ、働き方の多様性などの面での推進活動と一環としても大学での副業が認められる流れがあるならそれで良い。願ってもないセミサラリーマン、頭の中で皮算用

 

某日

 中島イッキュウ氏に呼んでもらいtricotのライブを見るため梅田クワトロへ。後方にはゲスト閲覧用の座席スペースが設けられていることがままあるが、そういった類のスペースはどうもきまりが悪く、今回も例に漏れずフロアの中心で鑑賞。tricotは楽器のフレーズがアツいものが多い。ここでいうアツさとはマスパペのリフ的なアツさである。新譜を聴いたときも思ったし、かねてからもそう思っていたが、いい意味で、相当変なバンドである。

客出しBGMとして自分の作ったリミックスが流れているのをぼんやり聴いている。"可能であれば「シーズーダックスプードルマルチーズ」 (というボイスサンプル)をどこかに入れてみてほしいです!"と言われ、最初は意味がわからなかったことを思い出す。

 

2月某日

 副業が会社から承認されたということで、正式に大学講師のオファーを受領する。あとは現職の勤務量の調整するだけやなどと余裕をかます

 

2月某日

 おれの珍奇な副業話が会社の上へ上がっていく過程のどこかで、「二重就労禁止の内規がクリアできない」という話になる。ダブルワークはしてもいいが二重就労はダメ、という状態は、外出は許可するがドアを開けてはダメ、みたいなことを言われているような気持ちである。

 以降この謎のステータスで膠着状態に陥り、更新がないまま3月になってしまう。あと一ヶ月ないのに4/1からの勤務形態が決まっていないことに焦る。

 

2月某日

 バツくんにいきなり呼ばれてMOGURAへ。なぜかシークレットで出た大阪出身の某DJ、会社の同期とのコミュニケーションについて語るゆのべ、急すぎて京都で寿司を食っていたピアノ男。トマソンスタジオをやっていた頃に漂っていた謎のバイブスは本当に再現性がなく、やっていた当事者としてもこの先狙ってできるものではない。もういい年であり、過去の体験のうちノウハウとして繰り返し使える部分と、それっきりでもう2度と手に入らない部分があるが、トマソンスタジオからのそれはどちらも非常に明解である。

 あらゆる活動における、東京ー地方問題に関してのおれの芯の部分の回答はもはやかなりクリアで、「地方は、その地方に住んでいる人に出会える」というところに尽きる。関西にいると、関西に住んでいるやつと友達になれる。

 東京の方がさまざまな点で音楽活動に有利ではある、じゃあふわふわと神様が現れて、押せば音楽を始めたころに時計の針を戻し、東京からリスタートできるボタンをくれたとしても、やはりふわふわと関西で出会った友人の顔が浮かんできて、自分はそのボタンを押すことができないであろう。(現在の肯定の程度を、その時に戻りたいか?で鑑みる展開が、ちょうど読み終わった偽物協会で出てきて驚いた。)

 突貫のイベントであるのにパンパンになるまで人が入っており、営利活動を超えた謎のグルーヴというのはやはりなにかしら人を駆り立てる何かがあると思われる。VaVaくんもきてくれたし。

 

2月某日

 非常勤嘱託であれば勤務を続けられる、みたいなことを人事に言われるわけであるが、正直もうだいぶ面倒くさくなってきている。

 ほとんどが、いわゆる普通のフルタイムの常勤契約しかしていないようなこの職場、ましてや若くして特殊な契約をしているやつなど社内ではみたことがなく、この時期からうすうす自分の大学兼業の線が無理筋であったことを悟り始める。

 いろいろな判断が上から降ってくるが、その判断を下している誰一人とておれの人生になんて対して興味もないわけである。ほとんど喋ったことないような人間の判断が自分の数週間後の収入(ないしは人生)を大きく左右するというこの状況はどうやってもしっくりはこない。規則を遵守し、安全寄りのリスクなき判断ばかりが下される裏のプロセスは十二分に理解できる(時に自分はそれに加担するケースもある)が、それによって一人の人間の2023年度の年収が1000万にも100万にもなり得ることを理解してほしいものである。やはり会社にお前のオールを任せてはいけない。宙船を漕いでゆけ…お前の手で…

 

3月某日

 焦りとは裏腹にアメリカに海外出張である。同行者は部署などが異なるため、自分のこの一連のもつれた話など知る由もなく、付いてきたこの若手が3週間後に音楽の先生になることを決め、会社とグダグダ問答をしているなんてことは一ミリも知らないわけであるから、これはなかなかに気持ち悪いシチュエーションである。

 「マスクなんてしてるの日本人だけですよ(笑)」みたいな話がネットで散見されるわけであるが、実際のところそれは屋外での話で、小売店や飲食、オフィスからUBERドライバーに至るまで、ぼちぼちマスクを着用し働いている人は多く、"付けたくはないが、「場合によっては付けないといけない」というコードは共有されている"といった感じである。この理解すらもサンフランシスコ〜サンノゼのごく一部のサンプルからの判断であるが、やはりネットにおけるざっくり論は役に立たない。

 異国でも現職の勤務調整は続く。滞在中に人事から届いた話を整理すると、1.一ヶ月後に即退社をする。有休消化中であっても他社勤務もできない(二重契約の期間はどんな理由であれ許されない)ためおれの50日ほど溜まった有休は全て消える。2.4/1付けで退職し、嘱託契約に切り替える、という2択になる。

 おれは退職時の50日にわたる有給消化、無労働で給料をもらう至福の期間を本当に何よりも楽しみにしていたが、どうあってもそれは叶わぬ夢であることだけが確定したのである。(そんなことを易々と受け入れて良いものか?)

