かつてのインターネットには(理由や背景はさておき)明確に嫌儲のムードがあり、2chにせよ、Twitterにせよ、アフィリエイトリンクを貼ろうもんなら親の仇が如く叩かれる、みたいなことは日常的に見かけられるようなことであった。2010年代前半には、もうすでにファッションないしはライフスタイルを上手に見せて人気を得るスタイルや、電子工作やガジェットレビューをするようなアカウントが散見されたが、アフィリエイトリンクをちょろっと貼っただけで、ヲチスレの住人に粘着されて退場させられる、みたいなことを見かけたりなどしていたわけである。
恐ろしいことに、10年の時が経ち、TwitterはXとなり、嫌儲どころか、公式に提供された機能としてインプレッションが換金できるようになってしまい、それを推奨するような場になってしまった。かつては嫌儲の餌食であったはずの芸風そのままに、トップのYouTuberはプロ野球選手くらい稼いでいる。サービスそのものが広告機能をトップに置いている、ユーザー総アフィリエイト時代であり、それはもう天地返しの様相である。油断していたら全てが逆さまになってしまった。あれよあれよという間にそうなっていて、ムードが反転した瞬間を自分はいまいち捉えきれていない。
インターネットの基本思想はどこまでいってもリベラル、ないしはオルタナティブであると思っていたが、それは完全に幻想であり、資本主義の重力の前では落下するのみ、というのはかなり凹む話である。せめてもの反抗で、自分は自らの思い描くクラシックTwitterスタイルを無理やり貫いているが、常に戦車に竹槍で挑んでいるような気持ちである。
某日
ウエストハーレムでマゴチとntankくんとDJ。b2bでレゲエとかラバーズの流れになるとかける曲がない。ハーレムでのDJは出稽古みたいな気持ちである。毎度楽しくやっているが、今回も課題を残して終了である。次にマゴチに会うのは彼がイギリスから帰って来た後である。どんなテンションになってるのか。
クローズした後は大鵬ラーメン食ってまやこんぶの店であるD場へ。シローさんと激論していたら朝7時であった。
某日
uku kasaiさん企画出演のため表参道wall&wallへ。シュッとしたベニューでのデイイベはまた少し気持ちの置き所が変わってくる。深夜は嫌だがデイイベなら来てみよう、平日なら来てみよう、渋谷はごちゃごちゃしているから他の街なら・・・と場所や立て付けがほんの少しかわるだけで来る人がガラッと変わるわけであるので、やはりいろんなところに行った方が得である。などと思っていたら姉が遊びに来た。最初は特に理由なく見て見ぬ振りをしていた(最終的には話しかけました)。
終わった後は近藤くんとリズムの話をしたりvqくんと世間話をしたり、ukuさんと謎の2ショットを撮ったりなど。名前だけ見て初めてかとおもっていたKenjiさんは知り合いであったし、木村くんは面白い人間であった。ukuさんに「来週はバンドのイベントに混じるの緊張しますね」と言ったところ「有村さんがいるのでまあ大丈夫です」というよくわからない回答。
夜はいつもと違う街に泊まりたかったので赤坂へ。とは言っても特にすることはないので、コンビニでどら焼きとコーヒーを買ってホテルの部屋へ。目が覚めた頃には世間は平日、月曜日である。古い友人とランチをして帰宅。
某日
前職の飲み会に呼ばれて参加。いろいろあって辞めた時に諸々尽力してくれた人事の方が来てくれたというのが参加の大きな動機であった。ゆっくり喋る機会がないまま退職したわけであるが、その節はお世話になりましたとこうべを垂れる他ない気持ちになる。働いている個々人はやはりいい人が多く、自分のために色々やってくれたわけで、言ってしまえば急に辞めたのは自分であり、大人数を働かせる上で秩序を保つためのシステムが自分の希望とマッチしなかっただけの話である。
