無題

 昨年あたりから、自宅になんとか防音室を導入できないかを検討しており、ダラダラと物件を探したりなどしている。

 日本の土地柄上、音楽をすることは本質的に迷惑であるというのが自分の考えである。物件所有の大家からすると、楽器を演奏する人間や、低音にフォーカスした音楽を作る人間に部屋を貸すことは相対的にリスクの高い行為であるし、入居したアパートの隣人がクラブミュージックの愛好家であったり、アンプリファイドすることなく大音量の出る楽器の演奏家であった場合、ネガティブな感情を持つ人が大半であろう。かなり下駄を履かせたとしても、自分は"厄介な隣人"成分を常に持っているのである。

 それでも自分は音楽をやる。音楽は楽しいし、音楽が人々に必要であると信じており、音楽ありきで将来のことを考えている。一方で興味がない人からすると、単純に迷惑であり、なんの意味もないと感じる。これは至極真っ当である。

 そんな自分にできることは、最大限配慮することと、人の迷惑を許容することくらいしかない。防音室は、単純に前者の話である。

 コロナウイルスの流行、および補償なき自粛要請のため、音楽業界は経済的な窮地である。経済対策に当てられる予算そのものの多寡に対する働きかけは難しいが、その中で音楽に充てられる割合を少しでもデカくするというアクションはリーズナブルであり、今求められているものであろう。現場最前線の人たちが#SaveOurSpaceのような運動を立ち上げ、サポートをしている。業界の現状と規模、需要を、正当な手続きできちんと政治のテーブルに乗せるような働きかけは、今の我々が絶対にしなければいけないことの一つであると考えている。

 しかしながら、最終的には、決められたパイの中から、業界間でゼロサムの取り合いをしているような性質のものになるわけであるから、相対的に音楽業界の分が悪いという事実はかわらない。

 社会における音楽の立ち位置と、置かれている状況を適切に政治の場に伝達する。目先の困難は、それが貸付であろうともキャッシュを集めて乗り切る。長期的には、リスクを許容できるようなマージンを持てるよう音楽業界(規模の大小は問わない)のデザインを考え直す。最大限配慮することと、人の迷惑を許容することが基本姿勢。大枠としてはこれが今の自分の意見である。そんな考えのもと、団体や組織を選んでサポートし、in the blue shirtとしての活動をします。

 これはあくまで暫定、友人各位も、zoomでもdiscordでもいいので意見を聞かせてくれると嬉しいです。小さい個人の意見をきちんとテーブルにあげ合い、良いところは取り入れ、考えの甘いところは指摘する、可能であればテキストベースで、苦手であれば口頭での議論で。ボトムアップで、このなんとも言えない雰囲気に建設的なやりとりをもたらすことができればよいと思います。

 防音室は、現物株の含み損がクソほどあるので無期限延期です。アーメン。

 

1月某日

 名古屋にてTouch&Goなるイベントに出演。地方でパーティを繰り返し、お客さんと雰囲気を仕上げていくのは大変なことで、根石兄弟をはじめとする運営メンバーにはリスペクト。気心の知れたメンバーでナイスパーティに乗り込めるのは非常にありがたいこと、新年1発目にして気持ちよくプレイできたと思います。

 気絶したように眠ったのち、ホテルで目が覚めるとチェックアウトの時刻をやや過ぎており、準備をして慌てて部屋を飛び出す。部屋を出るやいなやエレベーターを待つするとパ音の柴田くんが目に入り妙に安心してしまう。フロントに降りると西山くんが待っていた。Twitterを開くと、バツくんはもうすでに岡山入りして、次のイベントのリハをしている様子であった。

 一足先にチェックアウトをしていたimaiさんと偶然名古屋駅で遭遇したので、みなと一緒にひつまぶしを食べる。話題の中心はimaiさんの過去の活動エピソード。キャリアの数だけ面白い出来事がある。やはり自分にはまだ経験が足りていない。

 

1月某日

 ミツメの企画イベントWWMMに出演。ボーカルの川辺くんと昨年末からダラダラ曲を作っており、そのうちの一曲を川辺くん歌唱でやってみるといったレアな試みも。仕事で歌ものを制作した経験自体はは割とあるが、in the blue shirt名義でボーカルをフィーチャリングして曲を作ったことも、ましては生歌でのライブなんてしたことがなかったのに、なんとなくの思いつきでやってしまったわけであるが、何事も経験である。早くリリースできるように頑張ります。

 自分は"好きなモノへの執着の果てに、その向こう側が見えてしまった"、 みたいな音楽作品が好きである。そのような音楽を「裏面に行った」とか「裏音楽」と呼ぶのにハマっており、トーフビーツ氏と、ミツメのライブを見ながら、「これは完全に"裏"行ってますねえ…」などと言い続けていたなど。

 

1月某日

 WWMMが終わり、飯を食うやいなや東京のホテルで気絶するように睡眠。ノー目覚ましノー起床、予約していた福岡行きの飛行機に間に合わないことに気がつく。片道4万円のANAしか座席に空きがなく、それに乗って福岡へ。

 この世からいなくなってしまった大学の同級生に線香をあげ、友人と飯を食って帰宅。音楽とは関係のない友人の中で、曲をリリースするたびに感想をくれる貴重な男であった。正面から返事をするのが恥ずかしく、適当に流しているうちにこれである。こういった取り返しのつかない失敗を、自分はこれからも繰り返していくのであろうか。

 

