某日
最近は、考えに逃げられる、みたいな感覚が強まっている。これはただイキった言い方をしているだけで、とどのつまり、いろいろなことをすぐに忘れてしまうというだけの話である。カスみたいなSNSの投稿、制作のアイディア、感動した曲、印象的な出来事があり、それらに対して抱いた感情みたいなものが、油断するとするするとどこかへ行ってしまう。これは結局、自分の感動する対象がどんどんぼんやりしてきたという理解をしている。
歳をとるにつれて、大学に受かりました、とか自分の曲がレコードになりました、とかいった類の、具体的な(自分がこの先達成しうる)実績解除項目が減る一方なのに対して、いい感じの人間関係を築きたい、とかいい感じに暮らしたい、とかいった風に、ファジーな欲求ばかりが膨らんでいき、それに対してのファジーな感情ばかりを抱くので、そもそも捉えにくく、すぐ忘れてしまうのである。
こういう状況に対して、音楽や、文章を書くというのは実にはまりがいい。ふんわりとしたなにかを、どうにかして留めてやりたいのである。
もやもやとしたモラトリアムを経て、徐々に人生は現実にフォーカスしていき、収入が、結婚が、出世が、子育てが〜とどんどん悩みが具体的になっていくはずなのに、その全てから距離を置いて(ないしは置かされて)、この手の曖昧さを満喫しているいまの状況は、幸せであると考えてはいるが、素直に誇らしいものであるとは言い難い。
某日
フジロックで神ライブをしたようであるLIZZO が、その翌日にハラスメントを告発されている。冷房の効いた部屋でSNSを見ているだけの自分にとっては、その反応の潮流の反転について行くことさえ出来ない。
最近はライブの暴力性についてよく考える。我々は神ライブを見ると、本当に信じられないくらい感情を揺さぶられて、それこそ人生を変えられたような気持ちになることすらある。一方でその感情のアップダウンは実はまやかしで、たかだか数十分音楽を聴いただけで、実際なにも起こっていないという見方も一応ある。本当に人生を変えられたのか、全ては気のせいなのか、この判断つかない感じが音楽の持つ力の魅力であり、かつ邪悪なところである。
中間でいい感じにたゆたう一つの方策として、判断を急がない、というものがある。
ロックに人生を変えられた、と感じたとて、別にその日のうちに会社を辞めてギターを買いに行く必要は特にない。5年後とかに思い出して、あーやっぱあれは自分にとって大切だったな、とか思えばよい。このメソッドの欠点は、SNSとの相性が極めて悪いことである。自分もときどきやってしまうが、数年前の音楽体験の感動を短文にしたためてSNSに放出すると、懐古厨氏ね、評価が定まったのちの後出しジャンケン、昔は良かったおじさんは消えてください、などと罵られるリスクを常にはらんでいる。
一方でLIZZOの件はリアクションの機動力が高い民を泣かせたわけである。昨日絶賛した人間に翌日石を投げるという行為は、どれだけリーズナブルであっても、少なくとも気持ちよくはない。即時反応も地獄、寝かせても地獄であるならば、どちらの地獄を選ぶのか。
答えは沈黙!と行きたいところであるが、自分はどちらかというと、すぐに口を開いてしまう地獄志向であるのは否めない。
某日
イベント出演のため京都大学熊野寮へ。担当者寝坊という青い理由でリハまでレーニンとマルクスの書籍の鎮座する部屋でしばし待つ。
リハ終わりにパソコン音楽クラブの2人と雑談。柴田くんとヒカキンの新居ツアーの動画に対しての熱い意見交換。動画を上げ続けることで前人未到の領域に到達した人間が、なおも動画を上げ続けることそれ自体がメタっぽいドキュメンタリーとして機能するのはおもしろい。
その後おしゃれが行きすぎて水道直で目の前で水を注がれるソリッドな蕎麦屋で昼食。おしゃれが行きすぎて、皿に乗せて渡された物体がなんなのかわからず、「これ、食いもんか…?」みたいな空気に痺れる(実際は圧縮されたおしぼりであった!文章では伝わらない!)。自分たち以外の客は素人とは思えない容姿の良い集団であった。