 会社で最も好きなもの(いまとなっては好きだったもの、であるが)はなにかと聞かれると、正直海外出張といっても過言ではない。技術があるだけではダメ、プレゼンが上手いだけではダメ、英語が上手いだけではダメ、バイブスだけでもダメ、と程よく総合力が問われてくるからである。不慣れな環境での出たとこ勝負こそが人生の本番である。自分や、いる場合は同行者の優れた点や至らぬ点がよくわかる。

 

某日

 とにかく現状の制度ではすぐには大学との複業が認められないとの結論に至ったという通達が届く。この展開もまあ薄々予感していたことであったが、だれがどんな形でこの判断を下したかは知る由もない。伝言ゲームで最寄の人事や上司から聞かされるだけである。

 「こんな状況で不確定なことも多いので、あなたの口から退職の旨を同僚に言うな」みたいな感じになっており、来年度計画の打ち合わせには出ているが、その頃にはもう自分はいないことは言えないという脅威の縛りプレイに渋い顔になりつづけるのみ。

 この大企業特有の、個人の負う責任を過剰に減らすシステムに救われ、なんの責任も負わずに働いてきた自分であるが、最後にその仕組みによって放流されるというこの体験は、寓話っぽさもあるし、ある意味では普通は飛ばされるようなB面まで美味しくいただいたとも言える。これまでに大企業勤務の恩恵は十分に享受したはずであるが、直近の印象はひたすらにバッドで、終り悪ければ全て悪し、もう知りませんよといった気持ちである。

 最初からそうだったのであれば、2月の頭で退職を決意し3月は有休消化をしながら先のことに備える期間があったわけであり、そもそもこうして出社し不毛なやり取りをする必要はなかったのであるが、時すでに遅しである。天からの降ってくる労務規則に関する判断と違い、実際に一緒に仕事をしている人たちには単純に恩義があるため、突然消えるようにいなくなるという事実に申し訳が立たない気持ちであるが、そもそも好きなことの領分を増やすための自分の判断でこうなっているわけであり、その申し訳精神で来年度の飯が食えるわけでもない。

 

某日

 出演のために渋谷へ。道玄坂の飲み屋からtofubeats氏のdon't stop musicが流れており、そのまま到着したasiaではDAOKO氏がリハで水星を歌っていて勝手に一人でテンションが上がる。ステージ上で「退職届出してきましたわ〜」みたいなことをヘラヘラと言ったが、先のことが何も決まっていないので、地に足のついた開放感というのは全く感じられていない。

 

3/24 

 羽田空港でMU2023。オタクが本来知らずに死ぬ類の酒であるイェガーを振る舞い合い、自分のようなよくわからない音楽が期待を持って受け入れられるのは本当にすごいことであり、MOGRAのファンコミュニティはもはやとんでもない次元に達しているように感じる。

 2020年に自分がカメラに向かってヘラヘラ音楽を再生したことが、見てくれた人になんらかの感情を想起させ、それが巡り巡ってまた自分に帰ってくるというのは、久しぶりのポジティブなソーシャルネットワーク体験でした。みなさま本当にありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。

 

3月某日

 会社とのやりとりの関係で社内に自分の退職がオープンになる時期が最終出勤8日前という異常事態になってしまい、意味わからんやつが意味わからんやめ方をした感じになってしまっているのが非常に心苦しい。限られた残り時間で直接的に一緒に仕事をしていた人への引き続きや説明などを可能な限り進める。

 一方で面白いことに、「実はピアノを習い始めていて…」とか「ずっとトランペットやってたんですけど子供ができてやめちゃって…」とか「作曲に興味があるがなかなか手が出なくて…」などと普段喋ったことのないベテラン勢に急に話しかけられたり、歳の近い同僚に「音楽活動頑張って」と言われたりなどし、想像以上にみな音楽そのものや自分の活動に興味を持っていることを知る。仕事以外の人間関係やプライベートな会話を意図的に避けてきたことへの若干の反省と、自分が音楽とサラリーマン仕事を完全に切り離せていたのは、実はいろいろ聞きたかった周りが聞かずにいてくれたという気遣いありきであったことを、わかってはいたが改めて確認することになったのである。

 

某日

 パナソニックでの勤務最終日。基本的にNGのスタンスだった人事戦略部に対して、部長課長のみならず、人事サイドにもなんとかしようと尽力してくれた人がいたことを知り、自分はなんて仁義の希薄な人間であったんだろうと思い知る。

 副業どうこうの会社判断を除くと、パナソニックは本当に働きやすいいい会社であった。ネットで揶揄されがちな、いわゆるJTCは、規模のデカさも相まって、あるレイヤーではたびたび指摘されているような問題を抱えていつつも、米国などのイケイケベンチャーや、他国の同分野の企業と比較しても、働いている人間の能力や、その大枠の仕組みが他国などと比べて劣っているとはどうも思えない。守秘義務の関係で仕事の内容でのネットイキりができないだけで、身分も不明なスタートアップ気取りのネットのカスに一方的に仮想敵として不当に石を投げられるのは甚だ遺憾ではある(ポジショントークではなく、本当に無責任な揶揄が多すぎると思っている)。日本の新卒での入社先がパナであったのは、これも一つの人生のターニングポイントであったのであろう。お世話になった課長、部長、所長に見守られながら退勤。本当にお世話になりました。

