無題

 今年のメイントピックスを考えると、完全に活動を個人ベースにしたこと、なんだかんだでアルバムを出したこと、Potluck Labをはじめたことの3つであるように思う。

 依頼を受けてするクライアントワークとイベント出演だけで、なんとなく活動した気になってしまうが、その中でもなんとか能動的にアクションを起こせたのは個人的によかったことで、なんとか年を越せそうという心持ち。

 一方で、曲を作らないといけない、というよくわからない強迫観念に苦しめられた一年でもあった。平日仕事終わりに、なにもせずにグータラして寝たのちに、「今日はなにも制作ができなかった」とバッドに入ることが増え、何故してもしなくてもいいことで、こんなにストイックにならなければいけないのかという気持ちになるときもあった。

  とはいっても、JETSETでベストディスクをやり、サンレコでのDAWオペレーションの連載を持ち、bibioの新譜のレビュー書いて、自分の好きな音楽をやり、好き勝手配信やバイナルリリースをして、サブスクリプションでは年間100万回以上も再生され、イベントではいろんな街に呼ばれ…と、昔を思うと随分と出来過ぎな一年であった。

  年末はすっかりなにもする気が起きなくなってしまって、適当に過ごしているうちに気づけば大晦日。今日もDTMをしており、結局好きなことを好きなようにやって、なるようになればよいなと思うだけです。今年関わってくれたみなさん、ありがとうございました。

 

10月某日

 ボロフェスタに出演するために京都へ。昼から行って他の人のライブも見るつもりであったが、制作が立て込んでおり結局夜になってしまった。夏まで付き合っていた人に結婚報告をされるという怪奇なイベントを経て、なんとも言えぬ気持ちで京都メトロへ。

 ライブを初めて見るDos Monos、大先輩OUTATBEROのライブののち自分。普段クラブに来ないような層ががなり多かった今夜、日常比で過剰量のドープ成分を摂取しまくったフロアの面々に、いい感じにシャバくてキャッチーな自分の音楽がフィットしたのか妙にウケる。最近は立て付けが軟派であることや、ある意味でのシャバさに負い目を感じることはほぼなくなったように思う。

 深夜未明、朝から稼働していたであろう若いスタッフたちが地べたで爆睡しており、「この人たちは明日も朝からKBSホールへ向かうのか・・・」と素直に感心する。学生ボランティア中心で運営されるこのイベント、同世代でワイワイ、みたいなイメージを持っていたはずなのに、大学一年生はもはや10コ下、気づけば知らない人ばかりであり、改めて自分が京都の外に出たことを実感する。

 東京に拠点を移したホームカミングスの畳野や福富とも久しぶりに喋る。大学を卒業してすぐ位の頃、福富が「これくらいの感じで音楽続けられればいい」みたいな話をしてたのをなんとなく思い出す。その頃イメージしていた”これくらい”がどれくらいだったのかはもはやわからないが、その頃からすると現状は想像以上のものであるように思う。自分は今でも「これくらいの感じで音楽続けられればいい」と思っているが、”これくらい”に対するイメージが特にあるわけではない。

 

10月某日

 ボロフェスタ2日目。帰るつもりであったが、なぜか京都に宿泊することになり、H&Mで適当に服を買ってKBSホールへ向かう。

 odd eyesカベヤシュウトと「みんな京都からいなくなってしまった」みたいな話をする。再三「京都は通り過ぎる街だから・・・」などとの発言、彼も自分自身も京都にはもうおらず、しかしながら、自分はなんとなくモラトリアムの幻影みたいなものを、そのその通り過ぎた京都にみており、なんとなく自分勝手というか、無責任なことをしているような気にもなる。

  イベントのトリはホームカミングス、「ずっと住んでいた京都、ホテルに泊まるのは不思議な感じがして・・・」みたいなくだりから始まった、やたら感傷的な福富のMC。途中でダニエルジョンストンのカバー。彼らでいうところの、”学生時代、部屋で一人ダニエルジョンストンを聴き心を動かされた”的な記憶は、美化しすぎないように気をつけながらも、忘れないようにしないといけない。

 

11月某日

 ネオガイアファンタジー外伝なるイベントに出演。海外からやってきたVaperror、식료품groceries、death’s dynamic shroud、Equip、R23X。

 前日は東京で盛大にやっていたこともあり、疲弊しきっていた彼ら。楽屋で「なんか食べました?」と聞くと「あんまちゃんと食べてない・・・あとヴィーガンなんだよね」という返事。大阪のこの辺で、どこに行けばヴィーガン食を買えるのか皆目見当もつかない。まともなレコメンドができず情けない気持ちになっているうちに、どこからともなく彼らはおからでできたお好み焼きを買ってきて食べていた。

 そんなこんなで彼らのライブをみる。彼らから感じられるのは、ゲームミュージックシンセサイザーなど好きなものに対しての愛とリスペクト、そしてただ趣味や気があうメンバーが仲良くしているというだけ、といった感じであった。いい意味で「みんな同じだな」と思うのみ。そう言う意味ではこと彼らに関しては色々と腹落ちして満足。

 自分は"vaporwave"という言葉尻のなかから、純にサウンドテクスチャの部分を拝借して自分の曲をエディットしつつ、体調不良で来日が叶わなかったSaint Pepsiの曲とマッシュ。普段やらないことをしたなりに、なかなか気に入ったので、iPhone撮って出しでそのままYoutubeにあげてしまった。実際にプレイして初めて、スクリュー(ピッチダウン)のカタルシスがわかったような。

 

11月某日

 バツ君主催のイベント、リコンシダーに出演。日曜14時からの健康イベント。

 せっかくなので自分の曲少なめでDJ。なにも考えずやると、自分が最も音楽をたくさん聴いていた時期であろう2012年前後の曲ばかりになってしまいやるせない気持ちにもなるがまあよし。若き本格派kaiseiくんに、「おれたちは君らのこともググりまくってずっとみてますからね」といった旨のキモい圧をかけつつ平和にイベント完了。

