ほうぼうで"みんな音楽を作った方がいい"と説いているが、説くからにはやはりその理由を考える責務があるわけである。「その心は?」と問われたとして、「みんな違うからです」というのが暫定回答である。ここにおける音楽は別に音楽でなくてもいい。みんな違ってみんないい、みたいな話は、たいして何も言えていない月並みな視点であるようにも思えるが、正直これに尽きるのである。
学生時代のマゴチネサウンドシステム(溜まり場となっていた友達の一軒家の通称)、少し大きくなり関西の電子音楽シーンやマルチネレコードなどから始まり、いまに至るまで音楽を作って聴かせ合う遊びをずっと続けた結果、自分の抱いた感想は「みんな違いすぎるやろ」というその一点である。パソコンで、任意の時間軸に任意の音を配置するだけの遊びで、かくも差が出るのか。考え方から、作り方、完成品に至るまで何もかも違う。上には上がいる、といった優劣の話ではなく、ただ違うだけである。そんなことを、心の底から認識したのである。
個々人の顔とか、体つきとか、声が違うように、曲を作らせると全然違う。その事実は、世の中に蔓延るしょうもない成功の尺度みたいなものからおれたちを解放してくれる。違いすぎて定量化が不可能であるため、比べる目的が優劣ではなくなるからである。比べる目的は、自分と人をよく知るためになる。人と違っても楽しいし、人と同じような部分を見つけるとそれはそれで楽しい。練度を上げると、ますます違いをよく認識できる。自分は、音楽を通じて、自分のことと人のことを相対的に理解するツールを獲得したのである。
このコンセプトさえわかれば、別に音楽でなくてもいい。 要するに、あらゆる性質を個人に帰属する訓練をすればよい。関西人はおもろい、とか東京人はおもんない、とか言っているうちはド3流であり、われわれが判断するのはそいつ個人がおもろいかどうかだけである。そしてどのみちみんな違うから、そこに優劣はない。
みんなの部屋を見てみよう。かくの如く、どの部屋もバラバラである。あいつの部屋は整頓され、おれの部屋は散らかっている。比べる目的は、自分と人をよく知るためである。ああおれは(物理的にも、精神的にも)散らかった人間なんだ!ざまあみろ!!
ここまで来ると、性差別や人種差別などの類や、戦争にしても、反対する理由は明確である。それらは個人に帰属するものを奪い去るからである。だから みんな音楽を作った方がいい。みんな違うから。音楽を作り、それに自らをレペゼンさせろ!
1月某日
渋谷asiaで出演。らむこくんとかillequalくんとかkegonくんとか人気の若手の中にほりこまれるという座組。safmusicさんに「昔有村さんのタイプビート作ったことあります!」といわれる。知らん間に不思議な立場になっている。25歳と30歳はあんまかわらないが、15歳と20歳は大違いであり、この等価とは言い難い世代間の時間傾斜のおかげでシーンのムードが変わっていくんだろうなーと思う。自分が5年がんばる、それはそれとして、その下でがんばった10コ下の5年がもつ青春の輝きみたいなやつは自分にはもうない。ないのにやっていることに意味がある。
某日
サーカス東京でライブ。オファーのメールに「ギターを弾いてもらえませんか」と書いてある。書いてあるが、単身のマシンライブでギターを弾いてよくなった記憶はなく、あまり気はすすまない。気は進まないが要望には応えたい、ということでゆnovationに連絡して一緒に演奏してもらえるようにお願い。
ゆnovationの曲の中でも好きなroki storeと、ただ関係なくカバーしたかった慰安旅行の2曲をアレンジし直してデータを送る。難しい要素を排除しているのでぶっつけ本番でいいかと思っていたら、「ちゃんと練習しましょう」と連絡が来る。
急遽翌日に西浦和のスタジオにギターを持って向かう。楽器持って新幹線に乗るとミュージシャンになったような気持ちになる。楽しく練習。
ロイアルホストで晩飯を食っていると、いたく荒れたseaketaが酔った状態でやってきた。人間そんな日もある。のべの運転で西川口のホテルまで送ってもらって就寝。
翌日朝に渋谷に移動。友達ばっかで楽しいイベント。話す機会のあまりないphritzくんとゆっくり喋ったり、サンドリオンのアレンジで一緒だった星くんに会えたりしてうれしい。急にラスオダがきたり、ゆいにしおちゃんが見にきてくれたりとちょっと予想外のうれしさも。
某日
ボーカロイドのゆくえ、という若者がやっているボカロのコンピのリリースイベント。様々な理由から急に3曲も初音ミクの曲を作り、どれも結構気に入っているが大して跳ねることもなかったわけであるが、こうやって新しい出会いもある。
皆を見ていると昔自分がマルチネの界隈に合流したり、トレッキートラックスの面々と出会った時の頃を思い出す。インターネットで面白い音楽を作っている人をみつけ、イベントに行くと次から次へと友達が増えていたさなか、「この世には音楽を作っている気の合うやつが無限にいるんだ!」と浮かれていたわけであるが、それは気のせいであり、その短い期間に登場した有限のメンバーとの関係を大事に大事に、いい意味で変わり映えしないメンツとかれこれ10年近くやっている。