 

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 ということで4/1から京都精華大学で講師をすることになりました。上から教えるというよりは、いち音楽制作のプレイヤーとして一緒に試行錯誤できればと思いますので、もしこれを読んでいる学生の方がおられましたら、授業とか関係なくお気軽にご連絡ください。

 音楽制作に興味を持ったとして、その興味の対象が、満足に体系化のされていない音楽などだったとしたときをどうにかしたい、というのが自分が今回大学に行く最大のモチベーションです。音楽を学ぶ、みたいな話題になるとしばしば「絶対音感は幼少期にしか身につかない」とか「楽器習得を子供の頃にやってないとダメ」とかそういう話がすぐ出てくるが、そういう発想自体が、この世の音楽の壮大なパイのデカさを考えるとかなりもったいなく、和声やメロディ、楽器演奏のアカデミックな知見が必須な分野というのは実は局所的で、あくまで音楽の一側面であるという事実が置き去りになっているというのが私の考えです。

 ピアノを学びたい、と思ったらそれはそれはたくさんの教育の体系やノウハウがあるし、クラシックの和声を学びたければ世の中には素晴らしい教材が山ほどある。ではヒップホップのビートに、訳のわからない電子音楽に、つんざくようなノイズに魅せられた人がいたとして、どうやってそれらの制作の一歩を踏み出せるのか?その興味の芽を摘まないためには?という話で、全員に一様に芸大和声の教科書を与える以外のサポートの仕方があるんじゃないかな〜といったことを考えています。「そんなものは学ぶものではない、自分で掴み取るものだ」、という意見には半分は同意ですが、人間の好みは千差万別、十人十色であるのに対し、大半の分野がバッサリと落とされてしまっている現状、もう少し親切ゾーンが設定されて、自分のようなよくわからない音楽を楽しく続けられるようになればいいなと思っています。

 

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 音楽以外の来歴は以下です。水〜日は大学での授業がないので飯を食うための仕事を探しています。音楽でもそれ以外でも。平日自由に動ける貴重な機会なのでおもしろそうなやつはやらせていただきます。何かあればお気軽にご連絡ください。(なんもなければパナソニックとはまたなんらかの業務委託契約をする運びですが、先のことは不明。テクニクスの人ももしこれ見てたらなんか連絡ください、なんでもします)

 

有村崚

何かあればr.arimuri@gmail.comまでお願いします

〜2015

京都大学工業化学科

〜2017

京都大学大学院工学研究科

高分子物性、分子シミュレーション

〜2022

パナソニック株式会社(ホールディングス化により2021年度以降の所属はパナソニックインダストリー(株))

主任技師(P10)

車載リチウムイオン電池の電気化学シミュレーション

インダクタ材料の研究開発

基盤材料の熱シミュレーション

(取り組み対象や技術的な詳細な内容には一切お答えできません)

<資格など>

普通自動車免許

電工2種

TOEIC920

<スキル(理系分野)>

C/python

有限要素法、個別要素法でのシミュレーション

分子動力学シミュレーション

<クリエイティブ分野>

音楽制作

映像制作

簡単な電子工作

 

 

2022_Works

出せるやつだけ

クラブコスメチックス t8k PR動画(音楽+SE)

 
 
 
 
 
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珍しく大阪の制作会社と大阪で完結した仕事。曲かなり気に入ってます

 

DUNLOP TYREGRAPH篇PR動画(音楽制作)

youtu.be

普段作らないような曲。こういう四つ打ちのEPを出したいなーと思い続けはや3年。

商業施設「MAROOT (マルート)」カウントダウンCM音楽制作

画像

富山の商業施設「MAROOT (マルート)」 がオープンするまでのカウントダウンCMの音楽を作成させていただいていたりなどしていました。ローカルCMなのでオンエア見れず。

 

ロート製薬 ロートCキューブ 「CCキューブ ダンス」篇 作編曲

youtu.be

歌詞のみが存在している状態からの制作。tiktok的なアレンジ。

 

アイドルマスターミリオンライブソロ “M@STER SPARKLE2 06″楽曲提供

ギター&ベースをおれの楽器演奏心の師であるigrek-U氏( @ancre_this)、ドラム演奏&RECエンジニアリングを武田(@ta_ta_ta_dr )にご担当いただきました。これでポップス作るおもろさに目覚めた感じはある

 

VaVa 3rd Album『VVARP』M12. ”Gatsby

youtu.be

ストリングのアレンジを町田匡さんにお手伝いいただきました。演奏はVn.町田匡 Va.萩谷金太郎 Vc.小林幸太郎(敬称略)にお願いいたしました。MIXはD.O.I.氏が担当です。VaVa君のメロのセンスってまじですげーなーと思います

in the blue shirt 3rd album "Park with a Pond"

youtu.be

今年の上半期はほぼずっとこのアルバムを作ってた。アルバムを出すよりおもろいことなし。



”Free Association”

 

youtube.com

人を巻き込んでの動画大喜利連作。最近更新できていませんがまだ続いています。というかずっとやります

ケース・バイ・ケース / in the blue shirt feat.初音ミク

気まぐれで初音ミク。ギターリフが思いついたと言うだけの曲。

時を楽しむ時津町2022

youtu.be

毎年自由にやらせてもらっていますが、今年もなんか掴めそうな曲になりました。

サンドリオン『SOUND OF BES2』

 

