無題

 未だに"就職"したことについて聞かれることは多い。「現役大学生トラックメイカー」みたいな枕はいとも簡単にぶら下げられる。自分もそんな感じの扱いを受けた時期もあったが、そんなことより、興味があるのはその後の暮らしである。

 

 音楽としてる人としていない人、才能がある人ない人、アーティストと一般人、演者と客…….憧れの人は見上げてしまいがちで、あちら側、こちら側みたいな区分、越えられない段差があるようにも感じてしまいがちである。でも実際は、その間はなだらかな坂、グラデーションであるように感じる。そして、インターネットはその間のグラデーションに光をあてる。"一億総クリエイター時代"とも言われるが、インターネットはこちら側の人間を、あちら側へ連れていってくれる魔法ではない。ただ、インターネットやDTM(テクノロジーによる創作の民主化諸々)の力によって、グラデーションの途中にいることがわかっただけでも、自分はどうしても自由になったように感じる。そこにいてもいいし、少しずつ上に登ることを目指してもいい。

 

 そういう考えになったので、音楽辞める/辞めない、就職する/しない、散々聞かれたが、そもそもそういう質問は、しっくりこないのである。それぞれの事情を汲んだ上で、"こんな感じでやっていけばいいのでは"みたいな具体的な話をしてくれる人はそうそういない。人が教えてくれないことは、結局自分で考えるしかない。とにかく、健やかに生きるためには、自分の選択を肯定できるようにするしかない。

 

 予想外だったのは、自分が意外と仕事が好きなことである。勤務時間、いわゆる9時-17時を苦痛な時間として耐え忍び、それ以降のアフター5に人生をかけるんやと思っていた頃には思いもしなかった悩みが立ち上がる。「どちらにどれくらい時間と気力を割くか、能動的に選ばなければならない」のである。

  「会社で武功を挙げるために気力を振り絞り、家に帰って倒れるように寝る生活」と「窓際よろしく必要最低限の仕事のみをし、余力を残して趣味に没頭する生活」、両極端な設定の間の、ちょうどいいところにつまみを合わせる作業を、自分でしなければいけないのである。これは本当に難しい。自分はまだ正直うまくやれないので、うやむや、だましだましである。

 

6月某日

岡山、江ノ島というイレギュラーな土地でのダブルヘッダー。パソコン音楽クラブ西山と早めに岡山に到着するも、あてもないため適当に岡山城へ向かう。「おれたちの創作のトリガーは、知らない街をただ歩く、その時の感覚なんや」という話をしばしばしてくるパソコン音楽クラブのことを考えながら、岡山の街をちんたら歩く。「岡山、いい感じやな」「岡山、いい感じや」具体性ゼロ。

 道中、tofubeats氏の車にピックされ、ハードオフミスド、スタバというコースを辿ることに。見知らぬ街の、よく知るチェーン店で募る話を消化し、気づけばイベントのリハーサル時間を迎えていた。

 単独行動の柴田くんは一人で定食屋に行っていたよう。岡山くんだり、1人で飯食っただけで満足そうな柴田くんを眺めながら「そういえば、岡山城も後楽園も行ってないな…」などと考えていた自分がいたく小物に思えてしまった。

  岡山の人で出会った人たちはみな抜群におもしろく、そしてなんとなく自分の知らないバイブスを持っていて、ますます自分が小物に思えてくる。が、細かいことを考えている暇などなく、イベントが終わるや否や、江ノ島に移動である。

 

 目がさめるとそこは新横浜、この上ないスムーズさで導線上のスパへ行き束の間の回復。江ノ島に着いてからは浮かれすぎてあっという間。出演者それぞれ抜群によいアクト。立ち上がりの悪かった自分の小物さ加減に消沈。

  終演後にimaiさんらと中華を食う。ソロ活動に至るまでの話など聞きながら、おれもがんばろう…と決意を新たにするも、2日間横にならずに動いていた体はもうがんばれないようで、文字通り死体のように就寝。

  岡山、江ノ島とどちらも非常に良くしてもらってありがたい限り。怒涛のダブルヘッダー、死ぬほど楽しかったと同時に、色々自分に足りないものが浮き彫りになったようなきがして、考え込みながら帰路に着く。

 観光地であるため、平日朝の江ノ島はさっぱり人がおらず、「この感じは有給をとった今日しか味わえんやつやな……」と調子に乗ってしまう。しかし、江ノ電に乗り込むと、視界に入るは制服の高校生、勤め先へ向かうのであろう人々、談笑する老人たち。そちらは一転して、その土地の人の、日常の暮らしが広がっていた。おれはいわばノイズみたいなもんだな、と考えているうちに、藤沢駅に着いていた。腹が減っていたのか、外で売られていた鳩サブレが妙にうまそうに見えたので、我慢できずに買ってしまった。

