無題

某日

 30も超え、もうなんだかんだでだいぶ社会人生活が板についてきたわけであるが、一つ最大の誤算と言えば、いわゆるカレンダー通りの定時の仕事をしているにも関わらず、規則正しく寝起きできるようにならなかったことである。寝てたら授業終わってましたわガハハで済んでいた大学生活ならともかく、8:30ごろには出勤し夕方まで働いているにも関わらずである。ある時は18時に寝て25時に起きる。ある時はほとんど寝ずに会社に行き、ある時は帰宅後から次の出勤までまるまる寝ていたりする。

 クラブ出演のせいでこうなった、と因果を与えてやる線もあったが、それもあらゆる音楽イベントがやっていなかったコロナ禍によって否定され、正真正銘自分は規則正しく寝起きできない人間であることがほぼ確定してしまったのである。

 こんなことをいうと身も蓋もないのであるが、そもそも自分は深夜が好きである。それはさまざまな理由によるが、心のどこかで深夜の到来を待ち望んでいる部分があるのであろう。しかしながら、その好きな深夜を迎えるために、意図的に生活をコントロールしても意味はなく、気せずして、あるいはやむをえず深夜になってしまった状態がよいのである。 

 様々な理由により、時計を見ると3時ごろになっていて、「あーあ、深夜になっちゃったわ(笑)」などと思いながら、曲を作ったり、コンビニに行ったり、本を読んだりする。そういった瞬間を愛しているし、それを安易なエモと解釈したくない反骨精神から、日々あらゆるアプローチをとっている。この日記の文章自体、大体が深夜に書いており、明るい時間に手をつけた記憶はない。

 

某日

 仕事が忙しくなったのが半分、ポケモンのランクマッチをしていたのがもう半分の理由であっという間に年末である。リリパは12/30、いよいよ残り時間がない。

 川辺くんに奥田民生のさすらいのカバーをする旨を伝えた時点で12/26、現実feelin on my mindのリミックスからケイコリーのThat's Enough For Meネタに移行する音源をVaVaくんに送りつけ、仕事を納めたのが12/28。リリパまであと2日、いよいよえらいことである。さすらいのアレンジをし、音楽および映像を編集し続け12/29。新宿ビックカメラで映像引き回し用にSDIコンバータを購入し、都内のホテルに移動してまたひたすら編集。さながら留年のかかった試験前日のような雰囲気。(リアル大学2年生の自分は留年のかかった試験を受けすらせずに帰宅したので正確ではない。)

 

12/30

 朝に飯も食えず会場へ。懸念点の一つであった持ち込みSDIケーブル引き回しでの映像セッティングを済ませたあたりでミッツィーさんがくれた弁当を2個食う。

 全員のリハが終わったタイミングで安心から楽屋で寝落ちしてしまい、目覚めたのちに開場。気分が良くなり物販に立ちながら酒を飲む。見知った人や初めての人まで、入れ替わり立ち替わり会話をする。ここにいる人間の共通点が"自分の音楽を聴いていること"であるという事実は、もうはっきりと誇らしいことである。

 酒を飲みすぎてしまい一旦楽屋へ行き、一瞬また寝落ちしてしまう。スマホを開くと京都精華大学の非常勤講師としての勤務の打診が来ている。脳が新情報を扱う余裕がなく一旦そのまま閉じ忘れる。

 ピアノ男、Omodaka氏、田中さんの演奏が終わり、自分の時間が来た時点で、もうずっとエンドロールが流れているような気持ちであった。音楽を人に聞かせているようで、実は衆人監視のもと今年作った曲を自分で聴く謎のセラピーをしているような瞬間すら。とにかく、人がたくさんいて、お世辞にも一般的とは言い難い珍妙な自分の音楽の意図が、なんらかの形で届いているという事実は、本当に他には代え難いことである。

 終演後にWWWでひたすら共演者およびスタッフと喋りまくる。そんな喋るならちゃんとやればいいのに打ち上げなし。味の濃い飯を食いたい気持ちと今すぐ寝たい気持ちがビッグインパクトを起こし、道玄坂の俺塩でトッピングを盛りに盛ってドカ食い。ホテルで気絶。

youtu.be

  youtubeにアップした動画に"地蔵"であることへのコメントがあるが、そもそもよくわからない音楽をやっているミュージシャンの、初めての会場での初めての自主リリパであるから、そもそも楽しむ作法すら定まっていない(自分自身オーディエンスにどうして欲しいのかはよくわかっていない)。おれと来てくれた人のコミュニケーションであるので、どういう姿勢でいてくれてもかまわないです。一般的な盛り上がった盛り下がったを指標にしても仕方がなく、自分の考えとか気持ちがある程度、どういう形であれ伝わればよいです。喫茶店で一言も喋らないカップルがいたとして、そいつらの関係は冷え切っているとは判断できず、ともすればアチアチなのである。