画像

M5のLINE LOOP(in the blue shirt Remix)で参加させていただいております。バンアパ木暮氏作曲、やぎぬまかな氏作詞でかなり恐縮しながらのリアレンジ。2キーを行き来する転調のさばきは謎の仕上がり。

tricotニューアルバム『不出来』 上出来 ~不出来Remix~

Voイッキュウ氏からLINE経由で頼まれたので2つ返事で作ったが、まさかアルバムに入るとは思っていなかったです。

 

ライティング仕事

作文大好き、作文いっぱいさせてください

ブログ

arimuri.hatenablog.com

平均文字数は増える一方、テキスティングジャンキー

無題

某日

 3rdアルバムリリース日。コロナの鬱屈と共に、意図的に1人で閉じて制作した前作のEPに対し、今回はかなり投げかけの意識で作った作品である。なにもわかっていなかった1st、今思うとほぼ心の機能が停止しかかっていた2ndときて、3枚目にしてようやく平常時の自分のフィールを作品にできたような気がしている。

 自らの音楽活動において、唯一誇りみたいなものを持っているとするならば、まとまったEPやアルバムを出し続けているということになるであろう。リリースに付随してツアーなどがあるラッパーやバンドに対して、自分くらいの規模のエレクトロニックミュージシャンにとってはアルバムを出しても特段なにかが起こるわけでもなく、リリースに対するご褒美のニンジンはかなり手薄である。そして「〇〇(有名企業)のテレビCMの楽曲を担当しました」とかのほうが客観的な評価としては有効で、"個人が自主的に作った音楽"に興味を持ち、能動的に評価してくれる人は少ない。それでもどういった理由か、頼まれてもいないのに1人作品を作り続けている。正直なところ自分の才能みたいなものに対してはだいぶ天井が見えてしまっている感があり、この継続のみが唯一のアイデンティティである。

 そしてやはり自分はアルバムというフォーマットが好きである。この作品をもし気に入ってくれた人がいるのならば、そいつは私と気のあう部分がきっとどこかにあるのでしょう。

 

某日

 自分は先天性耳漏孔という生まれた時から耳の横に小さな穴が開いている病気?である。基本的には穴があったところでなにというわけではない(強いていうなら洗わないと臭う)のであるが、久しぶりにその穴が炎症などを起こしてしまったので、これを機に手術をして取ってしまおうという運びに。

 無意味に生じた、なんの機能のない穴とそこにつながる謎の管を切除するという謎手術、局所麻酔のため聴覚がある状態で耳をチョキチョキ切られるのはかなり恐怖ASMR体験であった。「手術室ってマジで映画とかでみるやつと同じなんや」という感想の中、のべ4時間ほどで両耳の穴の切除が完了。聴こえ方に変化もなくひと安心。

 

某日

 知らぬ間に都内のクラブは当たり前のように連日イベントが行われ賑わっており、一方で関西をはじめとする地方はこの「もうイベントとか普通に楽しんでいいっぽい雰囲気になってますよ」というこの共通認識のモードすらうまく捉えられていないといった感じである。

 コロナ禍でも営業を続けた一部のベニューを除き、どこに行ってもなんというか、ログインしなさすぎてゲストアカウントに戻ってしまった的な感覚がある。久しぶりの友人に会うエモさよりも、正直いろいろとわからなくなってしまった部分のほうが多い。みなログイン履歴が消滅し、初期アバターで集合しているかの如し。しかし料理の匂いで実家を思い出すように、かかる音楽によって想起される記憶のみやたら鮮明である。

 

某日

 Cast offのquoreeリミックスをリリース。quoree氏がアートワークを頼みたいと候補に挙げた油絵画家のMモト氏、元絵(風景画が主である)を描いたのちにその上から筆をふるい一旦元絵を破壊、その上に抽象モチーフを忍ばせる、というかなりアツい作風で、本来完成品である2mixを木こりのように切り刻み再構築している自分と通じるところを感じざるを得ず、珍しく面識もないのにアートワークを依頼したところ、完全アナログ制作で快くご対応いただきました。

 quoree氏もquoree氏で、サウンドデザインの技術もさることながら、リミックスの意図を問うと「これは悪夢を想定していて…」と技術以前の狙ってる的の話をしてくれて、2人ともなんて面白い人間なんだと興奮しっぱなし。自分は依頼したのち見てただけ。こんな役得なポジションがあるのかと感動しきり。初速を与えたら行くところまで行くこの感じはかなり久しぶり。ライク・ア・ローリングストーン!最高!