サラリーマン時代は会社の人とプライベートで遊ぶこともなかったし、自分の身の上話、特に音楽活動の話はめんどくさかったので積極的にすることもなかったが、同僚でなくなった結果、なんのひっかかりもなく無邪気に音楽の話などをできるようになり、そしていまの状態の方が、なんとなく健康的な気はしている。
某日
北加賀屋のダフニアで出演。北加賀屋の雰囲気は好きで、ダフニアも好きな箱である(家から遠いことを除いて)。
新譜が出たばかりのメトメさんらと雑談。ソバベアがよく”ブチ抜く”という言い方をするが、そういった類の活動における心意気と、自分も含む関西中堅トラックメイカーののんびりした感じの対比の話をする。
もう10年近く音楽をやっていると、モチベーションとかが真の意味で消滅する心配はあまりしておらず、いまも継続的にアルバムなどを出しているわけである。アルバムを出しても無反応、ということは流石にもうなく、それなりのレスポンスを世間や友人からいただける。逆に、作品を出すことで大金を得られたり、音楽シーンに風穴が開いたり、人生が一転することもない。身近に打ち負かしたいライバルなどもおらず、ローカルイベントなどで友達と遊ぶのは楽しい。そういった感じで、肩の力が完全に抜け切った状態で楽しくやっていると、「この作品で世の中をかえてやるんじゃい!!!」みたいなテンションからどんどん遠ざかっていく。
ソバベアの言葉を借りて、世の中変えてやるんじゃい性をまとめて”ブチ抜く”気持ちと呼んでいるが、最近の自分はどうやら最近そのブチ抜き精神を取り戻したいと思っている節がある。しかし狙って取り戻せるものでもないわけで、どうやって己に火を入れていくのか、別にサボってもいないのでそもそもその必要はあるのか、というのが今の自分の悩みであることを再認識する。
某日
夏休みが終わり大学の授業が再開。次みんなに会う時は寒くなってるんやろうな〜的な予想とは裏腹に、汗ばむ陽気の中での登校であった。関わっている生徒のみんなはどんどんできることが増えていて、見ているだけでも楽しい。そりゃ卒業式で先生は泣くわけやと思ったりもする。
某日
引っ越して以来ダンボールからすら出していないCD達を整理する。ECDのmelting podが出てきたので作業を止めて聴く。ついでにECDIARYも引っ張り出してきて読む。本当に素晴らしい音楽や文章である。
本の中に、悪しき感情に味方を求めない、と言った旨のことが書いてあり、まさに今の時代に必要な心がけやな〜としみじみする。あいつマジで気に入らんねん!と思う。OK。あいつマジで気に入らんねん!と友達にこぼす、ギリOK。あいつマジで気に入らんよな?そう思わん?、はいアウト。悪しき感情はいくつになっても消えそうにない。この先も妬み僻みから合う合わない好き嫌いまで、あらゆるネガティブな感情と付き合っていかなければならないが、同意を求めない、というのは割と現実的な目標にしやすい。このブログにも割となにかに怒っていたり、批判的な内容を書いたりするが、読み手を焚き付けて共に怒らせるようなものになってほしくはない。
一転こと政治的な話になると難しい。インボイスは歴史に残るゴミ制度であるが、「インボイスゴミ!」とSNSに投稿することは一応人を焚き付ける類の行動になるわけである。はてどうしたもんか?そんなことは差し置いて、インボイスはゴミ!!!
