無題

 最近色々と考えを整理していると、自分の音楽遍歴というのはつまるところ選択の自由を獲得する旅であるのということに気がついた。

 中学生、日本の音楽だけ聴いてていいんか、と思い、いわゆる洋楽を厨二マインドで聴こうとする。わからないので本屋でロッキンオンを読むと、「オアシス、グリーンデイ、レディオヘッドが最高」みたいなことが書いてある。まだ閉じている。とりあえず雑誌でフィーチャーされているバンドを順番に聴いた。高校生、西宮北口バーミヤンでバイトをして、その月数万円の金によって少し開かれた。横のブックオフでいわゆるロックの名盤を安い順に片っ端から買って聴いた。感動はするが、まだしっくり来ない。18歳の時に初めて自分用のPCを買い、インターネットによりまた開かれる。知らない電子音楽が沢山あった。ここでmyspaceやサンクラを通じて、市井の人によって作られた、大量のベッドルームミュージックに遭遇し、ここでようやく、これがおれのための音楽だと強く感じた。それに倣って今がある。インターネットは手に入れられる情報量をブチ上げたブレイクスルーそのものであり、自分にとって選択の自由の象徴みたいなものであった。

 選択するには聡明である必要がある。おれはなにが好きで、なにに興味があるのか、社会において何の仕事をすべきなのか?誰に投票すると世の中が良くなるのか、次の休日は誰と遊べばいい?全ては選択である。時には望んで、時にはやむを得ず。

 正しい選択のため、すべきことは聡明さの獲得、となる。となると果てがなく、これはまた難しい。

 逆に最近のインターネットというのは選択の自由を毀損する仕組みばかりである。threadsも、Xも、選んでもいない人間の発言を読まされるし、選んでいない情報を与えられる。選択をすべきはずの人々は、インフルエンサーにその選択の権利を委ね、「〇〇についてどう思いますか?」と尋ねている。買おうと思う少し前に商品が提示され、選んでもいない怒りを覚えさせられる。選択の自由をおれに教えたはずのインターネットが、おれからそれを奪うなんて!

 自分がDJを好きなのは選択そのものだから(ここでは技術の巧拙を競うようなものは除外する)である。選択、というのは深淵で、聡明なものにはどこまでも開かれた娯楽である。要するに、よいDJとは聡明であると言ってしまってよい。聡明でないと選択なんてできないからである。「DJなんて他人の曲をかけているだけでしょう?」という質問、その通り!いきなりステージに上げられて、「いい感じにしてください」と言われてもたまったもんではない。既存のものの中から好きな音楽を選んで、並べて、いい感じにしてください。その自由度の程度こそがちょうどいい。なんて面白い、これには一生飽きない自信がある。

 音楽を作るのもそうである。DJよりその構成要素の粒度が細かいだけである。選んで、並べて、いい感じにする。カットアップ&エディットは、自分にとって選択の自由のシンボルである。この世の八百万のサウンドそれ自身が、また曲を作るための素材となる。スケーターにとっての街、おれにとってのサウンド。全ての音が材料であるだけでなく、作った料理を再びミキサーにかけ、さらにまた料理に使う。このメタ構造(うんこを食べて、また新しいうんこができる!)はとんでもなく自由である。これによって、かつて自分がそうさせられたように、他人に選択の自由を提案できることも知っているのである。

 

某日

 ソーコアファクトリーでDJ。なんかpaperkraftとかとメトロとかで明るいだけのパーティやりたいなーとかぼんやり考えたり。

 

某日

 hyper thanks bomb氏が上京するというのでそれにかこつけて焼肉。メトメさんとtsumasakiさんも呼ぶ。「みんな一回集合して焼肉とか行ったほうがいいんすよ」という自分に対して「ソーコアでイベントやる?」とメトメさん。1/19。みんな来てください。焼肉オファーも待ってます。

 

11月某日

 JR西日本のプロモーション企画のロケ。同行した、エベレストに登頂経験がある写真家の上田さんはよく喋り、話が面白い。自分もよく喋るわけであるので、全日程しゃべりまくりの刺激的な仕事であった。