 

某日

 大阪新町のレコード屋Alffo RecordsでDJ。個人店なのに新譜をバンバン入れるタイプのレコ屋であり、店を見渡すと聴きそびれていた有名どころの新譜が目に入り、最近聴くのサボってんな〜という気持ちに。

 京都時代に多大な影響を受けた先輩である田中亮太氏が来ており昔話や近況報告など。2人してUSBが店のCDJに認識されず、仲良く対応に追われながらのオープン。CDJ1000の液晶ってこんなんだったなーと思いながら楽しくDJ。

 その後なぜかてるおさんの運転で京都へ。遊びに行ったウエストハーレムに大学の後輩の栁澤くんがポパイの記者として取材に来ていて驚き。「有村さんも出てた留年男子特集をダシにポパイ入れましたよ」みたいな話をしながらマガジンハウスの名刺をくれた。確かにそんなこともあった。あの頃はただやるべきこともやらずに狂ったように音楽を聴いていただけであったが、知らぬ間に自分も音楽を作るようになり、そしていい年こいていまだにほぼそのまま同じような暮らしを続けている。そんな暮らしの裏で、大学で出会った友人はめいめいの仕事で責任のあるポジションを担い始めており、それは素敵なことである。

 

某日

 急遽InterFMに出演、古い知人であるホサカ氏がパーソナリティであり、これまたポジション担い案件である。ラジオに出るたびに思うが、自分の曲や喋りを自らの意思ではなく聞かされた人はどんな気持ちになっているのであろうか。

 

某日

 初音ミクの楽曲「ケース・バイ・ケース」をニコ動で公開。ボーカルエディットで培った音韻ノウハウを作詞に落とすトレーニングがしたかったというのと、島田(siroPd)と遊びたかったというのが主な理由である。セルフ課題として、言葉の音韻を理解できていれば、ボカロに会話をさせることも造作ないはずであり、最低限のピッチ変化のみで喋ってるっぽく出来ることを確認したかったが、肝心のボカロエディタの操作を覚えるのが面倒で、適当に中途半端な初音ミクとの会話動画を量産するに至る。

 

某日

 ノーベル賞の発表日。自然化学の分野において最も権威のある賞の一つであるが、これが明確な基準やルールもとに争うコンテストではなく、個人の金で作られた私的な団体によるブラックボックス審査で決定されるという部分に自分は美しさを感じている。

 性善説への無防備な信頼というのは常にくだらないハックの対象になる。「審査が不透明である」というのをズルし放題としか見れないのは貧しさであるが、世の中というのはそんな奴ばかりである。私的な財団が、儲かるわけでもないのに自分の金で勝手にやっている、というのは、ガバガバとみせかけて、そいつらがまともである限りはまともであり続ける。好きにやってるんやから文句とかいうなよ、その代わり一生懸命やります。その一生懸命を出来るだけ美しく。

 ついでにイグノーベル賞、日本人の受賞者が多く、相対的に本家比で米国の受賞者が少ないのである。日本の研究にまつわる環境や仕組みは終わってます、とはよく言われており、特に間違っていないとは思うが、その終わっている環境を踏まえてアカデミアに身を投じる奴の異常性は増すばかりであり、そんな奴の研究は利害を超越した異常なものになるわけである。研究者の身分や収入が保障されてこそ枝葉の研究が盛んになると見せかけて、「適切な対価が与えられない」というふるいで濾された異常者によって、辺境のイグノーベル賞的な研究の割合が増しているということになるんか?

 ともあれ、前提として適切な対価は与えられるべきであるが、つまるところ、やるやつは環境に関わらずやる、ということに尽きる。そして、個々人の興味の対象とは他人にはコントロールのできないということでもある。

 

某日

 名古屋でHIHATT周年イベント。新幹線に乗ること自体久しぶりでかなりテンション高め。みなかっちりハウスを掛けていたのに対する逆張り半分、最近京都の学生時代を思い出す事案が多数あったため、クラブミュージックへの理解が無だったあの頃を思い出し選曲。DJはマジでもうちょっと練習しないといけない。そしてみるたびに思うがトーフさんはマジでDJが上手い。

 ホテルが同じだった小鉄さんとラーメンでも食いましょうと深夜の名古屋駅近辺に繰り出すも、検索して出てきた店はどこも空いておらず、チェーン店の居酒屋に吸い込まれる。

 

某日

 早々と名古屋を後にし神戸へ。久しぶりのパーゴルとブッダハウス。貴重な兼業仲間であるネイティブラッパー氏とは毎度お馴染みのサラリーマントーク。新譜を交えたライブセットは徐々にコツを掴んできた感。

 

某日

 ソーコアでDJ。ソーコアに行くたびにもはやあえてすき家でチー牛を食っている気がする。

 ソロもバンドも曲を作りまくる年下制作ジャンキー筆頭の近藤くん、まさか関西のライブハウスで同じになるとは思わなかったLITEのジュンイザワ氏、どちらとも割としっかり話をしてなにかを得たような気分。ヤックルに近々飯行きましょうよ、と言われ、その場で同時にLINEにも飯行きましょうと送ってくる彼らしいムーブに興奮(返信してないことをいま思い出した!スマン!)。

 ペーパーの弟のバンドは普通に演奏したのちにしばしアシッドのシーケンスが走るみたいなかなり興味深い形態。そしてペーパーは相変わらずDJが上手い。3日も連続でイベントに出ると疲労で脳がふわふわしてくる。コンビニで炭水化物を買い込みドカ食い気絶。

 

某日
 かずおとケンジと公園でぼーっと座っていると、怪しげなおっさん2人組がチラシを手に「国葬は反対ですよね?!?」と接近してきたので「なんで国葬反対なんですか?」と聞いてみると「安倍晋三は悪い人なんです!」を繰り返すだけであった。こんな草の根で、面識のないやつに考えを説くのであれば、もう少し仕上げてこいよと思うわけであるが、説明してもどうせわからないアホと思われていただけの可能性もある。