 

6月某日

 そもそも立て込んでいた所にいろいろなことが重なり、月曜にしてクタクタな状態で会社へ。ちょうど会社に着いたところで、漫画の擬音みたいな音と共に、ものすごい揺れに襲われる。その瞬間に、なんというかいろんな集中の糸がすっかり切れてしまって、衝撃冷めやらぬまま、「ああ、おれはしばらくはがんばれないな」と感じてしまった。半日会社の復旧作業をしたのちに、おめおめ自宅へ。外で自転車を漕いでる分には驚くほど日常であるが、ひとたびスーパーなどに入るとその雰囲気は異様、非日常そのものであった。

 震源北摂、と聞いてなんとなく人ごとっぽい気分もあったが、帰ってテレビをつけると、次々と流れていくは自宅の周辺であった。テレビ越しに、ぐちゃぐちゃになった近所のツタヤの様子を眺める。

 夜、家にいてもなんとなく落ち着かないので、そのツタヤに併設されたスタバにでも行くか、とぶらっと外に出るが、当たり前のように閉店していて、情けない気持ちになる。さっきテレビでみたじゃないか、みんな大変なんやぞ……大たわけである自分は、音楽機材だけを床に下ろし、他はろくに片付けもせずにさっさと寝てしまった。

 

7月某日

 仕事で四国へ。帰ろうとしたところ、大雨で土讃線が運休になり、よくわからないまま振替輸送のバスやタクシーに揺られる。徳島は阿波池田、香川は坂出とたらい回しにされたが、結局その日のうちに土讃線は復旧せず、岡山に着くのが早くても23時であることを告げられる。

 どうせ帰れないなら、なかなか会えない人にでも会っておくかと小鉄くんを呼びつける。もやもやとした話をもやもやしたまま話せる友人は少ないので助かる。やるせない気持ちと、カプセルホテルの相性はよく、サウナに入ったり、コンビニにいったりしているうちに、結局眠れぬまま朝になってしまった。

 

7月某日

 友人の結婚式に出席。大学時代毎日のように一緒にいたが、今となっては会う機会も少ない。久しぶりに友人が集合する理由が、良い理由なのは気分がいい。友達にいいことがあると、やはりうれしい。

 

 新幹線の終電で京都駅に着き、近鉄電車に乗ろうとすると、「郡山での人身事故により遅延」といった掲示が目に入り、気が滅入ってしまう。クソがよ、もう帰れないのはこりごりや、と思いながら電車に乗り込みなんとか自宅へ。

  翌日、インターネットで"女子高生が自殺配信"みたいな文字列が。そのニュース記事、「近鉄線の郡山で…」といった文章が目に入った瞬間、えもいわれぬ衝撃に襲われる。あの人身事故はこれだったのか…、インターネットの話題、人身事故での遅延、2つのふわふわした情報が、急に現実とリンクして、めちゃくちゃに食らってしまった。人が死んでいるのに、こちらは電車が遅れた程度でクソがよと思ってしまっている。日々、現実感が薄まった状態で情報を摂取しすぎていることに急に自覚して、なんともビビってしまった。どう折り合いをつけていけばいいのか、いまだによくわからない。

 程度に差はあれ、誰にでも希死念慮みたいなものを感じることなんていくらでもある。自分も含め、周りの誰かが、悪い意味で、一歩踏み出してしまわないために、なにができるのか。油断していると、明日は我が身である。

 

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 仕事をしていると、音楽を聴く時間が圧倒的に減る。仕事中はもちろん、通勤は自転車であるし、なんといっても、自分で音楽を作っている間は、人の曲を聴くことができない。

  そんな状態で、ますますありがたみが増してくるのはサブスクリプションサービスで、iPhoneを開けば数秒で聴いたことない曲にアクセスできるわけで、それのおかげで、かろうじて、自分は新しい/知らない音楽を聴いている。

 

 せっかくなので、spotify上で、月ごとに、聴いている曲をプレイリストに突っ込んでいき、ある程度溜まったらその中から10曲選んで公開する、ということをはじめてみた。これが本当に楽しい。幸いにもspotifyはおれをアーティストとして認めてくれており、公式プレイリストとして、アーティストページから聴けるのもよい。リスナー然としながら、のんびりとアルバムを作っているが、リファレンスというか、自分の好きな空気感みたいなものを、人の力も借りながら、セルフセラピー的に理解していけたらよい。