 目下の課題は、「エレクトロニックミュージックは好きだがクラブは好きではない」という人とどう向き合うかである。自分のやっていることは打ち込みの音楽であるし、クラブミュージックに多大な影響を受けているが、DJツールとして機能的な曲を使っているわけではないし、深夜のイベントに抵抗なく行ける人ばかりではない。そんなことは考えつつも、目下はとにかく曲の強度をもう少し上げないととこの先やっていけんなという予感のみがある。

 

12/31

 非常勤講師の打診をくれた谷川さんに詳細を聞くため取り急ぎの返信。新宿へ移動してMARZへ。あまりにも久しぶりすぎてMARZに向かう道すら懐かしさを覚える。馴染みの顔ばかりの楽屋の馴染みの顔ばかりのフロア。後半デデさんとスケブリさんと妙に話し込んでしまい、裏ではイベントが締めに向かっていた。

 一旦池尻のホテルに荷物を置く。このまま寝て年越しはあまりにさみしいのでエイジアに向かってタクシーを拾おうとするがあまりにタクシーが走っておらず。11時。あかん、このまま年を越してしまう!渋谷に向かって歩く。腹が減り道玄坂上の松屋で牛丼を食う。11時半。年越し30分前。

 エイジアに着くとメインフロアで野獣が如くディスコをかけるオカダダのもと客が大騒ぎをしている。そこからのDJが相も変わらず素晴らしく、やはりディスコですね…などと考えていたら親の声ほど聴いたRustieのRaptorがインサートし、ドロップのタイミングでドンピシャで年越し。いろいろ凄すぎて唖然。次のパーゴルがバウアーのREACHUPDONTSTOP (S-Type RMX)で受けててまた輪にかけてすごい気持ちに。この辺の音楽はもうおっさんの音楽になりつつあるという嫌な実感と共に、今年は頑張ろう…みたいな確実に明日には消えている決意をする。あとは酒飲んでただけ。単純に、新年に顔を突き合わせてヘラヘラ飲んでいるという事実に対する嬉しさみたいなのが、妙に身に染みた感じはあった。

 

1月某日

 大学に赴き講師のオファーの詳細を聞く。当初の内容は週1or2勤務であり、真っ当に収入のことを考えると現職を辞めるべきではないが、リチウムイオン電池の研究開発などをしていた果てに音楽の先生になったやつなど見たことがなく、ぼんやりとやるべきなんだろうなと思う。また京都か、としみじみしながら久々の叡山電車に揺られる。

 

某日

 会社に精華大学からのオファーの話をする。大学での授業は週1〜2。直属の課長と部長は概ね好意的な反応で、人事にまで話をあげると大学の授業のない日に週3勤務などで会社残ることができるという話が。週休3日制の導入計画をメディアにぶち上げたものの、未だ実運用される気配のない弊社であるが、ダイバーシティ、働き方の多様性などの面での推進活動と一環としても大学での副業が認められる流れがあるならそれで良い。願ってもないセミサラリーマン、頭の中で皮算用

 

某日

 中島イッキュウ氏に呼んでもらいtricotのライブを見るため梅田クワトロへ。後方にはゲスト閲覧用の座席スペースが設けられていることがままあるが、そういった類のスペースはどうもきまりが悪く、今回も例に漏れずフロアの中心で鑑賞。tricotは楽器のフレーズがアツいものが多い。ここでいうアツさとはマスパペのリフ的なアツさである。新譜を聴いたときも思ったし、かねてからもそう思っていたが、いい意味で、相当変なバンドである。

客出しBGMとして自分の作ったリミックスが流れているのをぼんやり聴いている。"可能であれば「シーズーダックスプードルマルチーズ」 (というボイスサンプル)をどこかに入れてみてほしいです!"と言われ、最初は意味がわからなかったことを思い出す。

 