 近頃は文字通り賛否両論のニュースが多い。「いや〜賛否両論ですねえ〜」的な日和見態度はやめ、しっかりと自らの頭で考えスタンスをはっきりさせたいと思う気持ちと、スタンスとか以前にこんなことにおれの人生や脳のリソースを一ミリも割きたくないという気持ちが常に半々である。「政治に興味がない」というと「人々との暮らしと政治は不可分なんですよ」と返される。そんなことは百も承知で、ぶっちゃけなにも考えたくないというのはまあ本音である。

 

某日

 アトロクに出演。宇多丸さんは毎度おれの曲をマジでちゃんと聴いてるんだろうなということがわかり、適当なそれっぽいだけの感想を言わないのでこちらとしてもふんどしを締めていかねばならず良い緊張感がある。対おれというか出演するゲストや紹介する作品全てにそういうスタンスなのだと思われる。自分は人に注意をしたり指導をしたりすることとは無縁であるが、他人に良い緊張感を強いることのできる人間は目指す価値がある。

 

某日

 人生初のM3参加。これまで同人シーンは近くて遠い存在であったが、コロナで失われた成分を取り戻すには自らの手で自らの創作物を売るしかないのである。完全に1人だったためどこも見にいけず1人で売り続けるのみ。

 自分のような音楽を作るにあたって、とにかく仲間が少ない、というのがずっとついてまわる悩みであり、解決すべきあると思っていたわけであるが、M3の規模はもはやマスといってよく、音楽活動をこちらでスタートしていたら全然違うマインドになっていたんだろうなとすら感じてしまった。

 もっと挨拶回りとか行くべきであろうに、売り子も立てず1人で売り直帰するあたり自分の悪いところが出ているとしか言いようがない気もするが、それでもわざわざ何かを買ってくれたり、話しかけてくれたりする人がいるおかげで自分はなんとかなっているわけであるから、もらった恩はなるべく返していきたいものである。

 

某日

 良質なファンコミュニティみたいなものを考える上でよく思い出すのがジョンメイヤーとポーターである。

 ジョンメイヤーはその圧倒的なプレイに対してのプロップスがあり、新譜が出るたびに世界中のファンが彼のフレーズをコピーする。ピュアなプレイヤーズ・ファンダムである。一方でポーターロビンソンのファンの信頼は本人を超えて"ポーターの好きなもの"にまで及んでおり、それゆえに彼がキュレートするイベントや作品はスベらない。 

 自分は2人のような圧倒的な実力はないが、距離は足らずともベクトルの方向性は合わせたいと思っている。

 クリエイティブの分野にいると、こいつは本当に音楽が好きなのか?みたいなジャッジの目線を人に向けてしまうときもあるし、また逆にされる立場になることもある。じゃあ本当に音楽が好きな状態ってなに?みたいな話になるわけである。とにかく判断基準をミスると悪いインディ野郎(排他、保守、客観性の欠如)になってしまう!

 

某日

 名古屋でタッチ&ゴーなるイベントに出演。うまく説明はできないが、みんな音楽が好きなんだろうな〜と毎度思うんだから実際そうなんでしょう。久しぶりのナイトイベント出演、気持ちよくライブして酒飲んで気絶。

 

 

 

 

 

年末12/30(金)デイタイムに渋谷WWWでアルバムのリリースパーティをさせていただきます。おれの人生の憧れであるレジェンドの寺田さんと田中さん、共作した川辺くんとVaVaくん、関西のミュージシャンでおれの気持ちを托せそうなピアノ男もいう贅沢なメンバーにて。こんなアホみたいに長いブログを読んでくれるみなさんにこそ、文章では伝わらない成分を摂取しに是非来ていただきたく思います。文章よりは音楽の方が得意だし!チケットは今日の昼から(多分)買えます。何卒!!!

"Park with a Pond" inspo 書籍編 (随時追記)

"Park with a Pond" を作るにあたって影響を受けた本を書いていこうと思いましたが、途中でだるくなったので書きかけで公開しました。残りを追記して完全版に至るかは謎です

1.檸檬 (梶井基次郎)

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大阪城公園をぶらぶらしていたところ、あまり綺麗とは言えず底の見えない水堀をぼんやりとみながら「これ死体とか沈んでてもわかんねえなあ」と思ったのがそもそものスタート。(動画は全部大阪城公園で撮影したものです)

 桜の樹の下には 屍体 が埋まっている!

 いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。(梶井基次郎

これ梶井基次郎のアレやん!と思うわけである。コロナ禍真っ最中であるのに、公園に来ると恐ろしく平和かつ穏やかで皆楽しそうであり、なんならノーマスク時代と比べると人が少なくより過ごしやすい。一方でドブみたいな堀には(いま思うと城=戦の安易な連想であるが)死体が沈んでいるかも知れない。死体どころかなにが沈んでいるかわからない。死体どころではないかもしれないし、何もないかもしれない。まるで建前に隠された人間の本心のようである。漠然とこれをアルバムのテーマにしようと決めた。大ネタサンプリング感も自分っぽい。

 加えて、自分は梶井基次郎檸檬収録の”桜の樹の下には”という短編が異常に好きであるが、その理由の1つに、誰かに話しかけているような主観語りの視点で終始綴られるから、というのがある。その様子は、自分が音楽を作っている時、ないしは家で一人スピっているときの状態そのものであるように思えてしまうからである。
教科書とかに載っているような作品なので勧めるまでもありませんが、青空文庫で読めますので読めますので未履修の方は全員読んでください

www.aozora.gr.jp

2.雪沼とその周辺 (堀江敏幸)

