ふと二重振り子のことを思い出してしまった。振り子の節を一つ増やすだけで、その動きがクソ複雑になるというやつである。初歩的な物理シミュレーションの嗜みがあれば、実際に動きを計算してみることも出来るし、細かい理屈がわからなければ模型でも作成して観察すれば良い。
間接が一つある棒ですらカオスに到達するわけであるが、我々は"未曾有のウイルスの拡散"という複雑な振る舞いを予想して対処しなければならない。なけなしの仮説で数理的なモデルを作る人がいれば、なけなしのデータを駆動させ予測を目指す人(例えばGoogleのやつは後者)もいる。どのみちわからないなりの善処である。
一方で世は答えを求める。政府は適切な施策を打たねばならず、人々は安心したいからである。わからないなりの善処に対し世は辛辣である。結局やっていることは丁か半かの博打、外れたやつは退場・・・といったようなヤマ師のような生き方は、自分は好きになれない。
10月某日
大阪のソーコアファクトリーで平日の定期イベントALTNが開始。悲しい現実として曲ばっか作っているやつは相対的にリスニングの時間が取れないという現実があるが、せめて買った曲くらいは定期的に整理して聞き直す方が良い。DJはそのきっかけに最適。そもそも楽しいし。
内輪で雑にイベントをやると、やはり初見の人の居心地問題が難しい。黙々と音楽を聴き、誰とも喋らず帰るのも一興であるが、喋る人がいるけどそうしているのと、そもそもおしゃべりできる関係性のやつがそこに一人もいないのはまた心持ちが違う。私はなかなか知らない人にガンガンはなしかけるタイプではないですが、喋ること自体は好きなので気軽に話しかけてください。
11月某日
Kafukaさんとタケダマサヒコさんの2人が突然近所にやって来たので最寄りのファミレスへ。あまりに久しぶりであったため近況や世間話など。本題は「クリスマスにイベントしようや」との誘い。そこだけ取り出すとえらくファンシーかつチャラい。
自分は大阪の電子音楽家の先輩たちの背中をみて育ったが、確かに思い返せば直接的に一緒に何かをしたことはほとんどなかったような気がする。自分の音楽は軟派なもんだから・・・と別のものとして捉えていた昔に比べると、人の音楽と自分の作るものの何が同じで何が違うのかの理解の解像度はだいぶ上がった気がする。
11月某日
恐ろしいことに、最近いろいろなことが思い出せなくなる、なんてことがしばしば起こる。物や人との名前、出来事の顛末、書きたかった文章や、のちに使おうと思っていたメロディ……忘れていることすら忘れている分にはなんの問題もないが、必要に駆られて取り出そうとしたものが出てこないのは困る。
一方で、ふとした拍子に雪崩のようになにかを思い出すことも増えた気がしている。記憶自体は消えておらず、そこに至る導線がない、という状態と、その解消である。SNSジャンキーな自分は、毎度Twitterなどのアーカイブを補助線に真実に挑む。
そんな話を人にしたところ、「うつの初期症状かもね」と言われてしまった。軽い冗談ではあったわけだが、そうであったら笑えない話でもある。最近は心身ともに割と健康である。
11月某日
トマソンスタジオが荒らされたような形跡があり、一同に一抹の不安が走るが、犯人はネズミであった。百万遍のハンバーグ屋で働いていた時に、しばしば店の仕掛けに引っかかる馬鹿でかいネズミの様子を思い出したが、それはできればしまっておきたい記憶であった。奴らの厄介さはゴキブリの比ではない。
11月某日
おれが今唯一都内で定期的に出ているイベントFFF。東京へ行くのはちょうど半年ぶりで、そこまで期間が開くことはここ5年はなかったので不思議な気持ち。ライブの頻度があまりに減ったが、おかげで新しいことは少しずつ試せるようになった気がする。
しかしながら、「都内のクラブへいく」、という行動を悪魔の所業かのごとく捉える人もいる現在のこの状況、感染のリスクや、それによるシーンへの悪影響みたいなことを考えると、お世辞にも、諸手を挙げて楽しめるような気持ちになれるわけではない。
行けなくなった結果、改めて自分が想像以上にクラブが好きで、居心地の良さを感じていたかを思い知る。今の逆境に対し我々はあまりに無力である。
パーティが終わる前に一足先に抜け、近くの(おそらくインバウンド向けに作られたであろう)ホテルへ。英語での注意書きと、エセ和風の小道具。湯船に浸かりたかったがガラス張りのシャワールームしかない。外から道玄坂の喧騒が聞こえる。パーティはまだ続いているのだろうか。
11月某日
トマソンスタジオでピアノ男の10周年記念イベント。継続は力なりとよく言ったもので、真のプロップスとは何かを改めて考えさせられる。自分の人生で10年も続いたことはある?その記録はちゃんと残ってる?その軌跡に興味を持つやつは?
