前編→http://arimuri.hatenablog.com/entry/2015/04/26/114804
2013年某日、なんとなしにPVを作りたいという謎の創作意欲が湧いてきてしまう。所属していた草野球チームで購入したビデオカメラを持って吉田山に繰り出す。やたらと天気がよく、自宅から山頂、そして今出川通りへ…気がすむまでカメラを回し、帰宅するやいなやAdobeのPremiere Elementsの体験版をインストール。2,3時間曲に合わせての動画編集を試みるも、ソフトの基本的な操作もよくわからぬまま飽きてしまうのであった。餅は餅屋、動画屋になりきれなかった自分…
(その時の映像の残骸で作ったやつがinstagramに上がってた。一年半前・・・)
toward morningありきで同時にコソコソ作っていたアルバムも、その微妙な完成度のせいでリリースを躊躇しているうちに出すタイミングを失ってしまった。
2014年11月、fogpakやマルチネでのリミックスで積んだ徳を遺憾なく発揮し島根のイベントに出ることになる。ふと、かねてから気になっていたsiroPdという名前で音楽や映像を作っている少年のプロフィールに島根と書いてあったことを思い出し、"できることやしたいことは全部しましょう、行きたい場所には全部行って会いたい人には全員会いましょう"の精神(誰が言い始めたのかは知らない)にのっとりダイレクトメッセージを送りつけたのであった。
「今は島根には住んでいない」
「クラブは行ったことない」
「頑張れば行けます」
と言った旨の返信をしてきた10代の男を呼び出すことに成功し、成り行きで共にふっつ氏(イベントのオーガナイザー)の家に共に泊まることになる。なかなか寝付かないその男とたわいもない話をしているうちに夜は明け・・・
餅は餅屋、話のわかってくれそうな動画屋を都合よく見つけてしまったので後日PVの制作を依頼。快諾してくれた彼に雑なイメージのみを伝えての丸投げ。
2015年2月、「確認してほしいので見てください」とPVのデモが送られて来た。自分の作った音楽に映像が付くエモさは計り知れず、少し泣きそうになってしまうなど。無責任にsoundcloudに音源をあげたり消したりしていた自分であるが、この時ばかりは「これはちゃんとしなければ…せめてbandcampでシングルとして出そう…」と言う気持ちに。
1曲で出すわけにもいかないので、急いで「bibioのインスタグラムに出てきそうな花」という謎のテーマでbuttercup(キンポウゲという花の英名)という曲を作る。なんとなくトリプルA面シングルというものが好きで収録曲を三曲にしたかったので、自分の昔の曲の中で一番音の雰囲気が近いfoolという曲に若干修正を加え収録した。
毎年正月に一緒に初売りに行くのが恒例になりつつある竹シートパイセンに今まで通りアートワークを頼み、晴れてシングルはリリースされたのであった。bandcamp、paypal経由で送られてくるメッセージは胸に刺さる…
最近いろんな人に言っているけど、音楽的な良し悪しは抜きにして、自分が作っている音楽が好きである。いろんなことをはじめては飽きてきた人生であるが、音楽を作ることは楽しくて、いまだに飽きずに続けている。
音楽をつくって何が変わる? それは音楽をつくっている者のみが知る問いである。遠くにそれぞれひとつだけあるその射程を追うために、今日も続けるのである。
とはtofubeats氏の談である。一生で聴ききれない量の音楽が溢れているインターネットに曲を投げる行為に意味があるのかはわからない。言うなればこれは広大な土地に旗を立てて突っ立っているようなもんである。やってみるとわかるが、これがなかなかに楽しくてやめられない。(おしまい)