 

某日

 町内会を悩ませるカラス対の策を講じる会議が週末にあると知らされる。残念ながらその日は岡崎市にいる。出席できない旨を伝える。これがのちにライフワーク(?)となるカラス当番の幕開けを告げるものであったことは知る由もない。

 

12月某日

 岡崎ひかりのラウンジにてイベント出演。ひかりのラウンジは無くなることが決まっているため、おそらく立ち入るのはこれが最後であろう。到着するや否や、fri珍さんに「トルコ絨毯を買わないか」と尋ねられる。この世には彼のように屋根も空調もないハコを運営しながら、ふと立ち寄ったトルコで大量に絨毯を買い付けてしまう人間もいるのである。「小さめのもあるよ」と言われる。絨毯はいつだって欲しいが置く場所がない。

 BBBBBBBもEOUもそうだが、岡崎出身の若者は面白い。その面白さの一側面を育んだのはこのひかりのラウンジとも言えるが、何をやったかというと場所を与えて自由にやらせただけである。どうしようもない演奏をしたバンドに店長がどうしようもない説教をするだけなのが凡庸な地方のライブハウスなのだとすると、どうしようもないを通り越した珍妙な音を出したところで何も言われない雰囲気があるのがここである。かくあるべき、という規範を取り除くのは想像以上に難しい。というか、規範を取り去るということはクオリティコントロールをしないことであるとも言えるので、儲けるのが困難になるということでもある(ここでも儲かってないといっている)。オルタナティブスペースがちゃんとオルタナティブであった貴重なベニューであったわけである。箱は無くなるが、ここで育まれたおもしろ音楽は続く。

 終わった後にこのみやくんとシソくんとレンタルチャリで三河安城へ。スタンドバイミーみたいな気分になるが、おれの終着点はアパホテルであった。

 

某日

 町内会を悩ませるカラス対の策を講じる会議の結果、カラス当番を持ち回りですることになったらしい。おれの担当は3月と7月である。当番なんて普通に働いている奴はどうするんだ、と思うが、普通に働いているやつ(というかアンダー40代自体が)はこのエリアではマイノリティである。決まったからにはやるしかない。無賃労働を通り越した、会費を徴収された上での労働。資本主義を超えていけ!


某日

 映画VORTEXを見る。自分にとってはやはりディスコミュニケーションについての映画であると感じた。たまたま老いや病気がトリガーになっていたが、そのへんのきっかけはまあなんでもいいのである。誰が悪いとかの理由ではなく、ディスコミュニケーションによって不和がもたらされ、その不和によってどうしようもなくなってゆく様をあまりにまざまざと見せつけてくるので、自分の過去のいろんな記憶とリンクして少し苦しい気持ちになってしまった。最後は死ぬ。死によって不和は解消される(感じ手自身がいなくなる)が、それをどれくらい肯定的に捉えるべきかわからんなと思った。あとやはり人間の尊厳は本当に明後日の方に宿るので、他人からは意味不明である。

 

某日

 久しぶりに自主制作の作品を入稿する。初めて冬をテーマにしたし、初めてストーンズ太郎と一緒に作った。自主制作は最も人生に必要なことであるが、資本主義的には一銭の利益ももたらしてくれない。雪の積もった京都の映像を編集している。今年、京都に雪は降るのだろうか。Cold December e.p.聴いてくれると嬉しいです。

 

某日

 かつておれの特集を書いてくれた京都新聞の松尾さんに誘われ飯。半分は政治の話。政治の話をする用の若者としておれを使う人は人生初。その他の最近の動向とか諸々聞かれる。雑談と情報収集をいい感じに混ぜるその感じはさすがベテラン記者という感じ。あとおれがちくまで書いた金井美恵子書評などを褒められる。文章を評価されるのは普通に嬉しい。

 