某日
raytrekさまのデスクトップパソコンのプロモーション企画の撮影。株式会社サードウェーブさまからはパナ時代にパソコンやグラボを買いまくっていたので、思わぬ角度からの復縁である。
チャリで朝飯を買いにコンビニに向かう途中に撮影チームとエンカウントしたところからスタート。見たことある人がいるなーと思ったら梅田サイファーのteppeiさんであった。カメラの位置決めなどをしたのちに近所の中華屋で昼飯。小休止ののち撮影。焦りすぎて対して何もできんまま企画は終了。
後から合流したnamahogeさんからもインタビューを受ける。もはやどこまでがインタビューでもはや雑談なのかわからないが、またぶち抜き/非ぶち抜きの話をした気がする。
夜にはみんな撤収してしまい、あんなに賑やかであったのが嘘みたいである。残されたのはでかいPCのみである。京都までわざわざありがとうございました。良い1日でした。
某日
近藤くんに誘われての下北沢でのno buses企画。basement barに行くのは学生ぶりである。
いうてもアウェー寄りではあったので時間を潰しに最寄りのバーミヤンへ。ぼーっとしてるとテーブル席にホームカミングスのメンバーがやってくる。その延長線上にすごい勢いでビールを飲むle makeupイイリの姿もみえる。すごい関西人の磁場やなと思いながら後ほどイイリに「すげえ飲んでたね?」と聞くと「3000円もしたんすよ!バーミヤン高くないすか?」などと言っていて、お前がたくさん飲んだだけ(バーミヤンの生中は499円である)やろうと笑ってしまった。開演後は
チーム電子音楽のukuさん、遊びに来ていた川辺くんなどと雑談。
ライブしたバンドが撤収したステージに机を出されてそのままやるのは結構久しぶりであったのでやや緊張。PC一台で単身ライブステージに立つのは、スペース的なガラ空きさもあってなかなか度胸がいる。昔は内容も良くなかったし、意味わからんやつとして見られてスベることも多かったが、なんというか世間的に受け入れられつつあるのか、「ああこのパターンのアーティストね」くらいにみられている感じがして、世の中の機運というのは変わっていくのだなあとか考えたり。最後not wonkのブートeditをかけて終了。ステージ降りて雑談してると期せずしてボーカルの加藤さんが来ていたのが見えたのでブートレグ行為を詫びようと思ったが話しかけられず。聴いてくれた人はありがとうございます。
初めてライブをみれたSATOH、自分の記憶より5倍くらい演奏が上手くなっているホムカミ、企画主no buses、関西時代に一瞬バンドもやっていたmatton擁するbed。意外にゆかりのある出演陣。久しぶりに下北沢インディを堪能した気分に。
なんかダラダラと飲んでいるうちに朝になってしまう。富士そばでlivehausのコバチさんの貰い事故的な不運を拝みつつ帰宅。予約したホテルには1秒たりとも滞在できず。
某日
中村佳穂さんとかずおが大学に遊びに来る。佳穂さんに連れられて末次教授のゼミに遊びにいく。
そこでの話があまりに面白く、本当に全部記録して後世に語り継ぎたいほどの内容であった。日本の土着文化の研究を通じて"うた"に惹かれていった末次教授と、音楽家として様々な経験を経た佳穂さんの話を統合すると、(細かいディティールをすっ飛ばしてはいるが)「うたはみんなのものである」ということを言っているのである。うたはみんなのもの、なんか有り体な話であるが、人生をかけたこの2人がそういっているという事実の迫力はちょっと自分のテキストでは表現するには手に余るものであった。
その後イサゲンも合流して居酒屋でひと盛り上がりしたのちに木屋町へ。適当に歩いていると偶然Colloid(佳穂さんのバンドのコーラスなどを務める)のメンバーが働いているバーに辿り着く。「趣味のおじさん的に続ける自信はあるが、ぶち抜き精神を取り戻したいという欲もあり…」というここ最近の悩みを相談したところ、かなり実践的なアドバイスをいただいた。佳穂さんはどこまでも行動ドリブンである。自分はごちゃごちゃと考えをこねすぎる傾向がある。
某日