2020年の夏頃に『正弦曲線』という堀江敏幸のエッセイを読んでいたく感銘を受け、しばらく堀江敏幸の作品をいろいろ読んでいたうちの1作。どれもこんな文章が書きたいと思えるほどの素敵なものである。

この作品はオムニバス形式の(かつそれぞれがたいして干渉し合わない)8篇、一つの街を舞台に、なんらかのアイテムとそれにまつわる自分語り的な回想が繰り返される。そしてとくにセンセーショナルな何かが起こるわけではない。ちょうど出来事濃度が高すぎるエンタメ作品の到達作品であるゲーム・オブ・スローンズをシーズン8まで見切った後だったので、その塩梅があまりに心地よかった記憶。

”おもんない人間なんていない、おもんないのはお前だけ”理論を振りかざす上で、市井の人間のおもしろさがどこに宿るのかを考えさせられてしまった。世界チャンピオン、シャバに出てきたてのアウトローなどの珍しい職業や属性、Youtubeを始めたら即数字を取れるような"濃い"人生の持ち主に対して、悪魔の淡白軍団である平々凡々な平民の美しさに、”みんな違ってみんないい”的な安直なレトリックに逃げずに向き合うには、一人一人の記憶と、それにまつわる話に耳を傾けなければいけないのである。

自分の音楽はストーリー不在である。そんな中で、公園という空間で過ごすそれぞれの人間の心に池があり、別に相互不干渉である、という構想のもとになった気がする。あいつとは仲がいいが、池の中身は知ったこっちゃないのである。池への接近は基本的に回想と語りによってなされる。でもわざわざ池の真実を暴くまでもなく、公園にその雰囲気は表出しており、それこそが個性である。

3.スケートボーディング、空間、都市―身体と建築 (イアン・ホーデン)

もうすでに過去のブログで以下のように書いているが、我々平民が、上述のいわゆる"濃い"人生に比肩するには、スケーターのもつ、都市に対するまなざしの姿勢が必須であるというのが自分の考えである。

いい機会なので、値段が高いと言う理由だけで長らく読まずにいた”スケートボーディング、空間、都市―身体と建築”を買って読む。典型的な、書いてありそうなことが全部書いてある(いい意味で、途中で読むのをやめても問題がないとすら思えた)本であった。人を住まわせて金を稼ぐための市営住宅プロジェクトが生んだ退屈な建築物は、スケボーを持ってすればクリエイティブの対象である。要するに”おもんないアニメなんてない、おもんないのはおまえだけ”(言い出したのが誰かは知らん)、”目に映る全てのものがメッセージ”の精神である。

 スケートボーディングは犯罪か否かを論じることは、音楽のサンプリングと非常によく似ている。リスニングの対象であり、完成物であるはずの音源は、サンプラーを持ってすれば、新しい音楽を生み出すための文字通りの素材である。これは都市とスケーターの関係のミラーである。そしてスケボーは公共物に傷をつけ、サンプリングは著作権を侵す。音楽制作者としての自分は、要するにストリートで学んだが、いまはパークでしか滑らないスケーターである。

4.トーフビーツの難聴日記(トーフビーツ)

リアルタイムで日記が更新され続けるevernoteのリンクが共有されており、わりと書籍発売直前まで更新されていたため、結果として今回の自分のアルバム制作中にずっと読んでいた書き物であるとも言える。

読みながらその書きっぷりと温度感で朝永振一郎教授の「思い出ばなし」を想起し、その旨を連絡したところトーフさんがさっそく朝永振一郎関連の書籍を買っていて、さすがだなと思ったりもした。トーフビーツ朝永振一郎の間に私の見出した共通項のようなものは、自分が音楽にもとめる温度感そのものといってもいいかもしれない。

トーフさんはよく理想の活動の姿勢を「おなじ的に向かって球を投げ続けている」みたいな例え方をする(このインタビューでもその話題に微妙に触れている)が、そういう意味では自分はかなり的が狭い人間である。

tofubeats氏の活動および姿勢の薫陶を受けた結果が今の自分といっても過言ではなく、ありがたいことに1ページもらいtofubeats論についてマジレス文章を寄稿させていただいておりますので是非。

5.春宵十話 (岡 潔)

元々は大学生の頃にネットで見かけた以下のパンチライン

私は数学なんかして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうとスミレのあずかり知らないことだと答えてきた。

の原典に触れたいというシャバい動機で読んだ本である。理系レジェンドのエッセイという意味では朝永振一郎書籍と似ているとも言えるが、以下の文章も含むパンチラインはしがきから始まるこのエッセイは、より主義主張がはっきりしているものであり、なんとなしの日記というよりは、人にを教え導かんとする松下幸之助の文章などに近いバイブスである。

私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。

全体を読むとちょっと前時代的に感じる部分もあるが、数学を突き詰めた人間が、情操の豊かさこそが重要で教育の本懐であると語り続け、さらに表現をすることは生きる上で最重要であると言い切るのはかなり迫力がある。スミレはスミレのように咲け、理由はスミレだから。ではそのスミレさの発現というのはどこから?と考えた時に、平々凡々な我々平民の心の中に、源泉となるきったねえ池があるということである。

6.最短コースでわかる ディープラーニングの数学 (赤石 雅典)