某日

 久しぶりに神戸でDJ。JRで人身事故があり到着するのに2時間以上かかってしまった。地元のようで地元ではない不思議な距離感の街。のちに岡山でイベントがあるトーフさんも来ていろんな人と喋る。若者からすると相対的に"売れてる人"として接されることが増えた。音楽で生活してはいるが、いわゆる売れている状態には程遠い。センタープラザの地下の謎の韓国料理屋で晩飯。うまかったが量が多すぎた。
 JRでまた京都に帰ってくる。0:32。めんどくさいのでタクシーで帰る。知らないBUMP OF CHICKENの曲(多分)がかかっていた。いい曲であった。
 ついでに京都メトロに寄る。リカックスと久しぶりに会話。「退職芸良かったよ」と言われる。「芸能を副業にする」「隙を作らない」と宣言していてなんか良かった。太郎とは身の上話をして帰宅。太郎リカックスは同い年であるが、我々に共通する特徴を強いて言うのであれば、真面目で、なかなかに根性があると言う部分な気がする。

 

某日

 家が寒すぎて何も手につかない。暖房器具を調べる。

 1Fと2Fどちらにも導入するのは難しい。電気毛布を買うことにする。おすすめ商品的なのを検索するが、やはり今のネットはこの手の日用品の良し悪しを調べるのはなかなかストレスフルである。本当に使ってんだかわからんやつの謎の商品比較動画たちは時代の産んだ謎の存在である。迷ったら高いやつ。17000円の電気毛布を購入。

 

某日

 武田(ドラマー)がおれの家に置いていたムスタングベースを取りに来た。「年末になると家に山盛り届くから」と言う理由でデカいブロックのベーコンをもらう。明日から毎日ベーコンである。ブロック肉の正しい取り扱い方はあまりよくわからない。

 

某日

 久しぶりの岡山。池宗さんに久しぶりに会う。「仕事辞めたんけ?思い切ったなあ」と言われ、「はい…そっすね…」と答える。「でもやれちょんやろ、がんばれや」。この絵に描いたような岡山訛りを聞くと安心する。呼ばれたイベントは思ったよりオタク寄り。みんなデジキャラットto heartの話をしている。我々はまごうことなき"オタクのおっさん"になってしまった。
 箱のスタッフに「前きたの19年くらいすか?」と聞かれる。正解。みんなよく覚えている。岡山人脈はじわじわと色々なところで躍動していて、ありがたいなと思う。
 池宗さんの奥さんが2時くらいにやってくる。息子さんは高専に入学されたそう。「有村くんみたいになりたいと言っていて・・・音楽にも興味があって・・・」高専は本当に素晴らしい進路なので頑張ってほしい。一方年度いっぱいで理系人材としての価値が消滅する自分を思うと悲しくなる。とは言っても、確かに理系のシマで暮らしていない人にとっては、自分が知人の中で一番イメージしやすい理系なのであったりするのは理解できる。誤ったn=1のサンプルである。
 3時くらいには丹生さんがくる。「のんじょけやあ」と言われテキーラ。「うちんとこのオタクは結構オタクじゃろう」と言われ、「はい…そっすね…」と回答。オタクに優しいタイプの豪傑。「震災ん時有村くん幾つや」「3才すね」「その頃神戸で働きよってのお・・・」初耳。そこから映画館買い取ってクラブやるんだからすごい。いいクラブにはいい若者が育つ。
 最近はよく”オタクさ”の是非について考えさせられる。自分のここ10年は、言ってしまえばオタクの悪いところをなくす戦いとも言って良いかもしれない。

 イベント終わりに「朝に空いている美味いラーメン屋があるんすよ」と言われ連れて行かれる。透き通った煮干しスープ。確かにうまい。朝7時の新幹線に乗車。最近は岡山市内に来るたびに毎度宿泊せず半日程度しか滞在していない気がする。新幹線で気絶。奇跡的に新大阪を超えたあたりで目覚める。

 