2月某日

 副業が会社から承認されたということで、正式に大学講師のオファーを受領する。あとは現職の勤務量の調整するだけやなどと余裕をかます

 

2月某日

 おれの珍奇な副業話が会社の上へ上がっていく過程のどこかで、「二重就労禁止の内規がクリアできない」という話になる。ダブルワークはしてもいいが二重就労はダメ、という状態は、外出は許可するがドアを開けてはダメ、みたいなことを言われているような気持ちである。

 以降この謎のステータスで膠着状態に陥り、更新がないまま3月になってしまう。あと一ヶ月ないのに4/1からの勤務形態が決まっていないことに焦る。

 

2月某日

 バツくんにいきなり呼ばれてMOGURAへ。なぜかシークレットで出た大阪出身の某DJ、会社の同期とのコミュニケーションについて語るゆのべ、急すぎて京都で寿司を食っていたピアノ男。トマソンスタジオをやっていた頃に漂っていた謎のバイブスは本当に再現性がなく、やっていた当事者としてもこの先狙ってできるものではない。もういい年であり、過去の体験のうちノウハウとして繰り返し使える部分と、それっきりでもう2度と手に入らない部分があるが、トマソンスタジオからのそれはどちらも非常に明解である。

 あらゆる活動における、東京ー地方問題に関してのおれの芯の部分の回答はもはやかなりクリアで、「地方は、その地方に住んでいる人に出会える」というところに尽きる。関西にいると、関西に住んでいるやつと友達になれる。

 東京の方がさまざまな点で音楽活動に有利ではある、じゃあふわふわと神様が現れて、押せば音楽を始めたころに時計の針を戻し、東京からリスタートできるボタンをくれたとしても、やはりふわふわと関西で出会った友人の顔が浮かんできて、自分はそのボタンを押すことができないであろう。(現在の肯定の程度を、その時に戻りたいか?で鑑みる展開が、ちょうど読み終わった偽物協会で出てきて驚いた。)

 突貫のイベントであるのにパンパンになるまで人が入っており、営利活動を超えた謎のグルーヴというのはやはりなにかしら人を駆り立てる何かがあると思われる。VaVaくんもきてくれたし。

 

2月某日

 非常勤嘱託であれば勤務を続けられる、みたいなことを人事に言われるわけであるが、正直もうだいぶ面倒くさくなってきている。

 ほとんどが、いわゆる普通のフルタイムの常勤契約しかしていないようなこの職場、ましてや若くして特殊な契約をしているやつなど社内ではみたことがなく、この時期からうすうす自分の大学兼業の線が無理筋であったことを悟り始める。

 いろいろな判断が上から降ってくるが、その判断を下している誰一人とておれの人生になんて対して興味もないわけである。ほとんど喋ったことないような人間の判断が自分の数週間後の収入(ないしは人生)を大きく左右するというこの状況はどうやってもしっくりはこない。規則を遵守し、安全寄りのリスクなき判断ばかりが下される裏のプロセスは十二分に理解できる(時に自分はそれに加担するケースもある)が、それによって一人の人間の2023年度の年収が1000万にも100万にもなり得ることを理解してほしいものである。やはり会社にお前のオールを任せてはいけない。宙船を漕いでゆけ…お前の手で…

 

3月某日

 焦りとは裏腹にアメリカに海外出張である。同行者は部署などが異なるため、自分のこの一連のもつれた話など知る由もなく、付いてきたこの若手が3週間後に音楽の先生になることを決め、会社とグダグダ問答をしているなんてことは一ミリも知らないわけであるから、これはなかなかに気持ち悪いシチュエーションである。

 「マスクなんてしてるの日本人だけですよ(笑)」みたいな話がネットで散見されるわけであるが、実際のところそれは屋外での話で、小売店や飲食、オフィスからUBERドライバーに至るまで、ぼちぼちマスクを着用し働いている人は多く、"付けたくはないが、「場合によっては付けないといけない」というコードは共有されている"といった感じである。この理解すらもサンフランシスコ〜サンノゼのごく一部のサンプルからの判断であるが、やはりネットにおけるざっくり論は役に立たない。

 異国でも現職の勤務調整は続く。滞在中に人事から届いた話を整理すると、1.一ヶ月後に即退社をする。有休消化中であっても他社勤務もできない(二重契約の期間はどんな理由であれ許されない)ためおれの50日ほど溜まった有休は全て消える。2.4/1付けで退職し、嘱託契約に切り替える、という2択になる。

 おれは退職時の50日にわたる有給消化、無労働で給料をもらう至福の期間を本当に何よりも楽しみにしていたが、どうあってもそれは叶わぬ夢であることだけが確定したのである。(そんなことを易々と受け入れて良いものか?)