ランキング上位になれば一度スターダムにのしあがれるほどの巨大イベントになったボカコレという名のランキング形式の楽曲投稿イベントが若きボカロPに与えた影響は大きく、次から次へと才能あるミュージシャンに光が当たるので、おそらくボカロ界隈でも昔のおれのように数多の出会いに浮き足立つ若者がいるであろう。しかしながら人材は有限であるのが現実である。有限であるからこそ一生遊べる友達ができるともいえる。ボカゆくで出会ったみんながずっと楽しく音楽をやれれば良い。
某日
メトメさんとの焼肉のさなか企画されたイベントがソーコアで。身近なメンバーの前でやるほうが逆に緊張したりする。おれたちはもっと焼肉に行ったりそのメンバーでそのまま音楽をしたりしたほうがいい。いろいろな人が来てくれる。バンタンで教える林さんと授業資料トークをしたり。
某日
美学校での音源視聴イベントサウンドシェア。美学校のスタンスとおれのやりたいことがいい感じにマッチしていて毎度楽しい。ロケーションの性質なのか、本当に老若男女と言った感じ。
一応初心者向けという建て付けの会であるが、「なに考えながらこの音楽作りましたか?」ときくとみんなよく話してくれる。来場者全員が5分ずつくらい強制的に自分語りをさせられるわけであるが、これよりも楽しいことはないのではとも思える。
世の中の重力は基本的にあるあるを探す方向に向かっているので、〇〇の音楽を聴くやつは大体こんな格好してるwみたいな抽象化がおもしろがられるのは自然であるが、資本的な利益を生み出さない創作に意味を持たせるにはそれに逆行する必要がある。自分の趣味嗜好それ自身は技術の巧拙によらず、常にオンリーワンであるという事実は積極的に自覚していかないといけない。要するに、ほら、みんな違いますよね、だから音楽作って人に聴かせましょう、ほら、みんな違うでしょう?を繰り返しているだけである。おれはそれで人生足りている。
某日
神戸でイベント出演。JRが止まってしまい到着に2時間半かかってしまった。
seihoさんと久しぶりにゆっくり話す。 seihoさんと共演するたびに「界隈のお仲間はseihoを許すのか」的な旨でネットに直接名指しで批判的に書かれたりするわけであるが、それに関しては活動を再開する上での声明の足りていなさはあるとは思っていて、その点はseihoさんが悪いと思っている。同時に、事件に関しておれから直接言えることはなにもない。2023年にシエスタでイベントをやった時に、seihoさんから遊びに行くわと連絡が来たので「めんどくさいから来ないでくださいよ」とやんわり出禁にしたこともあるが、人様のプライベートの行動をおれが制限すんのかよという意味でも、いまだに正しかったかどうか思い出して悩んだりもする。
イベント後に輪になってひたすら音楽の話をしていたらすごい時間が経ってしまい、急いで終電で帰宅。みんな同じようなことで悩んでいる。
2月某日
ホームカミングスとくるりのライブをKBSホールに観に行く。達者にMCをするくるりに対して、なるみさんが最後なのにろくに話さないホームカミングス。演奏後に肩に手を置いて電車みたいに連なってはけていくホムカミ一行をみて胸が熱くなった。いい演奏でした。
某日
ホムカミライブアフターパーティに出演。
リハの時に脚立が置いてあり、ハコの機材かと思ったらSummes Eyeの夏目さんのステージ道具であった。「有村くんも使っていいよ」と言われたがおれに脚立を使いこなしてステージをよくする技術はない。昨年森道市場に出演した時に、遊園地ステージでかましていた2組のことを思い出す。Summer Eyeと、掟ポルシェさんである。遊園地ステージの演者と客が遠い特殊な構造において、夏目さんは柵に上り、掟さんは下に降りていた。できる男は上下を使う。
開演と同時にたくさんのお客さんが来る。いい雰囲気である。ドラムのなるみさんがこれで卒業であるので、出会った当時のことを思い出さざるを得ない。
おれがインディロックを7インチでかけ続けるイベントをやっていたところに遊びに来たのが福富畳野であるが、その時点で2人とも少しでも音楽を続けたいと意思が割とはっきりとあって、一方で福田さんとなるみさんは以上でも以下でもなく大学の部活といった感じであった。モチベーションが揃っていないバンドの末路なんて、大体は素早い解散か、メンバー変更である。しかしそれがそのまま続くのである、10年も!
普通は望んでも10年もバンドなんてできないわけであるから、結局4人とも才能があったわけである。一方で一生は続かないのがバンドでもある。就職はどうするんだ、いつまで続けられるんだ、上京するのか、と辞めてしまうにちょうどいいチェックポイントはいくつもあったはずなのに、すべてを超えてバンドで10年ドラムを叩き続けた姿は、規模拡大の意思が全くなかったのにいま音楽で食っている自分と重ねてしまう部分もある。おれの記憶のホームカミングスはいつまでも昔で止まっていて、演奏が下手であるから、いつ見ても今の現実のプレイのタイトさに驚かされる。無理もない、おれがパソコンをいじっている間に、4人はずっと弾いてきたのである。
福富畳野はベロベロであり、畳野は後半ずっと泣いていた。福富は「最後にかけたい曲があるんですよ」といい木村カエラのリルラリルハをかけていた。
なるみさん本人に「もうしばらくは全然ドラムやんないの?」と聞いたところ、「いつ呼ばれてもいいように練習はしとく」と返された。そんな素晴らしすぎる回答がずばりくると思っていなかったので、「そうか〜」みたいなリアクションになってしまった。
音楽に始めるとか辞めるとかないですよ、程度の問題です、みたいなことを常々言い続けているのは自分自身であった。音楽はやったほうがいい、やれる分だけ!