2月某日

 Potluck lab vol.3を開催。好きなことを続けたり、周りで応援していることが続いていくように、できることをやっていくだけである。

 自分は音楽活動を、なんとなく種まきフェーズと収穫フェーズに分けて考えており、制作が種まきならリリースが収穫、練習が種まきならライブが収穫、といったように、基本的にそれらは対である。一方で、世間の評価は収穫に対してなされる。そのせいかどうかはわからないが、対になっているはずなのに、世の中は収穫偏重であるように思える。種まきと収穫をイーブンにしていくことが、インディペンデントな営みを続ける上では必須であるというのが自分の結論である。

 太郎と「おれたちはサスティナブル原理主義だよな」というような話をしたこともあるが、結果的にサスティンしなかったり、それ自体は単発的なものであったりしたとしても、その行為がサスティナブルであるかを考えることは、不誠実さを取り除くにはよい方向に作用するよな、とは思うようになった。

 

3月某日

 北加賀屋のクラブDaphniaに出演。遠方のアクトのキャンセルもありローカル中心。ここから先はクラブイベント出演に否定的があることも承知、主催のゆうちゃんの姿勢と大阪の比較的新しいベニューをサポートする意向で自分は降りずに出演。万が一の感染発覚後の動向把握のため、来場者全員の連絡先を抑えるなど、妙な緊張感の元スタート。地合いはさておき、Daphniaにも、関西のシーンにも活気というか、好きなことを続けるだけの気持ちはまだある。この活気はいつまで持つのだろうか。

 

3月某日

 夕方まで爆睡したのち梅田のカフェへ。パーゴルメトメさんゆーちゃんと延々会話をしていると、偶然セキトバたちもやってきて、結局終電手前まで会話をし続ける。みなよくしゃべるし、自分もよくしゃべるほうである。近頃考えていたことに対して、多少頭がクリアになる。関西地域に"外出をするのは良くない"みたいな空気はほぼない。

 

3月某日

 横浜で友人の結婚式。だいぶ規模が縮小されてはいるが、"外に出てはいけないムード"の蔓延のちょうど直前といった時期であった。

 こんな時期と当たってしまうのはとんだ不遇であるが、現地に来たかどうかと、祝いの気持ちの大小に関係はないので、忘れられない思い出として、これからもお幸せによろしくお願いします。よい式でした。

 

3月某日

 渋谷asiaでFFFなるイベントに出演。関西から都心への移動、有事の際はいよいよがっつり批判の対象といった身分である。新幹線は実に空いており、3人席を1人で使い、前後も無人である。

 あう人あう人、音楽関係の知人らとは「最近どうですか」といった話で持ちきりである。トラックメイカー勢はみな、現時点でそこまでドラスティックなダメージを負う様な活動形態の人は少なく、みな口をそろえたそうに「いまはひたすら曲を作っている」という感じであった。夏以降は音楽業界全体でリリースが増えそうであり、それはここ最近で唯一の明るい話題である。

 

3月某日

 すっかり都内は自粛ムード、関西は相対的にマイルドではあるが、人の数は減り、いつも通りとは到底言えない雰囲気である。ネットでは緩みのあるムーブに対するかなり厳しい視線を感じてしまう。

 「外タレ日本に呼ぶのが春から3発続く、ここから良くなっていく気がする」みたいな話をしていたNC4K、太郎とマゴチが「コロナで全部なくなっちゃったな」といった旨の会話をしている。自分の目先な出演イベントは全てなくなってしまった。自分はいつものように、可処分時間を可能な限り制作につぎ込むことだけを考えているだけである。みな楽しく暮らせることを願うばかりであるが、そのために自分にできることなんてほとんどないようなものである。友人と音楽を頼りながら、心穏やかに暮らすよう努めるが、いったいいつまでもつのだろうか?

 

 

 

 

 自粛の考えは「個人の利益より全体最適を考えようや」という発想から来ているとは思うが、無意識に全体最適を自己の利益とすり変えて、「自分が家から出ていないのだから、お前らも出んなよ」という考えにならないように気をつけたい。自分の利益を考えると、自分以外の他人が一切の外出をやめ、感染を拡大しないようにするのが理想のように思ってしまいがちであるが、自分がいまだにスーパーで買い物をしたり、コンビニに行ったり、郵便物が届いたり、インフラが維持されているのは外に出て働く人がいるからである。経済活動そのものの活性や利便性と感染の拡大はおおむね相反するものであるから、全体最適のために、行動凍結ぐあいの最適値がどれくらいかを見積もり、どこからが不要不急かの厳密な判定ができるほど、自分は全知全能ではない。

 仕事は民間企業でのR&D、趣味は音楽の自分が家に引きこもることは容易いし、しばらくはそうするつもりである。一方で事情は人によって様々で、置かれた状況、判断基準は人によってバラバラである。外にいる人を悪く言える立場ではない。

 国の方針はもやっとしており、不安は募るばかりである。その"はっきりしなさ"から来るネガティヴな感情の反動で、細木数子の「あんた死ぬわよ」的な、ロジックをすっ飛ばして結論先行で人を駆動させるようなやり方が支持を得て増加しそうな予感がしており、それもまた不安である。

 

(もう少し練ってから書きたかったエントリですが、いまこの雰囲気の真っ只中での考えをアーカイブしておきたい気持ちからの投稿です。クラブイベント出演を3/20まで続けた、一個人の記録の定点観測です。否定的な意見には目を通した上で今後のアクションに反映します。)