熊野寮の極めて牧歌的(という表現が適切なのかはわからない)なカルチャーは知っていてなお食らってしまう部分がある。5000円以下で住居を獲得できるというシンプルな事実が、住民のメンタリティに及ぼす影響は本当に計り知れない。親の脛を齧らない真のモラトリアムは、固定費を極端に下げることで現実のものとなる。さらに語弊を恐れずにいうのであれば、そのベクトルの延長線上には確かに左寄りの政治思想がある。
学生の頃から思っていたが、熊野寮も吉田寮もコミュニケーションの作法が独特であるように感じる。あえて言葉にするならば、行きすぎた性善説と過剰な寛容さといった感じである。なんとなくその場に紛れ込んでも、特にそいつが何者かを確認する手続きをすっ飛ばして、みな人見知りの対極みたいな会話の仕方をする。学生のときは自分の人見知り成分によって、そのことがやや気味悪く思えたが時期もあったが、いまとなってはシンプルに心地が良く感じられ、その点でも自分の10年間での変化が感じ取れる。
イベント自体は、物理的にも精神的にもアツい。エアコンがない屋内に100人単位で人を入れるわけであるから、もう信じられないくらい熱く、自分のパソコンがサーマルスロットリングにより出番中に何度も落ちてしまい、氷で物理的に冷やすという嘘みたいな事態。恐ろしいことに冷やすと音が出る。イベントが終わる瞬間まで、本当に夢見たいな光景を幾度となく見せられた気がするが、じっくり味わうには暑すぎて、さながら概念的な蜃気楼の様相である。
深夜も地下でDJ。レーニンとマルクスの書籍の鎮座する部屋が、いまやダンスフロアになっている。暴力革命を志した空間で、我々は音楽に没入しているわけであり、それは非常に粋な営みに感じられたりもする。DJ終わり、流石にいよいよ頭がぼーっとしてくる。ソリッドな蕎麦屋以来たいした飯を食っていないことを思い出す。
資本とは関係ないこのアンダーグラウンドな領域で、ボトムアップでクラブカルチャーが芽吹いているのは自分にはどうしても感動的なものに見えてしまった。彼らは理屈をこえて音楽の楽しみ方を知っている。そのシンプルな事実は、クラブカルチャー的に見ても傍流の自分にとって、実に眩しいものであった。
自分はベーシックインカム的なものよりも、低固定費コミュニティにこそ福祉の未来を見ている節があり、そういった意味でも京大の寮は応援したい気持ちである。手放しに褒めるにはいささかややこしすぎる空間ではあるが。
某日
初期のテキストサイト、かつてのブログブーム、もはやなんでもよいが、そういったムーブメントの興りを見るたびに、一旦は「場が与えられていないだけで、人々の内は言いたいことに溢れており、こんなにもテキストでのコミュニケーション(もっというとバーバルコミュニケーション全般)を求めているのか!」と感動したりなどする。そしてその度に幾度となく、衆目を集めたい、金を稼ぎたいといった要素に飲み込まれ、最終的に裏切られたような気分になるのである。フェーズとして TwitterとYouTubeがそうで、表現の民主化は資本主義の尻に敷かれる形となっている。
金が稼ぎたい、人気者になりたい、という欲求は別に悪いものではないのに、ただ遊びたい人間を彼方に追いやってまでなぜこうもクリエイティブロンダリングをする必要があるのか・・・などと学生の時は思っていたが、今はそんなことはもはや思わず、リンゴが木から落ちているだけの話である。前も書いたが、いまは自分のテキストや曲、動画がネットで見られる状態になっていれば、もはやその形式は問う気はない。ボトルに手紙をいれて海に流して〜誰かが見ることを願って〜的な感覚ももはやない。ただ積んでおきたいだけである。
某日
ウエストハーレムでマゴチとEOUとDJ。マゴチとは長い付き合いであるし、EOUはいつもおもしろい。EOUらアッパーなくせに、やたら抽象的な言葉の使い方をすぐする。そして若いのにやたらおれのことを褒める。媚び的なものではなく、忌憚なき褒めであることがなんとなく理解できているので嫌な気はしない。
2時間DJ。自分は自曲でのショーケース的なプレイを求められることがほとんどであるので、ハーレムでやるとなんというかすごいDJしたな〜という気分になる。3人でのB2Bもなんか絶妙なバランス。