 会社で最も好きなもの(いまとなっては好きだったもの、であるが)はなにかと聞かれると、正直海外出張といっても過言ではない。技術があるだけではダメ、プレゼンが上手いだけではダメ、英語が上手いだけではダメ、バイブスだけでもダメ、と程よく総合力が問われてくるからである。不慣れな環境での出たとこ勝負こそが人生の本番である。自分や、いる場合は同行者の優れた点や至らぬ点がよくわかる。

 

某日

 とにかく現状の制度ではすぐには大学との複業が認められないとの結論に至ったという通達が届く。この展開もまあ薄々予感していたことであったが、だれがどんな形でこの判断を下したかは知る由もない。伝言ゲームで最寄の人事や上司から聞かされるだけである。

 「こんな状況で不確定なことも多いので、あなたの口から退職の旨を同僚に言うな」みたいな感じになっており、来年度計画の打ち合わせには出ているが、その頃にはもう自分はいないことは言えないという脅威の縛りプレイに渋い顔になりつづけるのみ。

 この大企業特有の、個人の負う責任を過剰に減らすシステムに救われ、なんの責任も負わずに働いてきた自分であるが、最後にその仕組みによって放流されるというこの体験は、寓話っぽさもあるし、ある意味では普通は飛ばされるようなB面まで美味しくいただいたとも言える。これまでに大企業勤務の恩恵は十分に享受したはずであるが、直近の印象はひたすらにバッドで、終り悪ければ全て悪し、もう知りませんよといった気持ちである。

 最初からそうだったのであれば、2月の頭で退職を決意し3月は有休消化をしながら先のことに備える期間があったわけであり、そもそもこうして出社し不毛なやり取りをする必要はなかったのであるが、時すでに遅しである。天からの降ってくる労務規則に関する判断と違い、実際に一緒に仕事をしている人たちには単純に恩義があるため、突然消えるようにいなくなるという事実に申し訳が立たない気持ちであるが、そもそも好きなことの領分を増やすための自分の判断でこうなっているわけであり、その申し訳精神で来年度の飯が食えるわけでもない。

 

某日

 出演のために渋谷へ。道玄坂の飲み屋からtofubeats氏のdon't stop musicが流れており、そのまま到着したasiaではDAOKO氏がリハで水星を歌っていて勝手に一人でテンションが上がる。ステージ上で「退職届出してきましたわ〜」みたいなことをヘラヘラと言ったが、先のことが何も決まっていないので、地に足のついた開放感というのは全く感じられていない。

 

3/24 

 羽田空港でMU2023。オタクが本来知らずに死ぬ類の酒であるイェガーを振る舞い合い、自分のようなよくわからない音楽が期待を持って受け入れられるのは本当にすごいことであり、MOGRAのファンコミュニティはもはやとんでもない次元に達しているように感じる。

 2020年に自分がカメラに向かってヘラヘラ音楽を再生したことが、見てくれた人になんらかの感情を想起させ、それが巡り巡ってまた自分に帰ってくるというのは、久しぶりのポジティブなソーシャルネットワーク体験でした。みなさま本当にありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。

 

3月某日

 会社とのやりとりの関係で社内に自分の退職がオープンになる時期が最終出勤8日前という異常事態になってしまい、意味わからんやつが意味わからんやめ方をした感じになってしまっているのが非常に心苦しい。限られた残り時間で直接的に一緒に仕事をしていた人への引き続きや説明などを可能な限り進める。

 一方で面白いことに、「実はピアノを習い始めていて…」とか「ずっとトランペットやってたんですけど子供ができてやめちゃって…」とか「作曲に興味があるがなかなか手が出なくて…」などと普段喋ったことのないベテラン勢に急に話しかけられたり、歳の近い同僚に「音楽活動頑張って」と言われたりなどし、想像以上にみな音楽そのものや自分の活動に興味を持っていることを知る。仕事以外の人間関係やプライベートな会話を意図的に避けてきたことへの若干の反省と、自分が音楽とサラリーマン仕事を完全に切り離せていたのは、実はいろいろ聞きたかった周りが聞かずにいてくれたという気遣いありきであったことを、わかってはいたが改めて確認することになったのである。