どこかで見かけたDiffusion Modelという生成モデルを用いた連続画像シーケンスの表現に感動してディープラーニングの基礎を勉強開始。別にPyTorchとをはじめとする既存のライブラリを使うだけなら別になーんも知識なんていらんわけやが、初歩は理解しておかないと今後損しそうなので珍しく本を買って勉強。初学者用の本ではこれが一番しっくりきた、理系なら全員これ読んどけばいいと思う。
無理解からくる「AIがクリエイティブ領域をめちゃくちゃにする!」とか「人間の魂が宿っていないものはカス!」みたいな両極端な意見は論外として、所詮どこまでいっても多次元空間に浮かぶ点めがけて数値をどうにかしていくだけ、という感覚はみんなが一度味わっていても良いかもしれない。

トーフビーツ論で言うところの「的」が多次元空間に浮かぶ点であるとするならば、創作活動は1.点の設定、そして2.その点への接近の2つに分けられる。現在AIは雑に後者をやっているだけであるともいえる。完全解析された多次元空間を仮定して、最短距離での最適化プロセスが提示されたとて、その点に本質的な優劣がない以上、たどり着いたところで何がどうというというわけではない。

そんなもんなので、おれが音楽を作る理由がAIによって奪われる可能性は生きている間はまあ低い。的が明確っぽく見えるのは美しいが、自分の的を自分が完全に理解できている(ないしはできる)と思うこと自体がそもそも驕りであり、怠慢である。

そんなこんなで私の習作が以下ですが、stable diffusionの登場前にやっといてよかったなと思う。分子シミュレーションでブラウン運動させまくっていた身分としては、Diffusion Modelの拡散過程というのは実にイメージが容易である。

 

 

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7.ブランクスペース(熊倉献)

スパイファミリーをはじめとするweb連載ベースのヒット作がどうも好みに合わない中、熊倉献氏のこの連載はリアルタイムで完走。ちょうど最終話の公開が8月中旬であったため、これとともにおれのアルバム制作も終わったんや・・・みたいな気持ちに勝手になったりした。『春と盆暗』もそうであるが、人との出会いによって前に進むためのきっかけを得る、みたいな話。スイはクソみたいな人生の中、創作物に救いを求め、最終的に自身も創作を志す。ショーコはスイの趣味嗜好に対しての知識も理解も持ち合わせていないが、心からリスペクトを示しており、二人は良い友人となる。池を暴かずとも心は通う。自分がアルバムでやりたかった感じとかなり近い。

viewer.heros-web.com

8.泣く大人(江國 香織)

女性作家のエッセイが読みたくて購入。全体でいうと好みどストライクというわけではなかった。一方で”ほしいもののこと”という章の中で井戸が欲しいと綴られる部分がある。「公園は平和だが、池には何が?」とするおれと指向はかなり近く、持ってもいない井戸が裏庭にあると仮定して、具体的な利点や効能を羅列する。祖父母の家にも井戸があり、朗らかな思い出と共にある。井戸is平和。でもそれだけが欲しい理由なのかというとそうではない。

ときどき、蓋を開けてのぞき込む。そこはまっ暗で、深くしずまり返っている。冷気がのぼってくると思う。声を出すと、わずかに反響しながらその声が下に落ちていく。別の世界へ。裏庭に別の世界がある、ということの安心!

別世界へのゲート、あちら側へのメタファー。触れられない、得体の知れない場所へと続く穴。家の裏庭にそんなものがあるということを、安心と表現する。この感覚は本当に共感しかない。最後はこう終わる。

やっぱり井戸が欲しいと思う。最後にはきちんと身投げもできるもの。

朗らかさの獲得と、桜の木の下の死体的な物へのゲートとして。美しいものを見たときに、その背後にある禍々しさを見出すどころか、桜-死体セットを意図的に設置したい!という能動。おお〜かなりおれと近い!と勝手な共感。

9.カメラの前で演じること(濱口竜介

「ドライブ・マイ・カー」はあいも変わらずすごい映画であったが、濱口作品に通底するモードに対して、もう一歩、もう一声おれに情報をクレメンス・・・と思いこのタイミングで購入。

野暮は承知でおれの言葉に当てはめるのであれば、「人のからだの動作には池が表出している。カメラの前で演じることというのは、演じる人/演じられる人のもつ池を捉えようとする試みだ」という主張である。

演じる対象を完全憑依させ、寸分の狂いなく対象そのものとして振る舞える状態を、理想の演技とみなさないということである。演じる人/演じられる人のもつ池は違う。差異の認識こそが重要である。さらにその差異を認めるどころか、場合によっては(こと『ハッピーアワー』においては)改稿をも辞さない、とまで言い切る。

「自分は自分のまま。他者は他者のまま」、一緒にやっていく」という人付き合いの難しさは、そのまま想像上のキャラクターを演じる困難さに移し替えられるのだ。他者=キャラクターの尊重はもちろん重要だが、もしかしたらそれ以上に自身の違和感は尊重されなくてはならない。

濱口竜介監督は、映画によって池の表現をしようと腐心していると言える。『ドライブ・マイ・カー』でも『ハッピーアワー』でも執拗に繰り返される、本読みをはじめとする演技の習得の過程を執拗に描写するのは、池の差異の認識作業であり、極めて大きな意味を持つ。

池を伝えるためにすることは、池の水を抜くことではない。まじですごい本なので全員読んで欲しい。

余談としておれは古本で買ったが、いろんなところに円や線の書き込みがあった。その書き込み主とは何一つとしておれとは気が合わなさそうであった。

10.思想としての孤独(清水 学)

11.望郷と海(石原吉郎