某日

 起きたら7時。得した気分。ごねまくった末にようやく発行された適格事業者番号を確認するためにe-taxにログイン。safariでしか開けないことに毎回微量のストレスを受ける。適格事業者番号を会社に連絡。これでやっとパナから金を受け取れる。ネットのインタビューで綺麗事ばかり行っている自分のリアルは金のことばかりである。授業の準備とメール返信。年内また数件打ち合わせを組まれた。今年はもう働きたくない。
 大学に移動。学生の卒業制作の制作計画書にサイン。ちょっとおれが手伝った感が出過ぎているような気がする。他の先生にはどんな印象を持たれるだろう。
 学生に「今日帰り牛丼屋とかよりますか?」と聞かれる。意図がわからず、「腹減るからなー大学帰り」みたいな適当な返事をする。話を聞くと要するに飯に行きたいということであった。「面倒なので、烏丸御池まで来るならいいですよ」と答え、結局学生が2人烏丸御池までやってくる。やる気(安めの焼き肉チェーン)連れていけばいいか、と思ったら月曜定休で、たまたまその裏にあった町屋イタリアンみたいな店に適当に入る。
 店内は20歳前後の学生カップル的な人が5組ほど。歳は変わらないが、こちらはクリスマスにイタリアンを予約するみたいな行為とは縁遠き?2人を連れている。邪魔してしまったカップルたち、すまん。

 

某日

 パナソニック出社日。年明けに納品する成果物の内容の確定作業。我ながらちゃんとやったと思う。サラリーマンじゃなくなった結果、よりソリッドにサラリーマンワークをするようになるのは面白い。
 会社にいると、珍獣見学のようにいろんな人が会いにきて、最近どうなのかを聞いてくる。「忙しいっすけど楽しいですよ」という。会社の人間はおれが貧困に喘いでいると想像している人が多いように感じる。サラリーマンの年収がまるっとなくなったその翌月から普通に生計がたっているイメージを持つのは確かに難しいよなとは思う。不安はあるがなんとかはなっている。
 来年週休3日で社員雇用する話が出る。「ぶっちゃけ週4も会社で働けないすね・・・」みたいに答える。いい身分になったものである。
 一旦帰宅して準備したのちに東京へ。せっかく渋谷以外での出演なのに、下北沢の欠点は渋谷を経由しなければいけないところである。
 BASEMENT BARに到着。いまいち27日が世間一般的に仕事がおさまっているのか、年末年始のカテゴリに入れて良いのか微妙であり、そんな日の深夜イベントであったので、ガッツリ年末感みたいな感じもない不思議な空気感。自分の出番はやたら盛り上がった気がする。ナイスパーティ。主催の谷ちゃんともかれこれ長い付き合いである。

 朝みんなですき家で飯をくう。livehaus組や他の箱の顔見知りと遭遇。下北っぽい。早朝宿泊プランみたいなのを一応取ってはいたが早く帰りたくて不泊。帰宅するためスマートEXで指定席を30分後の車両に変更。渋谷まではいけたが山手線で爆睡。1周半して東京駅で降りる。久しぶりに自由席か・・・と思いながら改札を通ろうとすると入れない。「年末年始は全席指定の運行であり、乗り遅れたあなたは座れる席がない」といった旨の説明を受ける。すっかり忘れていた。「一応連結デッキなら乗れますよ」と言われる。30時間くらい起きているので、立ち座りどころか今すぐ寝たい。「座りたければチケットを買い直せば良いですか?」と尋ねると「ひかりかこだまなら自由席があります」と言われる。しばらく待って7:57発のこだまに乗る。意外とガラガラ。気絶していたら京都。非常に深い睡眠。こだまでなかったら福岡まで行っていた可能性が高く、結果オーライである。

 

12/31

 nanoで平和に年越し。よくわからんけど年末感のあるDJができた。25時にイベントが終わったので取り合えずみんなでタクシーに乗ってシエスタにいく。
 シエスタに着いたはいいがラーメンが食べたすぎて大豊ラーメンへ。うまい。新年一発目の食事としてはかなりいい。航太さんに挨拶。その後ウエストハーレムに顔出したのち、初日の出までもうちょいですね的な会話を横目にしれっと帰宅。
 帰ったはいいがあまり寝られない。3時間ほどぼやっとしているうちに外がしらんでいる。いつ寝たかも覚えていない。