そもそもわざわざwebメディアなんてものを立ち上げなくても文章は書けるし、レーベルはなくとも音楽は作れる。中身があってのガワである。このさき自分の活動を振り返った時に、しっかりと中身が並べられるようにしなければならず、そのためにも中身のある人間にならないといけない。
11月某日
ヤックル主催のヨーヨーの大会の配信オペ。事前に募った演技の動画を審査員がジャッジしていく、そしてその合間合間にエキシビション的な演技とDJ、ライブが挟まるという構成であった。オペレーションは何回やっても反省点はあるものの、まあ及第点と言った感じ。
ヨーヨーの世界には明るくないが、チャットで様々な言語が飛び交う様子や、有名プレイヤーの出演時間や素晴らしいプレイが飛び出した時の盛り上がりなど、界隈が違えど見ていて気持ちいいものであった。善意駆動の打算のないやりとり。
逆に、優勝すると人生が変わるような金や名誉が与えられるショーレース、あるいは成功の先にそう言ったものがついてくる分野で、そういった打算なきピュアさを維持するにはどうすれば良いのだろうか。程度の問題であろうが。
11月某日
パソコン音楽クラブ自主企画「COM_PLEX」に出演。酒すら禁止で座席は指定、理屈上スタッフ含めた施設内にいる全員の連絡先が把握されているという、インディでは類を見ないほどの気合の入れよう。何事も一生懸命やるのは良いことである。
12月某日
京都メトロ、ブレーンバスターのリアルイベントも開催できず配信のみ。開催条件が「人類がコロナに打ち勝った時」なのは正直うける。
12月某日
二週連続のメトロ。Kafuka&タケダマサヒコさんらとやるはずだったクリスマスイベントもトーク配信に。今年を象徴するような年の瀬。
京都から大阪にメトメさんが車で送ってくれる。車内、抽象度の高さと大衆性の相関の話。「お笑いだけは”おもろさ”という抽象概念取り扱ってんのにめちゃ大衆的なの不思議じゃないですか、音楽の方がおもろさより抽象度低いでしょう」みたいな話をする。のちに西山くんにこの話をしたところ「結果(ウケる/ウケない)がシンプルだからでしょ」とのこと。
自分が音楽を好きな理由をつまらなく整理すると、抽象概念を取り扱う、白黒つけようがない、時間芸術である、比較的短い、となるのかもしれない。野暮なまとめである。
1月某日
なんとなく昨年の振り返りをする。2020後半は拾える金は払っとけの精神でかなり制作仕事をしていて、我ながらよくこんなに働いたなとすら思ってしまった。仕事を辞めるにせよ辞めないにせよ、自由になるには貯金しかない。メイク・マネー・フォー・フリーダム…
そこで突如沸き立つ疑問。「金銭では獲得できない豊かさを獲得するために音楽をしていたはずでは?」。今の生活、ともすれば、手にしたのはハードワークと金の2つのみ、という見方もできる。
そんなことを考えながら軽いバッドに入っていたところ、半年越しで自分の作ったレコードが届いた。
片面3曲ずつ、針を落とし昨年の自分の成果を拝聴。すっかり気分が良くなってしまい、「なかなかなお手前ですねえ、でももうちょいいい曲作れるじゃないですか?」とおれの中のリトル有村が問うてきた気持ちになる。自身の産んだ作品によって自身を駆動する、よくいうと永久機関に近い。悪く例えると、自分のうんこを食って暮らしてるとも取れる。そんなことを考えていると、300枚プレスしたはずが100枚しかないことに気づく。手間は増えるばかりである。
これまで、音楽を作ることが嫌になったり辛くなったりしたことは冗談抜きで一度もない。音楽を作るのは楽しい。そんな理由で、2021年もうんこ食いは続きそうである。
年明けてしまいましたね。改めてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。