幽体コミュニケーションのリリパ。京都ラインの先輩後輩を繋ぐ良いメンツである。まだまだ後輩っぽくいたい気持ちもありつつ、自覚を持って中堅ポジでなければならないとも思ったりする。
メトロのフロアの長辺側でやるのは結構久しぶり。お客さんのバイブスが仕上がっている時に勝ち戦的にやるのはボーナスっぽくて嬉しい。 幽コミのライブは想像以上に仕上がっている。変則編成のライブが仕上がっているということはたくさん試行錯誤したということであるのでまっすぐリスペクトの気持ちが湧いてくる。序盤からイケイケのパーティであったのに尻すぼみにならない堂々たる演奏であった。
谷くんきっての希望で朝まで営業してるとあう焼肉屋へ。imaiさんとすごい勢いで喋る。「続けてると仲間は増える一方だからね〜」みたいなことを言われるが本当にその通りである。面白い若者に出会うたびに思うが、みんなちょっとずつ自分の想像する範囲からズレた感じがある。自分がよくしてもらったのもちょっとズレていたからかもしれない。音楽は時代は進むにつれて常にズレているがゆえに、伝統芸能を継承するようにはいかない。常に思ってたのと違うような奴が現れる。ようするに、ずっと面白いということである。雨の深夜、藤原くんとチャリで帰宅。
某日
目が覚めると服から焼肉の匂いがする。がっつり1時間以上湯船に浸かって気持ちをリセットし加西市に向かう。本当にただ加古川沿いを進んでいく加古川線、小野と加西を結ぶ北条鉄道。自分は開けた景色を見るとやたらと感動してしまう謎の性質があり、どちらのローカル線の車窓のビジョンも琴線に触れるものであった。
兵庫県加西市のギャラリーvoidに到着。下のtobira recordに行くとマイルス(hairkid)と奥さんが買い物していた。高尾俊介さんの個展 "息するコード"参加のための来訪であったが、肝心の高尾さんが道中パンクに見舞われ遅れているそう。一番乗りであったので加西イオンのミスドで時間を潰す。
インターネット遊びの薫陶をうけた2010年代前半のツイッターにおいての人脈は本当に根強い。takawo杯のノリを眺めていた頃からすると、自分がミュージシャンになりその主催者の個展にでるとはさらさら思っていない。継続狂としてのシンパシー(であると自分は解釈している)から、高尾さんのこれまでのデイリーコーディングの活動や、おれのDTMワークショップへの参加など謎の相互干渉をして今に至る。
場所柄もあり、子供連れの方がたくさん集まっている。自分が曲を流していると、子供が踊り出したり、笑ったり、突然泣き出したりする。それを見ながらまたさらに自作の曲をかける。天気も良く、夢のような休日の景色である。
最後のトークセッション。息をするようにコードを書き、日常の所作として成果をネットにアップする姿勢において、どこからが練習でどこからが本番か区別していますか?とか作品の完成を完成させることや対外的にプレゼンすることをどれくらい重視していますか?といった質問を、自分の悩みの解決の糸口になるかもしれないと思いながらする。「周りからアーティストとして見られるようになったし、こうやって個展もする。その上で、それでも自分にとっては、そんなことよりも毎日作り続けること自体の方が大事ですね」といった旨の回答が臆す様子なく真っ直ぐにスッと返ってきて、それはそれはくらってしまう。実際のところ最近の自分はそこまで言い切ることへの不安を感じていたのである。WIPばかりを上げてまとまった作品を出さない年下に無邪気に「アルバム出しなよ」とか言っちゃったりしていた自分であるが、それは本心ではありつつも、アーティスト活動という意味でのメリットデメリットみたいのものを内面化しすぎただけとも言えるのかもしれない。作品を残すことは価値がある、というのはアーティストやっていきサイドの都合であって、実際楽しく音楽を続けられるのであれば、作品のリリース事体だって本来は必要のないことなのである。(とはいってもおれは少しでも他人の作る音楽を聴きたいけど!。)
ようするに、自分は結局音楽を仕事にしたことで、”毎日作り続けること自体”以外のことを考える時間が増えすぎた結果、中心の位置がよくわからなくなっただけなのであった。すがすがしい気持ちであり、高尾さんに感謝である。