 

某日

 パナソニックでの勤務最終日。基本的にNGのスタンスだった人事戦略部に対して、部長課長のみならず、人事サイドにもなんとかしようと尽力してくれた人がいたことを知り、自分はなんて仁義の希薄な人間であったんだろうと思い知る。

 副業どうこうの会社判断を除くと、パナソニックは本当に働きやすいいい会社であった。ネットで揶揄されがちな、いわゆるJTCは、規模のデカさも相まって、あるレイヤーではたびたび指摘されているような問題を抱えていつつも、米国などのイケイケベンチャーや、他国の同分野の企業と比較しても、働いている人間の能力や、その大枠の仕組みが他国などと比べて劣っているとはどうも思えない。守秘義務の関係で仕事の内容でのネットイキりができないだけで、身分も不明なスタートアップ気取りのネットのカスに一方的に仮想敵として不当に石を投げられるのは甚だ遺憾ではある(ポジショントークではなく、本当に無責任な揶揄が多すぎると思っている)。日本の新卒での入社先がパナであったのは、これも一つの人生のターニングポイントであったのであろう。お世話になった課長、部長、所長に見守られながら退勤。本当にお世話になりました。

 

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 ということで4/1から京都精華大学で講師をすることになりました。上から教えるというよりは、いち音楽制作のプレイヤーとして一緒に試行錯誤できればと思いますので、もしこれを読んでいる学生の方がおられましたら、授業とか関係なくお気軽にご連絡ください。

 音楽制作に興味を持ったとして、その興味の対象が、満足に体系化のされていない音楽などだったとしたときをどうにかしたい、というのが自分が今回大学に行く最大のモチベーションです。音楽を学ぶ、みたいな話題になるとしばしば「絶対音感は幼少期にしか身につかない」とか「楽器習得を子供の頃にやってないとダメ」とかそういう話がすぐ出てくるが、そういう発想自体が、この世の音楽の壮大なパイのデカさを考えるとかなりもったいなく、和声やメロディ、楽器演奏のアカデミックな知見が必須な分野というのは実は局所的で、あくまで音楽の一側面であるという事実が置き去りになっているというのが私の考えです。

 ピアノを学びたい、と思ったらそれはそれはたくさんの教育の体系やノウハウがあるし、クラシックの和声を学びたければ世の中には素晴らしい教材が山ほどある。ではヒップホップのビートに、訳のわからない電子音楽に、つんざくようなノイズに魅せられた人がいたとして、どうやってそれらの制作の一歩を踏み出せるのか?その興味の芽を摘まないためには?という話で、全員に一様に芸大和声の教科書を与える以外のサポートの仕方があるんじゃないかな〜といったことを考えています。「そんなものは学ぶものではない、自分で掴み取るものだ」、という意見には半分は同意ですが、人間の好みは千差万別、十人十色であるのに対し、大半の分野がバッサリと落とされてしまっている現状、もう少し親切ゾーンが設定されて、自分のようなよくわからない音楽を楽しく続けられるようになればいいなと思っています。

 

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 音楽以外の来歴は以下です。水〜日は大学での授業がないので飯を食うための仕事を探しています。音楽でもそれ以外でも。平日自由に動ける貴重な機会なのでおもしろそうなやつはやらせていただきます。何かあればお気軽にご連絡ください。(なんもなければパナソニックとはまたなんらかの業務委託契約をする運びですが、先のことは不明。テクニクスの人ももしこれ見てたらなんか連絡ください、なんでもします)

 

有村崚

何かあればr.arimuri@gmail.comまでお願いします

〜2015

京都大学工業化学科

〜2017

京都大学大学院工学研究科

高分子物性、分子シミュレーション

〜2022

パナソニック株式会社(ホールディングス化により2021年度以降の所属はパナソニックインダストリー(株))

主任技師(P10)

車載リチウムイオン電池の電気化学シミュレーション

インダクタ材料の研究開発

基盤材料の熱シミュレーション

(取り組み対象や技術的な詳細な内容には一切お答えできません)

<資格など>

普通自動車免許

電工2種

TOEIC920

<スキル(理系分野)>

C/python

有限要素法、個別要素法でのシミュレーション

分子動力学シミュレーション

<クリエイティブ分野>

音楽制作

映像制作

簡単な電子工作