 (あえていうところの)我々界隈は、レギュラーのパーティが少ないため、バツくんがリコンシダーを続けてくれるのはかなりありがたい。一方で、人様の企画に乗っかってばかりの自分はどうなんだとも考えてしまう。瞬間的な神回もいいが、東京以外の土地でやっていくには、平場のパーティに人を集めないと持続性がない。結局アルバム出したのにリリパをしなかったのもそうであるが、自分の遊び場は全部自分で作るくらいの気合があってもいいのかもしれない。

 

11月某日

 struct主催イベント”ゆ・パ交流戦 2019”。もはや恒例行事となった本イベント、今年もBANG! BANG! バンクシーズ!をはじめとする他ではみられないバイブス。西の瘴気に突然放り込まれたゆいにしお氏曰く「自分以外竿持ってないイベント初めてです・・・」相変わらず最高の雰囲気でイベントが終了。もう何年も服を買いまくっているstruct、今後ともよろしくお願い致します。

 典型的なバンドでもDJでもない中途半端な我々からすると、音響の面さえクリアできれば、ライブハウスでもクラブでもない会場でイベントをやるのは調子が良いように思い始めた今日この頃。来年はリリースからのリリパを目指していることもあり、ベニューのことも考え始めたりしているわけであります。

 

12月某日

 パソコン音楽クラブと福山広島と二日連続でライブ。どの街にいっても友達ができるのは、音楽をやっていてよかったことのうちの一つである。1日は自分の曲中心のほぼライブセットみたいなDJ、二日目は普通にライブ。

 突如購入したGopro MAXを駆使して始めた旅vlogシリーズ、モチベーションは3つ、単純に「僕らのイベントはこんな感じなんでぜひきてくださいね」、というのが1つ、自分のプレイの記録が2つ目、最後は僕の周りの人めっちゃおもろいんすよ、という気持ちが3つ目。素材不足で編集に苦戦するもなんとか要領を掴んだので今後も続けていきたいもんです。

 

12月某日

 代官山Unitでパソコン音楽クラブのリミキシーズのリリパ。

 パソコンの不調により実に不甲斐ない感じでライブ納めをすることになってしまったが、これも実力、来年以降は気をつけていきたい・・・

 パソコン音楽クラブは、文化祭の類が嫌いそうな見た目とは裏腹に、自主企画に非常に精力的で、熱海でのライブやSOUND EXPO、各種リリパ含め、なんとなくありもののフォーマットでやらずに、毎回気合をいれてやっているので素直に尊敬。何もしてこなかった自分の至らなさよ・・・。

 なんでもいいから会心の一撃っぽいなんかが身の回りから出て欲しいよな、と思っていたところにポケモンのエンディングでバッチリかましてくるあたりも、満員のUnitでライブをしつつもまだどこか余力を残していそうあたりも、やはり彼らは末恐ろしく思います。

 

12月某日

 tofubeats企画であるTTHWの収録。ピアノ男とSEKITOVAの二人は、自分が音楽を始める前からすげーなと思ってみていたこともあり、年下にもかかわらず、未だにガチリスペクトの気持ちが抜けきらずにいる。話せば話すほど、皆やっとんな・・・という感情に。ローマは一日にして成らず、音楽狂もいうまでもなくそうである。地力は積み上げの上にあるわけであると同時に、つくづく音楽は続け得であるなと感じてしまった。

 

12月某日

 大学の友人たちと昼から忘年会。化学系の大学院を出て関西で働く面々は、自分も含めドメスティック大企業で働いている人が多く、そういった巨大組織で働く上での若者の悩みというのは、皆同じようなものである。

 「一年は球拾いと外周しとけ」カルチャーを経て三年生になった人間が、「そういうやり方は古いので、みんなで効率的に練習しましょう」と言われた時に、果たして受け入れられるのか?と考えると、受け入れられない人がいるのは至極まともであるように思う。割りを食う食わないではなく、今は前より良くなっているか?のみにフォーカスするのは、頭ではわかっていても、なかなかできることではない。

  夜はストーンズ太郎と2人で忘年会。関西で"レーベル"という形を選択しNC4Kを運営している彼と、一方で完全に個人で活動している自分と、アウトプットは違えど考えていることはこちらもまあ同じようなものである。Potluck Labが2人でいい感じに始められたのも、その辺の意思疎通ができていたからであるように思う。

 

 化学をバックグラウンドに会社で働く自分と、音楽をやっている自分を、どちらも正しく把握しているひとはマジのガチで1人もおらず、どちらを切り取ってきても、もう一方の側の人間にちゃんとわかってもらうのは難しい、というのはここ数年の大きな悩みである。評価されるにしても、トータルの合計点ではなく、片方側でしかみられないつらさはありつつ、どちらもやりたいので一方をやめてしまうこともできずズルズルと今に至る。人間的に深みがでてきたっしょ、的な適当な感じで誤魔化すこともあるが、どちらにも話のわかる友達がいるのはありがたく、それで十分な気もしている。

 

 

 

 

 音楽を作って、いいのができたら友達に聞かせる、気に入った友達がいたら「ええやん」といってくれる、自分が続けてきたことは単純にこれだけであるように思う。思えば遠くへきたもんだ、と思うときもあるが、それだけのことが未だに続けられているのは、なんとなくではなく、皆がめいめい頑張っているからであろう。平和で楽しい暮らしは勝手には降ってこず、努力の元にあるわけであるから、タダ乗りしたぶんくらいは返したいという気持ちで、来年も頑張っていきます。

 改めて、今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。