イベント後にシローさんと話し込む。この世には需要があって意義がない音楽がやたら多いよね、という話。需要と意義が対応しないのはいうまでもないが、需要も意義もない領域よりも、需要があって意義がない領域がやたら目立つというのは確かにそうかもしれない。意義……と考え出すと恐ろしくなったりもする。「社会意義とか全然ないですからねw」みたいな態度を自分はすぐとってしまう。京都ローカルシーンでいうと、自分はガソリンというよりは火種になりたいという気持ちはある。それ自体もある種のおこがましさがある。マゴチと松屋で飯食って帰宅。
某日
マゴチが家に来て話し込む。長々と昼過ぎから夜まで。そういえばマゴチともやたら抽象的な感じの会話をする気がする。先日の抽象3人組の次回に期待。
ここがまあまあうまくて・・・と連れて行った近所の中華が想像より美味くない。数時間後に別のピザ屋に行く。こちらは美味。
某日
中塚武さんのライブを見にクワトロへ。往々にしてそうであるが、氏の人柄がそのまま出たような素晴らしい一夜であった。ビッグバンド編成のライブを見るのはかなり久しぶりである。終演後に同じく見に来ていたサスケくんとしばし雑談。比較的近いシーンにいるはずなのに、あまりに自分と異なる経験を経ての今であるので話を聞くのは毎度面白い。ネット友達期間が長いのになかなか会う機会がなかったと思ったら、来月は新宿zerotokyoで一緒になる。何事もタイミングである。
ずいぶん待たせてしまった西山くんらと合流し、下北クリームに顔を出す。そのままFetus、セイメイとださおの家で朝まで飲酒。
某日
渋谷でwebメディア用に中塚さんと対談。カフェ難民になりやすい渋谷においてミヤマカフェが割と空いているということが判明するという収穫。中塚さんが初めて自分の音楽を褒めてくれたのが2016年、話のタネにスプレッドシートで簡易年表を作りながら待つ。おもしろいことに時間軸で並べるだけで色々なことが見えてくる。
対談と言ってもほぼ楽しいだけのおしゃべりで、時間をオーバーしても喋り続けてしまい編集の天野さんにはやや申し訳ない気持ち。(内容に関してはそのうち公開される記事を見てください)
中塚さんが自分の音楽のどの部分を気に入ってくれてくれているのかは、実際に話しているうちにだいぶ理解できたつもりであるが、それにしても考えというかスタンスというか、根のマインドに通ずるところがありすぎて少々面食らってしまうほどである。アルバムを作ってリリースする、という行為がこうやって、自分の良き理解者になってくれるような人の元に届いて、正しく評価してもらえるというのは、この先も音楽を信用していくには十分なほどの出来事である。
自分のように、カットアップという手法の切り口で、国内の作家のリファレンスツリーみたいなことを延々と考えている人間はそう多くはないわけで、そういった意味でもかなり面白い話ばかりで、また脳内カットアップ史の解像度が上がってしまったとホクホクした心持ち。
某日
ムユくん、IRIGINOくん、Sober Bearが家に遊びにくる。12時ごろにやってきて、そんなはようにきて何すんねん、と思っていたが、喋りまくったのちに焼肉、また喋りまくって結局は終電であった。ひとまわり近く若いみなの悩みや展望みたいなのを聞いていると、やはり基本的には未来の話ばかりであるので、そう言った意味で自分もほんのりポジティブな気持ちになれるのである。
終電を逃したSober Bearと深夜いろんな話をする。DTMの技術的な話から内面的な話まで。途中、見せられたHASAMI groupの歴史の動画がやたらと刺さってしまいふわふわした感情になる。素直に感動したと同時に謎の違和もある。別に脚色がなされているわけではないが、リアルタイムで見ていたものとしてはどうも綺麗すぎるようにも思ったり。当時のインターネットが楽しかった("HASAMI groupと愉快な仲間たち"という2chのスレを自分はよく見ていた)のは間違いないが、もっとどうしようもない部分もあったような気がする。記憶の濾過によって綺麗になってしまった思い出。このマイルドな物語化みたいなものはどこかで見覚えがあるぞ、と思ったが、それはまさしく自分のこのブログであった。同世代特有の手口?